甲斐さんは甲斐性無し?

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甲斐さんは甲斐性無し?

 物事をやり遂げる気力、根性がある。働き者で頼もしい性格。経済的な生活能力が高い。


 一般的に「甲斐性」などと検索すると、上記のような解説に辿り着く。

 昨今、ジェンダーなんちゃらで、男らしいだの女らしいだのと言ったカテゴリ分けも衰退しているため、男性の甲斐性などといった、昭和の理想的な旦那様像も廃れているかと思いきや、俺の知る限り、少なくとも俺の周辺では、この甲斐性という言葉と託されるイメージは、生きている限り終わりは無い。


「甲斐さん」

「将さん」


 仕事中に呼びかけられる呼び名は、苗字か、名前か、愛称とかなのだろうが


「お~い、甲斐将」


 とフルネームで呼んでくる人たちの多くは、昭和生まれの年輩だ。


 入社して10年近くもなれば社内で揶揄されることも少なくなったが、仕事先での名刺交換、新人研修などでは今でも驚かれるか「名は体を表しますね」といった、どう上手い事言ったでしょ?的な返しをされることも少なくない。

 ちなみに「名は体を表しますね」的な事を言った人の数は10人を超えている。意外と考えることは皆同じなのだ。


 親を恨んだことも少しはあるが、そんな家庭内騒動の過程で親に言われた


「とりあえず努力して、名実共に甲斐性のある男になって、それでもまだ文句があるなら言って来い」


 という言葉にとりあえず納得し「甲斐性のある男」を指針に生きてきた。


 今にして思えば、両親も上手い逃げ方をしたもんだ。

 もっとも具体性に欠ける目標だなと気付いたのはずいぶん後で、目的を達成するには何らかの具体的な指標が必要だと悟ったのだ。

 改めて親に確認したところ、そんなやり取りの事をすっかり忘れている気配もあったが、そこはさすがに年の功。三つの具体的な目標を提示してきた。


 一つ目は、自分で自立できるだけの所得を得る事。

 二つ目は、自分の立ち位置を明確にする事。

 三つ目は、地域、社会に貢献する事。


 初めこそ、ちっとも具体的な目標になっていないんじゃ?と憤りもしたが、何のことはない、まっとうな社会貢献に繋がる仕事に就いて、きちんと仕事をして給料を稼ぎ、しっかり納税すればいいのかと、勉強し、就職活動し、今の会社に就職した。


 とてもやりがいのある仕事に巡り合えた幸運もあって、いつしか自分の名前に対するわだかまりや、親との約束も、今の充実感に至るための必要なイベントだったんだなぁと、しみじみ思うようになった。


 厳密に言うと、未だ独身の身であるために両親と同居しているが、家賃と食費で月に10万円は入れているので、まあ大目に見てもらおう。

 言い訳をする訳ではないが、後々の為にと二世帯住宅にしたのは両親であり、その費用の一部も負担し、結果的に、食事も、風呂も、洗濯も、生きるための家事は自分でやっている。



 さて、なんでこんな長々と自分を振り返っているかというと、俺のアイデンティティである「甲斐性」が脅かされているからだ。


「せんぱい」


 背中から声を掛けられる。

 見るまでもないが、確認しないと怒られるのでわざわざ振り向き、休憩室に入って来た人物に応対する。


「おう」


「なんですかその、自分のアイデンティティを見つめ直すような遠い目は」


 すげえなこいつ。


「…どんな目だよ」


「そんな目ですよ」と指を差してくる。


「佐藤さん、人に指を差してはいけません」


「研修の時、さんざん私たちに指を差しまくっておいて…大体せんぱいは、後ろ暗い事があるとすぐ敬語になるんですから気を付けてくださいね」


 新人講習時のスパルタ指導を未だに根に持っていらっしゃる。


「敬語を使わないでスムーズに生きられるとこって日本にあんの?」


「知りませんけど、少なくとも私とせんぱいの二点間にはありませんね」


「…はあ、そうですか」


 二点間が、最短の直線を定義するものだと気付くのに一拍必要だった。


「また敬語!」と佐藤はぷんすかしながら俺の座っている長椅子に並んで座る。


「…で、なんか用か?」


「せんぱい、栄転の返事、まだしてないんですか」


「なんで開発の人事を営業が知ってんだよ」


「こんな田舎の事業所、人の噂話が大好きな人がいっぱいいるじゃないですか。それに、全然悪い話じゃない、すごく良い話じゃないですか」


「…どっちにしても影響が出るからな、あんまり知られたくなかったんだよ」


 俺は冷たくなった缶コーヒーを一口飲む。


「どっちにしてもって、向こうに行けばこっちの事なんか知らぬ存ぜぬでいいじゃないですか」


「なに怒ってんの?」


「怒ってません!だいたいなんで悩むんですか。あんなに言ってたじゃないですか『俺はいつか本社に異動してみせる』って」


「…微妙な口真似はヤメテクダサイ…」


 ちょうどこいつらの新人指導していたころの話だ。数年前なのになんだかとっても黒歴史に感じるのは、いくつかの成功と、人間関係のおかげだ。


「最近のせんぱいって昔ほどギラギラしなくなりましたよね」


「…甲斐性が薄くなったんだろ」


「ぷ、うける。ていうか、せんぱいが自虐ネタって…どんな心境ですか?まるで本社から栄転の打診を受けてもっとバリバリ仕事ができる環境に行けるけど今のど田舎の事業所が心地よ過ぎて更にこんな可愛い後輩と離れがたくて葛藤してるように思えるんですが」


「なあ、どっかに台本でもあんの?」


 こいつはなんで俺をいじる際、こんなに頭と口が回るのか。


「…否定しないんですか?」


「何を?」


「今の台本読み」


「あ、ああ間違っちゃいないからな」


「言質取りましたよ?」


 可愛いの件のことか。


「お前の事を可愛いと言ったのは初めてじゃないだろうが」


「ちょっ、そういうのホント、あ~もう!」


 佐藤は席を立ち、自動販売機に向かう。


 二十歳過ぎの小娘のあしらいなんぞ一般的な社会人の常識スキルだぞ?

 毎回毎回面白い反応するから良い息抜きになってるのは事実だ。


 それにしても、鈍感系主人公などという言葉もあるが、世の中はそんなに簡単にできていない。

 歳を重ねる毎に、コミュニケーション能力が身に付き、つまりは建前で生きる時間が増えると、自分の自己評価よりも一段上の人物像が出来上がる。

 そんな社会性という仮面を被った大人たちは、それを自覚できない若手には、思った以上に補正がかかって良く見えるもんだ。


 そんな憧れめいた想いをぶつけられたのだって幾度かあるが、俺がそういった関係に興味を示さずにいると、他の対象に切り替えて行った。


 外面ではなく、内面をさらけ出すような場面は、仕事場ではなかなか出せやしない訳で、そんな頑なさが29歳にもなって一人でいる理由なのかもしれない。


「なんですかその、どっかにいい人がいないかな~って顔は」


 ペットボトルの紅茶を手に、再度隣に座り直し佐藤が言う。


 …すげえな、こいつ。


「…どんな顔だよ」


「そんな顔ですよ」と指を差してくる。


 こいつとのやり取りはとても楽しい。言うなれば、部活の先輩後輩の関係か。色恋抜きで軽口の叩ける相手がいるってのがとても貴重な事なんだと、いつの頃か思うようになっていた。


「ま、でも、あながち外れてもいないんだがな」


「探しているんですか?いい人。あ、まさか本社の異動をごねているのって、一人暮らしに不安があるとかですか?」


 こいつ。


「佐藤さん。君は本当は、いや、なにその、人の心が読めるとか?」


「なんですそんなもじもじして気持ち悪いですね。大体、読心術なんて、そんな訳ないじゃないですか非科学的な。せんぱいが、とっても、わかりやすい、だけです」


 一節ごとに区切って言うな。


「…何考えてるか分からないとか、鉄面皮とかはよく言われたんだがな。そっか顔に出るのか…ちなみに、なんだ、目の動きとか皺の本数なんかで分かるのか?」


「知りませんよそんなの。それにせんぱい前に言ってたじゃないですか。仕事を始める前に、その仕事の位置関係、目的と目標、結果の評価基準など、知らなきゃならない情報はできるだけ把握しろって。そうすればその仕事がちゃんとどうすればいいか教えてくれるって」


「…言ったか?そんな事」


「言ったんです。ちょっと感動したんです。せんぱいが忘れたって私は忘れませんからね」


 あ、思い出した。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」的な話と絡めて話をしたんだった。確か、顧客が明示しない情報を引き出すためのアドバイスでもあったな。


「…歳取るとな、忘れっぽくて」


「まだ29歳が何言ってんです。それで、本当に一人暮らしに悩んでいるんですか?」


「…あのな、男にはな、矜持っていうか、それこそ甲斐性っていうかな、あの」


「せんぱいって二世帯住宅で、ほぼ一人暮らしですよね。家事もちゃんとやってるって」


「あぁ、まぁそうだな…」


「じゃあ、何がネックなんですか?」


「あ、え~と、それはだな…」


 何だろうこの負け戦感。何をやっても追い込まれる感じなんだが。


「…まさか、ひょっとして」


「さ、さて冗談は抜きにしてそろそろ仕事に戻るかな」


 これ以上こいつと話をしていたら、全部の皮を剥かれてしまう。

 オレは立ち上がり、伸びをして、じゃあなと手を振り歩き出す。


「……」


 佐藤莉莉さとうりりは何か言いたそうな顔を向けていたが、それ以上何か言葉を発することはしなかった。


 サトリ、か。

 人の心を読む妖怪を思い浮かべるが、妖怪と呼ぶには可愛過ぎて名前負けするよなぁと、自分の事を棚に上げて苦笑する。



 翌日の金曜日、部長に呼び出された。

 保留にしている異動の結論を急かされ、翌週の月曜日には回答するよう厳命された。


 帰社時、少し憂鬱な気持ちのまま駐車場の愛車に向かう。

 この時期、もう夕闇に染まった空にはいくつもの星が瞬いていた。

 本社に行くと、こんな星空も見れなくなるのかなと感傷的になる。


「せんぱい」


「ヒイィィィィィィ!…なんだ佐藤か…脅かすなよ心臓に悪い」


 左腕のスマートウォッチが異常心拍のアラームを伝えてくる。すげえな最新技術。


「…普通に声掛けただけじゃないですか、せんぱいって、意外に怖がりですよね?」


「べ、別に怖がってなんか…つーかどうした?なんか用か?」


「結論、出ました?今日、山本部長に呼ばれてたでしょ?」


「お前ホントによく知ってんね。あ~来週の月曜までに結論出せとさ」


「じゃあまだせんぱい的には検討中なんですか?」


「ん~正直どうしたらいいのか、決めかねている」


「せんぱい、とりあえず寒いので車に乗りません?ついでにお腹が空いているんですが何か食べさせてくれませんか?」


 と、さっさと助手席側に回る佐藤。


「お前、社内で噂されるの嫌とか言ってたんじゃなかったっけ?」


 多くの男性社員が、飲みに行くどころか、食事もカラオケにも辿り着けないとぼやくのを何度か見てきた。


「へたれのせんぱいにアドバイスして、その代価に食事をするだけです。これはビジネスですよ」


「あ~はいはい」


 ずっと外で寒いのは本当だ。

 俺はともかく嫁入り前の娘さんに風邪でも引かせたら大変だ。

 車の鍵を開け促す。


「ふふふ、やっとせんぱいの車に乗れた」


 佐藤はニヤニヤして車内をきょろきょろ見回している。

 スターターボタンを押し、エンジンを掛ける。


「で、何を食いたいんだ?あ、最初に言っとくが「何でも」とか「お任せ」は無しだかんな」


「この街のせんぱいのお勧めを知っておきたかったんだけどな…ま、いいや、清勝軒に行きましょう!」


 最寄りのラーメン屋だぞ?ちなみに今日の昼もそこだ。


「…そんなんでいいのか?」


「私に任せたんだから文句言わないでください」


「ま、いいけど…」


 車で5分もかからない。

 ま、この距離ならドライブをしたなんて既成事実にもなるまい。

 変な噂が立つのは、俺はともかく、こいつには不本意だろうしな。


「髪の毛とか落ちてませんね」


「そいうのやめて、人なんか乗せたの久しぶりなんだから」


「…別に女の長い髪なんて言ってないですけど?」


「あ、別にそんな事思って無いけど」


「つまり、あるはずのないものがあったら困るじゃなくて、怖い…」


 こいつ!


「……」


「先輩は怖がり。だけどイメージを守りたい。アイデンティティの喪失というのは、怖がりな自分は果たして甲斐性無しなのかという点…」


「分かった。降参だ」


 俺はラーメン屋の駐車場に入りながら、いろいろと観念した。



「つまり、人の気配が無いと怖くて仕方がないと」


 顔見知りの店主に聞かれたい話でもないので、遠く離れたテーブル席でラーメンをすすりながら名探偵の推理を聞いている。


「最初に自覚したのは、出張に行った時だ。辺鄙なところでな、夜には旅館の前の道にすら車が走らなかった。国道だぜ?」


「でもさすがに一人じゃないでしょ?旅館の従業員だっているだろうし」


「知らない人だとダメだったな。そいつがもし地球人に化けている宇宙人か妖怪だと思うとさ、もうダメ。部屋の明かり全部つけっぱなしで熟睡なんてできなかった」


「宇宙人…で、ご自宅ではご両親が住んでいるから大丈夫なんですね」


「ああ、住み慣れているってのもあるし、国道も近くて、トラックの走行音がとても心地良くてな。あ、出張で最高だったのは、大阪の高速道の横にあるホテルで、爆音が本当に、一人じゃないんだって嬉しかったよ」


「…堰を切ったようにって言いますけど、ぶっちゃけ過ぎですよね」


「ああ、なんかすっきりした。悩んでいたのがバカバカしくなるな!」


「…すごくいい笑顔で言ってますけど、問題はまったく解決してませんよ?」


「ぐぬ…そうだった」


「…一人じゃなければいいんじゃないですか?」


「え?両親連れてくの?そりゃ無理だ」


「……そりゃあ、色々と、無理でしょうね…」


 佐藤はそれきり黙りこみ、何となく目の前のラーメンを片付けることに集中した。


 あのな佐藤。誰かと一緒に住むってのは簡単な事じゃないって、そのくらい俺にだって分かってる。


 会計の際、ニヤニヤする店主に見送られ店を出た。

 冬に差し掛かる夜の風は、昼間以上に冷気の質を上げているようで、温まった体がたちどころに冷えて行く。


「せんぱい、提案があるんですけど」


 車に乗り込んでエンジンを掛けると、佐藤は意を決したようにそう言った。


「…なんだ?」


「えっと、その、つまり、…私を雇ってみませんか?」


「……え?」


 こんな雰囲気だ。いくつか想定したどの言葉とも違うセリフが飛んできた。


「だから、同居人というか、メ、メイドとか?」


「なんで疑問形なんだよ」


「だって……」


「それにさ、なんでお前はそんな提案をしてくれるんだ?」


「だっ!…て、そんな…なんでそんなニヤニヤしてるんですか!この、甲斐性無し!」


「悪い悪い、お前があまりにも可愛かったもんで」


「だぁ、から、不意打ちやめてよ…もう分かりました。会社に戻るまでの時間でたっぷり堰を切らせていただきます!覚悟してください!」


 俺は笑いながら車を出す。

 内面をさらけ出したこの後輩の前で、今後どれだけ甲斐性が保てるのか不安になると同時に、きっとそれは、楽しいだろうなと確信していた。


 

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