第6話 恋歌

 次の日、書庫に置いてあったミラルディの返事を自室に持って帰ったルーカスは、なかなか開けられずにいた。深夜、意を決してそろそろと丸めた木簡を寝台上で開き、片目でおそるおそる字を追いかける。


『夜はとうに過ぎて、空は橙に染められて満ちています。もし、夜が来てもその時は橙の月が私を照らすでしょう。春の野に咲く花の色。染まりゆく葉の色。静かに燃える暖かな炎の色』


 にやけてる。

 ハッとルーカスは自身の緩んでる口元に気が付いた。引き締めようとしたがかなわず、ゆるゆるとゆるんでしまう。


 嬉しい。


 女性から真っ直ぐに好意を向けられたのは生まれて初めてである。舞い上がるのは仕方がない、と思う。なによりもザフティゴへの想いをきっぱり否定しているのが一番嬉しい。

 ルーカスは筆をとった。


『貴女の言葉で一喜一憂する私はまるで渓流を流れて浮き沈む紅葉のようです。貴女の心を疑うような臆病な私の気持ちをどうか分かっていただきたいのです』


 女々しい。

 女性歌人の歌にこのような歌が多かった気がする。


 ルーカスは自分の言葉を見返して、そう思った。


 しばらく歌を交わして様子を見よう。高貴な身分の男女の関係は文を交わすことから始まるというし。そのうちにミラルディが飽きて自分に興味がなくなるかもしれないし、歌を交わすことが心を交わすことになるなら清い関係で理想的だ。


 ルーカスの返歌後、ミラルディとルーカスはひと月ほど歌を送り続けた。


『貴方にこの気持ちがわかってもらえないのが歯痒くて苦しい。暖かな橙色の太陽を追いかけても決して追いつくことのない、私は月のよう。今夜も一人、月と同じように切ない思いを噛み締めるのです』


 *  *  *


『貴女の眩しさに恥じて、まともに向き合う勇気のない私こそ月のようなもの。貴女の姿が現れると山の端に慌てて隠れる私はまるで蝸牛のようだと、どうかご容赦ください』


 *  *  *


『殻の中では、私の肌の下の熱など到底分かっていただけないのでしょうね。この肌に触れていただければわかっていただけますのに。私が本当に太陽なら貴方が殻から出るまで照り続けてやりますのに』



 ええええ。


 ミラルディの返歌にルーカスは赤面した。


 どうしよう。なんて返せばいいんだ。


 こんな強気で色っぽい歌を出されても自分はうまく応じられない。


 ミラルディさん、こんなにぐいぐい積極的な女性だとは思わなかったな。


 頭を振り絞ったが、様になる言葉が出てこない。悩み抜いた挙句、ルーカスは結局木簡に一文字も書けず、寝台に突っ伏した。

 隣のザフティゴの部屋からは笑い声や話し声が聞こえていた。今夜は神官たちが幾人か集まって酒盛りでもしているらしい。ルーカスは酒にめっぽう弱く、ほとんど飲めない。仲間の誘いを断り続けていたら、いつからか誘われることはなくなった。


 もし自分がうまく酔うことが出来たなら。


 ルーカスはぼんやりと思った。


 ミラルディさんに感情に任せた行動が出来るのだろうか。


 ひときわ、賑やかな笑い声が聞こえて来た。

『こいつの部屋にまだ酒あるらしいで。そっち移ろうや』

 酔いがまわってるのか、都訛りのあるでかい声はザフティゴだ。


 少しの眠気を感じ、うつ伏せのままルーカスは目を閉じた。


 もし上手く酔えるなら。

 自分から手を伸ばし、彼女の髪や肌に触れたりするのだろうか。度胸のない自分には到底、想像できないが。




 寝入ってしまったのだろう。自身の涎で冷たくなった袖に頬を乗せていたルーカスは不快さに目覚めた。

 隣の部屋から物音が聞こえないところをみると、宴はお開きになったのか、それとも別の部屋に移ったのか。

 ルーカスは冷えた頬を手のひらでぬぐってから起き上がった。

 布団に包まるのを忘れた。風邪をひいたかもしれない。

 少し身震いしながら点けっぱなしだった枕元の卓上ランプを消そうと伸ばした手をルーカスは止めた。

 視界に紫の髪が目に入った。


「ごめんなさい」


 ふわり、と少女が暗がりから光のもとへ現れた。いつの間に部屋に居たのだろう。

 ミラルディが近づき、ルーカスの前に立つ。


「突然、忍び込むなんて。はしたないと思うわ。でも、この状況に私はもう耐えられないの」


 ミラルディはストンとした膝までの白の上衣を着た上に、ルーカスの羊毛の肩掛けを羽織っていた。


「貴方は優しいから……貴方がこの姿の私に惹かれないなら、はっきりと言って欲しいの。それならあきらめがつくもの。きれいな言葉ではぐらかさないで。私は見かけどおりの少女じゃないんだもの。生娘でもないんだもの、ルーカス」


 可愛いらしい唇から紡ぎ出される言葉をルーカスは息をのんで聞いていた。

 金目が艶めかしくきらめいて自分のことを見つめている。一歩、ミラルディが近づいた。寝台のへりに置かれたルーカスの手にミラルディの右膝が触れる。思わず指を動かしたルーカスの手を挟むように左膝が移動した。人差し指と中指の二本の指に滑らかな肌が押し当てられる。

 膝の間から逃れるつもりで、あわててルーカスは手を上に移動した。すると今度は柔らかで張りのある内太腿に挟まれ、ルーカスは直に伝わってくる人肌の温かさに動悸した。ミラルディの顔へと視線を移すと、心なしかミラルディの瞳が潤んでいるように見える。


「お願い」


 ミラルディが両手を伸ばし、ルーカスの頭に触れたあと、目を閉じた。

 ルーカスは硬直していたが、そろそろと肌の上をなぞってみた。

 滑らかな肌は湿りを帯びていて吸い付くようである。暫く躊躇いながら行きつ戻りつ肌の上を滑っていたルーカスの手が太腿の間から引き出されるとミラルディが目を開けた。


「ルーカス」

「わかりました」


 ルーカスは唾を飲み込んでからミラルディの手をとる。


「決して声を出さないように。お願いします」


 ミラルディがこくり、と頷くのを確認するとルーカスはミラルディの肩掛けを外し、同時にその身体を引き寄せた。







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