第7話 陶酔

 どの口が声を出すな、などと言えたのか。


 汗ばんだ身体で自身の鼓動を聴きながら、ルーカスは自己嫌悪の中でうなだれて寝台に顔を埋めた。


「すみません……」


 隣に横たわるミラルディの顔が見れず、顔をあげられない。身体は心地よい疲労で、それが尚更申し訳ないと思う。

 今、自分がとんでもない勘違いをしていたと知る。女性の身体を触れたならば女性はそれなりに悦ぶものだとばかり、自分は思っていた。


「どうして謝るの?」

「いえ……あいつのように。出来なくて」


 自分の言葉のあと、妙な空気を感じ、ルーカスはそろそろと顔をあげた。

 見ると、隣に横たわっている裸のミラルディが口を押さえて真っ赤な顔で空を見ていた。


「聞こえないわけないじゃないですか。隣の部屋なんですよ」

「まさか、貴方に聞かれていたなんて。そんなに声が大きかったかしら」

「貴女は必死で我慢しているようでしたけど」


 ルーカスは謝罪した。


「すみません、貴女の声で自分をあいつになぞらえて幾度も妄想しました。だから、なんとかそうなるものだと……そう、思っていたのは傲慢でした」

「貴方とあの人は違うもの。体格や声がみんな違うのと一緒よ」

「失望させて。すみません」

「失望だなんて」


 ミラルディの手が伸び、ルーカスの頬を包んだ。


「貴方と初めて結ばれたのよ」


 微笑んでミラルディがルーカスを見つめる。


「蝸牛さんが殻から手を伸ばしてくれたのよ。その事実に。今はひたるときでしよう」


 必死で何がなんだか分からなくて、そのうちに終わってしまった。味気ない行為だったろう。そんな言葉をかけてくれるミラルディにルーカスは心底、申し訳なかった。


「それに。貴方は慣れてないもの」

「慣れるも何も、これが。あなたが初めてです」


 小さく吐露したルーカスの耳にミラルディが囁いた。


「気にしないで。私もそうだったもの」


 不意に身体を仰向けにされ、ルーカスは驚いた。小さな重みを身体に感じ、見上げると、馬乗りになったミラルディが微笑みながら顔を近づけてくるところだった。


「教えてあげるわ」




 *  *  *



 色ボケしてる。


 ルーカスは食堂にて干し肉を食みながら、眼裏に蘇る風景を何度も思い返し、ぼんやりとそう思った。

 白く柔かな肌、頰に触れる紫の髪、半開きの口から出される吐息、内から外から伝わる体温。

 あれから何度かミラルディを抱いたが、そのたびに深みにはまっていくのがわかる。

 これは初めて女性を知ったから舞い上がる男の当然の反応なのか、それとも急速に更にミラルディに惹かれているのか。

 彼女の感触が身体に染み付いている。今も自分の太腿の上で彼女の小さな尻が跳ねているような感じがする。


 あれ以来、歌が一切手に付かなくなった。

 それよりも、少しでも多く長く、彼女に触れていたい。

 そういえば古来から、男の恋歌は女性と結ばれる前の逢瀬を乞う歌ばかりだった。対して女性は一度会ったら会いに来ない男を恨むような歌が多かったな。今やっと、その理由が分かった気がする。


 ルーカスは前日の書庫での情事を思い出した。

 たまたま二人書庫に居合わせたと知るやいなやルーカスは人がいないのを見計らってミラルディを抱き上げた。

 あまりな場所といえばあまりな場所だと今になって思う。ミラルディは嫌がってるようには見えなかったが、呆れられてるのではないだろうか。


「乳に黒子ある女子おなごおるやん。あれ、ええわ」


 隣に座って食事しながら前の男と雑談していたザフティゴの言葉が耳に入ってきて、ルーカスは喉が詰まりそうになった。


 ミラルディさんのことだろうか。

 ミラルディにはささやかな左右の乳房の間に黒子がぽつんとある。見上げて小さなピンクの乳頭とそれを見つめていた記憶が鮮明に蘇る。


「お前ほど俺、女知らないし。分からん」

「さよけ」


 恥毛も無いミラルディの身体は白く淡いピンクで、どこまでも清純で汚れがない。ルーカスはミラルディの身体のその黒子が妙にみだらに感じ、いつも指で撫でた。途端に、ミラルディの吐息や肌の感触をたちまち身体で思い出し、情事の記憶に沈み込む。


「ルーカス、そういえばお前また選ばれたんやろ。歌詠み。頑張れや」


 いきなり、話を振られてルーカスは記憶から引き戻され、どきりとした。


「どうも」


 平静を装い、ルーカスは皿に目を落としたまま、返した。

 実はミラルディと寝てからザフティゴの顔をまともに見ることが出来ない。目が合わせられない。

 ザフティゴはそんな自分に気がついているだろうか。


「俺もお前の半分くらい歌上手くなったらアホほどモテんねんやろな」


 いや、こいつ全然気にしてないな。


 ルーカスは安心してさじでスープをすくうと、ひと口飲み込んだ。



 *  *  *



「歌が全然、思い浮かばないんです」


 その夜、ルーカスはミラルディに話した。

 毎年、晩秋に豊穣祭が行われる際、神と大地の恩恵を讃え、歌を奉納する。

 その役目はここ数年、ルーカスが担っていたのだが例にもれず今年もルーカスが選ばれた。


「どうしましょう、貴女のせいです。貴女に夢中で手につかない」


 膝の上のミラルディの真っ白な背中を抱きしめると、身をよじってミラルディが振り返った。


「わかったわ。じゃあ、貴方が歌をつくるまで、逢うのは暫く止めにしましょう」

「……いえ」


 ルーカスはあわてて撤回した。


「大丈夫です。つくります、すぐ。今夜か明日中には必ず完成させます」


 ふふ、とミラルディは自身の長い紫の髪をかきあげたあと、ルーカスの額を撫でて口づけ、頬を寄せた。


「貴方は怒るかもしれないけど、貴方が可愛いと思うわ、とても」

「怒りませんよ。私は貴女とこうするのが幸せでたまらない」


 ルーカスはミラルディの頬に自身の頬を押し付け、ミラルディの肩を強く抱いた。


「自分がこんなに満たされて、穏やかな気持ちで、落ち着いていられるのは今まで初めてで。今までの私は相当荒れていたんだと。今、気がつきました。実家での暮らしも、ここに来るまでの生活も。貴女に逢えたおかげで全てが報われたように思います」


 こんなに夢中になれることがあるのだろうか。今まで、こんな気持ちは知らなかった。


「ルーカス。豊穣祭の歌がとても素晴らしかったなら」


 ミラルディが小さな声で続きをルーカスの耳に忍ばせた。


「それは商売女がすることですよ、いいんですか?」


 ミラルディの言葉の内容に驚いてルーカスは思わず口にした。


「貴方が嫌ならやめるわ」

「……いえ、嫌ではありません」


 ミラルディからの御褒美を想像して顔を赤らめると、ルーカスは恥ずかしさを誤魔化すようにミラルディのわずかな胸に顔を埋めて黒子に口づけた。


「滅茶苦茶やる気が出ました。頑張ります」












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