第5話 手順

 感触が残っている。右頬に彼女の柔らかな唇がまだ触れているようだ。

 食堂で朝食をとりながら、気持ちを落ち着かせようとルーカスはいつも以上に咀嚼回数を増やして食事に集中した。


 彼女に返す言葉は当然、拒否の言葉だとルーカスは思っていた。それなのに、自分の口から出た言葉はあれだった。

 自分は心の底で実は彼女との関係を期待していたのだ、と知る。

 表面上は色のかけらもない、季節の歌を交わし、取り繕いながら。軽蔑していたザフティゴと自分は違わない。

 斜め前に座り、食事を摂るザフティゴの顔を見ると罪悪感に似たような、恥ずかしいような感情がこみ上げてきた。

 ザフティゴを、10歳の少女に対して性愛行動をとる破廉恥極まりない男だと見下していたのに。今では自分も同類だ。


 ミラルディは身体こそ小さいが、その美しい顔は大人の美女としてほぼ完成されている。しかも、ルーカスが今までにお目にかかったこともないような桁外れの美女だ。眷属にならず、あのまま成長していれば、名高い美女として求婚者が絶えなかっただろう。あの顔で、憂いをたたえた目で関係を求められれば、少女だからと拒否する男など、どれほどいるのだろう。


 こいつ、どうだったんだろう。

 ザフティゴをルーカスは再度盗み見た。

 彼女に関係を求められたとき、最初は断ったのか。それともあっさり承知したのだろうか。


「なんや、ルーカス。俺の顔がエエから見てくれてんのか」

「いや」


 ザフティゴと目が合い、声をかけられてあわててルーカスは目を逸らした。


 *  *  *  *  *


 その日の夜、悩んだ挙句、ルーカスは季節の歌ではなく、自身の気持ちを歌に詠んだ。


『私の心は木から降る落ち葉のように揺れております。この感情をどう言ったらいいのか。貴女の美しい紫の髪がわたしの心に絡みついて離れない』


 まるで恋歌みたいじゃないか。

 書き上げて文章を見直し、ルーカスは戸惑った。

 いや。恋歌みたいではなく、まさにそのものである。

 やり直そう……いや、何度直しても同じ意味の歌になりそうだしな。

 真剣に自分の字と睨めっこしていたルーカスだったが、その時突然部屋に入ってきたザフティゴに心臓が飛び出るほど驚いた。


「なんだよ、お前、いきなり人の部屋に入ってくるな!」


 寝台の上で寝転んで書いていたルーカスは絶叫する。


「ええやろが、別にマスかいとったわけとちゃうし」


 入ってきたザフティゴはさらりと受け流し、黒い瞳でジロジロと部屋の中を物色し始めた。

 ルーカスの胸が早鐘を打ち始める。ミラルディの過去の男だったザフティゴが目の前に居ると、非常に後ろめたい思いにととらわれた。


「なあお前、試験では歌作んの一番やったそうやないか。今もシュミなんやろ、歌作んの。ちょっと読ませろや……お、それもか?」


 緊張しているルーカスの手元に、漆黒の髪を近づけて覗き込もうとする。


「見るな!」


 ルーカスは身体の下に木片をあわてて隠した。


「机の上に置いてあるの何本か持って行けよ! そんで、次からは俺の部屋に入るときは一声かけろ!」

「ああ、はいはい。おおきに。ええ奴やな、お前」


 ザフティゴはざっと寝台横の卓上にあった三本の自作の歌の木片をさらうと部屋を出て行った。


 び、びっくりした。なんなんだあいつ。

 背中に冷や汗を感じながら、乱れた呼吸をルーカスは調える。


 突然、歌に目覚めたのか? 今まであいつはそんなことするような素振りも見せなかったのに。


 ……あいつもミラルディさんと歌を交わしていたのだろうか。だとしたらミラルディさんからどんな歌をもらったのだろう。


 微かに嫉妬の感情が湧き起こり、ルーカスは手元の木片を見下ろすと、歌を継ぎ足した。


『漆黒の夜と赤く燃える太陽が繰り返し現れる空に、貴女の心は占められているのではないですか。

 そこに橙の蜻蛉が飛ぶ空はあるでしょうか』


 書き上げて、橙に近い髪色のルーカスは思案した。疑いをもって問いかけるような、なんとも恨みがましい歌になってしまった。ミラルディさんは気を悪くするだろうか。

 

 彼女の自分に対する感情は、本当に男女の間のものなのだろうかとルーカスは少し疑っていた。

 ミラルディの赤毛の実兄に自分は似ているというし、兄への思慕を重ねて勘違いしているのではないだろうか。

 そして、美青年のザフティゴに惹かれるのはわかるものの、その次に自分のような冴えない男に急に方向転換したのも納得がいかない。


 ……なるようになれ。


 半ばやけくそでルーカスは次の日の朝、神殿の書庫にその歌を提出した。





















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