第3話 公園


 二つの刃は、真っ直ぐに私の心臓目掛けて落とされる。ドスリ、鈍い音。それから、わずかな異物感。不思議なことに痛みはないが、苦しまずに済むのなら救いとも言い表せるだろう。

 ああ、こんなわけのわからない国で……くだらないゲームで、私は死ぬのか。


「……さて、ここで問題だ。ハンプティ・ダンプティの持つナイフで心臓を貫かれたアリスは、その後どうなったと思う?」


 突然、煙のようにゆらりと目の前に現れたムカつく悪魔は、こんな時でも呑気な声で茶化すような事を言う。「死なないように協力する」と宣っていたクセに、その結果がコレだ。


「……最っ低!」

「はっ。褒めてくれてどうもありがとう」


 片手で口元を覆い隠し、愉快そうに喉を鳴らして笑うサタン。また殴りかかってやりたい衝動に駆られるが、先ほどからどうにも体が言う事を聞かない。

 そして、双子も私も時が止まっているように思えるのだが、私が今サタンと会話している場所は、いわゆる死後の精神世界とやらなのだろうか?


「私、死んじゃったのね……」

「悪い方向にばかり考えるのはよくないな」


 目の前にあったはずの彼の姿が消えたかと思えば、背後から降ってくるサタンの声。彼が片手で私の頭をポンと撫でると、

 

(……あれ? なんで私は、懐かしいなんて、思って……)

 

 カチリ、どこからか聞こえた時計の針の音。

 途端に、双子と出会ってから心臓を刺されるまでの光景が走馬灯のように脳内で駆け巡り、瞬きをした次の瞬間には、私は再び進行形の元の時間へ戻って来た。

 左胸には二本の刃が刺さったまま。私に“こうした”張本人であるハンプティとダンプティは、目の前でにこにこと笑みを浮かべて立っている。

 けれど、


「な、何ともない……?」

「当たり前だ」


 そこでようやく、私は背後からサタンに抱きしめられているのだと気がついた。

 彼がナイフのハンドルに触れると、それは意思を持っているかのようにゆっくりと私の体から抜け出し、バラバラと音を立てて細かい破片となり崩れ落ちる。かと思えば、それは一瞬でトランプに変化して、鳩が舞うように束となりサタンの手元へ戻って行った。

 まるで、マジックを見せられているような気分だ。


「死なないように、協力してやると言ったはずだ。俺は、嘘は吐かない」


 サタンは両手でトランプをシャッフルさせつつ、つかつかと私の前へ歩み出ると、似合わない微笑みを浮かべて私の顔を覗き込んだ。


「怪我はないか? 俺のアリス」

「え……ええ、まあ」


 俺の、という言葉が引っかかるものの、一応は助けてくれたのだから何も言わない事にしましょう。

 すると、今まで静観していた双子が、お互いに手を繋いだまま頬をぷくりと膨らませて不満げな声を漏らす。


「つまんないの!」

「のー!」

「もう少しで、」

「「アリスを助けることができたのに!」」

「余計な事しないでよ!」


 二人はサタンをひとしきり睨みつけた後、スキップするような足取りで私の両隣へやって来て腕を組み、向日葵のような笑顔と共にこちらを見上げた。


「私達はもうジョーカーじゃなくなっちゃったから、」

「残念だけどアリスを殺せない」

「でも、死ぬ時はどうか」

「「私達の手にかかって死んでね、大好きなアリス」 」

 

 

 

 ***

 

 

 

「後で助けに来るくらいなら、はじめから側にいてくれたらいいのに」

「それは難しい相談だ。俺にも色々とやる事がある」

「……人一人の命よりも優先させなければならない、その『やる事』とやらが知りたいわね」


 悪意を持って嫌味を投げつけてやるが、隣を歩くサタンは前を向いたまま顔色一つ変えない。先ほど見た微笑みは幻覚だったのではないかと疑いの眼差しで凝視していると、サタンは短く「着いたぞ」と言って足を止めた。


「つ、着いたぞ、って……ただの公園にしか見えないのだけれど」

「ああ、そうだ。公園だな……ただの」


 彼は相変わらず無表情のまま、「ただの」という言葉だけを意味ありげに強調する。

 はっきりと意図を伝えない曖昧さに苛立ち、眉間にシワを寄せ睨みつけてやるが、サタンはクスリと小さく笑ってから影に溶けるようにふわりと姿を消してしまった。いや……煙に例えた方が近いだろうか。


「逃げたわね……」


 次に会った時は、あの長い髪を力いっぱい引っ張ってやるわ。それくらい許されるはずよ。

 仕返しを心に決め、恐る恐る公園に足を踏み入れる。目に入ったのは、長方形の大きなテーブルと、その上に乱雑に置かれた大量のティーカップやティーポット、お皿にフォーク、スプーン。それから、椅子に座っている三人の姿。


「何をしているのかしら……」


 辺りは目立つ灯りも無く薄暗いうえに、ここは屋外にある公園。よく見れば、椅子に腰掛けている三人のうち二人は幼い子供に見える。

 関わってはいけない。

 直感でそう思い、踵を返そうとした。瞬間、背後で青年のような声が響き渡った。


「アリス……? アリスだよね!? アリスだ! やっと帰って来てくれたんだね!」

「うるさい。叫ぶな」

「帽子屋はいちいち細かいんだよ……さあアリス! どうぞこちらへ!」


 声の主だと思われる青年は、ものすごい速さでこちらへ駆けて来ると、これまた有無を言わせぬ速度で私の腕を掴み、自身が先ほど腰掛けていた席まで引きずって行く。

 抗議する間もなく椅子に座らされた私を見ながら、青年はティーカップになみなみと紅茶を注ぎ、太陽にも似た眩しい笑顔と共にこちらへ差し出してくる。

 先ほど青年から『帽子屋』と呼ばれていた少年は、帽子のつばと前髪の間から瑠璃色の瞳をチラリと覗かせ、仏頂面でこう言った。


「おかえり、アリス」

 

 おかえり……?

 

「ずっとずっと! ずーっと、アリスが帰って来るのを待ってたんだよ!」


 茶色い髪の生えた頭から同じ色の兎耳を生やした青年は、ニコニコと笑顔を絶やさず言葉を紡ぐ。


「う、嬉しそうね……」


 人違いだというのに。

 なんせ、私がここに来たのは今日が初めてだ。


「当たり前だよ! もちろん嬉しいよ! 俺は、アリスのことが大大大、大っ好きだからね!」


 頬を朱に染め、微笑みながら声を弾ませる兎の青年。なぜなのか、彼にそう言われると悪い気がしない。

 つられて口元が緩むと、青年は私の手を握りやんわりと力を込めた。


「ああ、本物のアリスだ……懐かしいアリスの体温、アリスの感触……アリスの匂い。本当に本物のアリスだ……」

「……イカレウサギ、食うなよ」

(食べ、る……?)

 

 ゾクリと、背筋に悪寒が走る。

 よく見れば、帽子屋と呼ばれた彼の左頬にはスペードのマーク、イカレウサギと呼ばれた青年の右頬にはクローバーのマークがある。

 そういえば、先ほど私を殺そうとした双子の右頬にも、同じようにトランプのマークが刻まれていた。

 そう、確か……

 

(スペードの、マークが、)

 

 気づくと同時に、握られていた手を振り解き、椅子から飛び退いた。そんな私を見て、イカレウサギは悲しげな表情を浮かべ兎耳をぺたりと倒す。


「あ、アリス……? どうしたの? 紅茶は嫌いだった?」

「あ、あなた……たし、を……私を、たっ、食べる気、なんでしょう……?」


 込み上げる恐怖から声が震えた。

 ガクガクと膝が笑いだし、立っているのもやっと。けれど、のんびりしている暇はない……今すぐここから、逃げなくては。


「大丈夫だアリス。俺もイカレウサギも、今はジョーカーじゃない。ジョーカーでない時にアリスを殺せば俺達も死ぬ、それがルールだ」


 いったい何が『大丈夫』なのかさっぱり理解ができない。つまり、ジョーカーであれば私を殺し食べると言う意味でしかないではないか。

 いつ、この三人の中の誰が偽物ジョーカーになるかもわからないのに、どこに安心できる要素があるのだろうか。


「アリス……」

「ひっ!」


 今まで黙っていた三人のうちの一人――黒いコートを身にまとい、黒髪から動物のような耳を生やして、長い前髪で目元を隠した小柄な少女。

 彼女はいつの間にか私の真後ろに立ち、ぎゅっと服のはしを掴んでいた。

 

「残念だったな、イカレウサギ。今は、ネムリネズミがジョーカーだ」

「ああ、羨ましいなあ……いいなあ……」


 ネムリネズミと言うらしい彼女は、前髪の隙間からちらりと覗く若葉色の瞳で私を見据え、一瞬たりとも目線を逸らすことなく淡々と話し始めた。


「アリスは……僕を、虐めた」

「……え?」


 突きつけられた内容に驚きを隠せない。

 私が、虐めた?この子を?


「……アリスは、僕の顔を見て醜いと言った。アリスは、僕の体は汚いと突き飛ばした。僕をぶって、大嫌いだと怒鳴った」


 ネムリネズミの瞳が、私を捕らえて逃がさない。

 彼女の語る、私の記憶には欠片も残っていない発言と行動。全て、初めて聞かされる話だった。

 まったく身に覚えの無い、潔白の罪……そのはずなのに、心臓が嫌な音を立てるのはどうしてだろうか。


「わ、私……そんな、こと……」

「忘れたとは言わせない……言わせないよ、アリス……」


 蛇に睨まれた蛙のように体を動かすことができず、本心では今すぐこの場から逃げ出したくて仕方がないのに、勝手に動き始めた唇が何か言いたげに開閉する。

 ネムリネズミは息がかかるほどの距離まで顔を近づけると、無機質な声で低く短く呟いた。


「アリス……僕は、アリスを許さない……」

「ひ……っ!」


 瞬間、今まで体の動きを封じていた金縛りのようなものが解け、ずりずりと後ずさる。

 そのままネムリネズミ達に背を向けると、出せる限りの力を振り絞り無我夢中で走り続けた。

 追いつかれないように……あの瞳から、あの声から、あの場から。とにかく遠くへ逃げなければ。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 少しして恐る恐る首だけで振り向けば、米粒のように小さくなったネムリネズミ達の姿が遠くに見えた。


「アリス、アリス……あの人の……大事な、大事な……特別な、アリス……」


 ネムリネズミの呟きは、今のアリスには届かない。

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