第47話 嘘吐きネズミ

 君は、僕――ネムリネズミのことが大嫌い。


(それは仕方のないことだから、僕は怒ったりなんかしないよ)


 だって僕は、君のことが大好きだから。


(君の『大嫌いな自分自身』が生きる足枷になるのなら、僕が喜んで背負うよ。アリス)


 僕の望みは、君の幸せ。

 僕の願いは、君の笑顔。


 けれど……愛おしい君の口は、僕に「嫌いだ」と吐き捨てる。

 それでいいんだよ、大丈夫。君が僕を嫌うのは、当然なのだと“ネムリネズミ”はよく知っているから、大丈夫。自分を責めなくていいんだよ、アリス。


(ああ、でも……アリスが僕を見ることで辛い思いをするのは、全然『大丈夫』じゃないや……)


 それなら僕は君のために、嘘を吐く薄汚いネズミになろう。


(大嫌い、大嫌い……)


 ――……僕は、アリスが大嫌い。




 ***




「いやっ……!!」

「……!?」


 バチン。

 渇いた音を響かせて、僕の差し出した手は弾かれる。


「アリス……」




 ***




 僕はこの世に生まれ落ちた時、こんな立派な人間の体なんて持っていなかったし、この不思議の国の住民でもなかった。

 元はアリスと同じ世界に居て、その時の僕はただの野ネズミとして生きていたのだけど、僕はのろまで頭が悪いから、


(もう、死んじゃうのかな)


 自分の体より何倍も大きいカラスに突かれて、いじめられて。自然において自力で逃げられないほどの怪我を負うということは、直結で死を意味する。

 弱肉強食の世界では、弱いものが淘汰されるのは当たり前だからだ。


 でも、


「よわいものいじめしちゃ、だめ!」


 はっきりと『死』を覚悟していた、あの時。


「ネズミさん、けがしてる……かわいそう」


 アリスが、僕を助けてくれた。

 僕の命を、救ってくれた。

 たった“それだけ”かもしれないけど、僕が君を大切に想う理由なんて“それだけ”で良いと思うんだ。



 ***




 あの日からずっと、アリスは僕の中で『命の恩人』なんて言葉じゃ足りないくらい大きくて、尊くて、眩しい存在でい続けている。

 だから……この国に来て割り振られた『役割』というものを説明された時、


(僕が、アリスの『嫌いなアリス』……? 僕が“そう”なれば、アリスはもう苦しまなくて済むのかな……?)


 やっと、アリスの役に立てる――恩返しができるのだと思うと、嬉しくてたまらなかった。


 アリスが初めてこの世界に来てくれた日のことは、今でもはっきりと覚えている。

 だって、またアリスに会うことができた時、踊りだしたいくらいとてもとても嬉しかったから。

 でも、


「ねむり、ねずみ……?」


 アリスは――そうじゃなかったね。

 僕に会ったことが「嫌だ」なんて、そんな生易しい感情じゃなかったんだろうね。ううん……まず、きっと根本から違っていた。

 アリスにとっては「出会った」んじゃなくて「出会ってしまった」という、絶望にも似た感覚だったのかもしれない。


(そうだ、だって……僕は、)


 僕とは、まるで正反対。

 君の心は、違うんだ。


「さわらないで!」


 空色の瞳に涙をためて、小さなアリスは叩きつけるように叫ぶ。


「ネムリネズミなんて……きらい、きらい……! きたない! かおも、だいきらい!!」


 幼い心の中にあるのだろう辞書の、少ないページを必死でめくり、精一杯の罵倒の言葉を羅列していく大好きなアリス。


(……ああ、そっか)


 アリス、アリス。バカなネズミでごめんね。

 僕は自分の『役割』を、都合が良いようにしか解釈できていなかった。


(……そうだ、当たり前だ)


 そう。その目が『僕』を映した時、拒絶反応を起こすのは当たり前のことだと、どうして今の今まで気づけなかったんだろう?


(ごめんね、アリス……上手く役に立てなくて、ごめんね)


 アリスに弾かれた手は行き場を無くし、どうすればいいのかわからない。


「ネムリネズミなんて、だいきらい!」


 ごめんね……それでも僕は、アリスのことが大好きだよ。


「こっちにこないで!」


 ねえ、アリス。あの時、助けてくれてありがとう。

 それだけはどうしても伝えたくて、この体になってから人間の言葉をたくさん勉強したんだよ。


「さわらないで! きたない!」


 それじゃあほら、毎日ちゃんと体を綺麗に洗うから。


「きもちわるい! かおもみたくない!」


 アリスの小さな手が、僕の……頬を、腕を、体を叩く。でも、痛いのはきっとアリスの心だ。


(こんな僕が……アリスのことを大好きで、ごめんね)


 アリス、アリス……君がどんなに『アリス』のことを嫌っても、


「……アリス、」


 僕はアリスのことが、


「……大嫌い……」


 世界で一番、大切だよ。


「僕は……アリスなんて、大嫌い」


 嘘だよ、ごめんね。大好きだよ。

 本当は、何よりも誰よりも愛おしくてたまらない。


(でも、僕は……アリスのそばに、いちゃいけない)


 僕がアリスを愛することで、君を傷つけているのなら。

 僕がアリスに手を伸ばすことで、君を苦しめているのなら。

 それなら僕は……君がもう傷つかないように、いつでも笑顔でいられるように。君に嫌われる嘘吐きネズミを演じるよ。


(ねえ、アリス)


 もう、アリスに近づかないよ。だから、


「……アリス……」


 ――……お願い。どうか……世界で一番幸せだって、笑って見せて。

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