第3話「英雄を見送る者」


半年が経った。

 特訓と称したアイロとの稽古は、毎日のように続いている。一日たりとも手入れを怠らないムトの剣と、アイロの剣がぶつかり合う度、鋭く火花が散る。その激しい応酬を、訓練場にて勤める兵士たちは固唾を呑んで見ていた。

 アイロの剣を下から弾き飛ばし、姿勢を崩す。すかさずムトは飛び跳ね、体重を乗せた剣を振り下ろす。かろうじて受け止めるアイロだったが、その威力に片膝をついた。

「そこまで!」

 そう叫んだのは兵隊長だった。「見事だ、ムト」と歩み寄る。

「まさか、わずか半年でアイロに膝をつかせるとはな。そこらの牙獣ではもうお前の相手にならないだろう。そこでだ、我々と共に戦う気はないか?」

ムトは苦笑し、「やめてくれって。おれ、兵士なんて柄じゃないし」

「だがな……」

「ムトの言う通りだ。こいつに兵士は向いてないさ」

 立ち上がりかけたアイロに、とっさにムトが手を差し伸べる。アイロはそれをやんわりと手で抑え、「強くなったな、ムト」

「だが、まだ甘い。お前はこれまでに一度だって、俺の足を狙わなかったな。なぜだ?」

「なぜって……そんなことできるかよ。兄貴の足を狙うなんて、卑怯者のやることだ」

「そこがまだ甘いというんだ。いいか? 戦いは時に非情さも必要になる。物事を成し遂げるには覚悟が必要だ。どんな手を使ってでも成し遂げるという、強い意志がな」

「……でも、おれはやっぱり嫌だよ」

「ムト」

「兄貴の言うこともわかるさ。でも、それで勝てたとしても、ちっとも嬉しくない。おれは……あんな奴みたいになりたくないんだ」

「……そうか」

 アイロが吐息をついたその時――ムトがはっと目を見開いた。

「隊長! 今、何時!?」

「うん? もう正午だが……」

「やべぇ、買い出し! おかみさんとミルに殺される! また後でな、兄貴!」

 剣を鞘に戻しながら、慌しく走り去っていく。

その後ろ姿には兵隊長も苦笑し、「確かにまだ甘いな」

「しかし、つくづく惜しい。だが、竜を倒すにはまだ厳しいかもしれん」

「そうだな。まぁ、その時は俺もついていくさ」

 兵隊長は目をしばたたかせ、「お前がそんなことを言うとはな」

「あの小僧……いや、ムトのおかげでお前も変われたってことか」

「……そう、かもな」

 ふと、兵士たちの動きがすっかり止まっていることに気づいた兵隊長は、「何をしている!」と声を張り上げた。

「あんな子供がアイロに膝をつかせたんだぞ! お前たちも負けずに励まんか!」

 その一喝に兵士たちは慌て、それぞれ訓練を再開した。

「まったく」とつぶやく兵隊長の傍ら――アイロはムトの走り去った方向を見つめ、誰にも聞こえない声でつぶやいた。

「本当に強くなったよ、お前は」


 買い出しが終わり、城下町の真ん中にある噴水にて、ムトはばったりミルと合流した。それから二人は〈のんびり〉に向かって、肩を並べて歩いていく。

「キャンセルの人が二人出たんだって」

「そうなのか。でも、すぐに埋まるだろ?」

「うーん、どうだろ。竜のせいで皆、すっかり怯えてるし」

「そっか、確かにな。おかみさんにとっても悩みの種だな」

 そう言うと、ミルはムトの横顔をじっと見上げた。半年前までは同じくらいの背だったのが、今ではすっかりムトの方が高くなっている。今、ムトを見つめるその眼差しは、半年前とは明らかに質が異なっていた。

ムトは落ち着かない様子で、「なんだよ?」

「ううん。少し前なら、『おれが竜を倒してやる!』なんて言ってたなって思っただけ」

「……言うなよ、恥ずかしいから」

「ふふふ。……ねぇ、ムト。今でも〈英雄〉になるって夢は変わらないの?」

 ムトは一瞬言葉に詰まり、「どうなんだろうな」

「正直なところ、今の生活が気に入ってる。兄貴と特訓して、〈のんびり〉で働いて、町の皆と仲良くして……〈英雄〉になるのがどうでもよくなったってわけじゃないんだけど、でも……このままでもいいのかも、と思ってる自分がいるんだ」

「そうなんだ。煮え切らないねぇ」

「わかってるよ。だからどうしたらいいのか、ちょっと迷ってんだよ」

「ふぅん……」

 大通りから小路に差しかかろうとしたところで――城門から荷馬車が飛び出してきた。見れば荷車には、おびただしい傷を負ったギムが乗せられている。

 ムトとミルは互いに顔を見合わせ、すぐさま駆け出した。

「どうしたんだ?」と馬車主に尋ねると、彼は渋面を作った。

「竜にやられたんだよ。なんでも、見えない爪に切り裂かれたらしい」

「見えない、爪……?」

 ギムを見ると、確かに鎧がずたずたで、盾も剣ももはや見る形もなかった。

 荷馬車の周囲に人々が不安げに集まってくる。彼らをかき分けるようにして、厳めしい顔をしたカナエが出てきた。

「もしかしたらそいつは、〈星竜(せいりゅう)〉かもしれないね」

「〈星竜〉? なんのことだ、おかみさん?」

「おばあさんから聞いた話だよ。なんでもはるか昔、空から無数の〈星〉が降ってきたという。その〈星〉には尋常じゃない力が込められているんだ。もし、本当に竜が〈星〉を得たんだとしたら、もはや誰にも太刀打ちできないかもしれないね……」

「そんなことはどうでもいい!」

 いきなり怒鳴り声を上げたのはギムだった。荷車からかろうじて身を乗り出し、怒りと憎しみのこもった目をカナエに差し向けている。

「お前のせいだ! お前が宿屋に泊めてくれなかったからだ! せっかく育てた手下も、武器も防具も全部やられた! こうなったのは全部、お前のせいだ!」

 ひたすら罵るギムを前に、おかみさんは眉間と口とをきつく結んだ。

 その横顔を見たムトは、二人との間に割り込んだ。「どいてろ、クソガキ!」とギムが手を振るも、微動だにしない。

「違うだろ。あんたが負けたのは、おかみさんのせいでもなんでもない。あんたに力がなかった。それだけの話だ」

「なんだと、このガキ! 誰に向かってものを言っている! 俺は〈英雄〉だぞ! 数々の魔獣を討ち倒して、国から正式に認められた、誇り高い……」

「今のあんたを、誰が〈英雄〉って認めるんだ?」

 はっとギムは青ざめた。人々から向けられた目は、あまりにも冷たかった。その視線を振り切るようにムトを睨みつけるも――毅然とした彼の目に、怯えをあらわにした。

「――く、くそっ、くそっ! もういい、馬車を出せ! 早くしろ!」

 弾かれたように馬車が走り去っていく。

それを見た人々は、「あれが〈英雄〉かよ……」と失望の声を漏らした。

「大丈夫か、おかみさん」

 ムトの呼びかけで、カナエはようやく我に返った。

「あ、ああ……大丈夫さ! あたしはそんなヤワじゃないよ! さぁ、仕事だ仕事!」

 腕をぶんぶんと回し、豪快に笑いながら〈のんびり〉へ戻っていく。

 ふと、ミルが不安げにムトの袖を引っ張っていた。その目が何を訴えたいのか、ムトには手に取るように理解できた。

「わかってるよ。でも、おれたちはおれたちにできることをやらないと。だろ?」

「うん、そうだよね……」

 二人はカナエの後を追いかけたが、その足取りは重かった。


 その夜も、カナエは教会に行っていた。

〈のんびり〉の前でムトが待ち受けているのに気づき、苦笑する。

「昼間はみっともないところを見せちゃったね。そんな顔をしないでおくれよ、ムト。……そうだ、気晴らしに何か酒でも飲もうかね。あんたも付き合いな」

「え……? いや、いいのか?」

「いいんだよ。今日だけは特別さ」

 二人はそれから、食堂のカウンターで向かい合った。

カナエは二人分のグラスに果汁入りの酒を水で割り、ムトと乾杯した。それからタバコに火を点け、ふぅーっと煙を吐き出す。

「ムト。あんたにはまだ、話してなかったことがあったね」

「何をさ?」

「あたしの夫と子供のことだよ。先の戦争でね、二人とも亡くなった」

 あの時ばかりは泣いたねぇ、とつぶやく。

「神様を恨んだりもした。だからあの時、あんたを強く引き止めた。……あたしはもう、誰にも死んで欲しくないのさ」

「…………」

「仕事をしている時は、悲しみを忘れていられる。教会でお祈りしているのもそうさ。でもね、こう思う時もあるんだ。それはただの自己満足じゃないのかってね」

「そんなことないだろ。人のために働いて、人のために祈ってる。立派なことだろ」

「立派、ね。どんなに頑張っても、それが必ず報われるという保証はないんだよ……」

 ムトには何も答えられなかった。

 カナエはグラスを置き、「ムト。あんたは本当に強くなった」

「いきなり、なんだよ?」

「あたしだけじゃない。アイロもミルも町の皆も、あんたの強さを認めている。だから、約束して欲しいんだ。無茶なことだけはしないで。あんたには死んで欲しくない」

「…………」

「約束だよ、わかったかい?」

「ああ、わかった」

「それなら、いいのさ」

 再び、タバコを吹かす。その目はもうムトを見ていなかった。

 ムトはグラスの中に映る自分自身の姿を、じっと見下ろしていた。


 その翌日の朝――〈のんびり〉のロビーに、いきなりミルが飛び込んできた。

「おかみさん、アイロ、大変だよ!」

 ミルの手には一枚の紙片があり、「出かけてきます。できるだけ早めに帰るので、心配しないで下さい」と記されていた。紛れもなくムトの字だった。

 アイロはさっと血相を変え、「まさか、あの馬鹿……!」

「きっと、〈星竜〉を倒そうとしてるんだよ!」

「何を考えてるんだ!」と、壁に拳を叩きつける。

「ミル、今すぐ兵士たちに知らせろ! 俺もすぐに出る!」

「う、うん!」

「慌てるでないよ! ……ムトにはムトなりの考えがあるんだろうさ」

「だがな、おかみさん!」

「アイロ、心配するのはわかる。あたしだって、あの子がむざむざ命を捨てに行くような真似を見過ごすことなんかできない」

「じゃあ……!」

「でも、あの子の決意を無下にすることもできない。なぁに、心配いらないさ。もしかしたらただ単純に、狩りに出かけたのかもしれないしね。あたしたちはいつも通りの仕事をして、あの子の帰りを待てばいいのさ。……だろう?」

 堪えきれずにうつむいている二人を、カナエは強めに叩いた。

「さぁ、いつまでもしょぼくれた顔をしてないで、仕事だ! あたしらがそんな顔をしていたら、お客さんたちが不安がるじゃないか!」

 大げさに笑って背を向けるカナエを見、二人は視線を交わした。

「アイロ……」

「わかってる。俺も同じ気持ちだ。……おかみさんもな」

「うん」

「まずは待とう。明日になっても帰ってこなかったら、兵士たちに連絡だ」

「うん……」

 二人はそれぞれ自分の仕事に戻った。いつも通りの仕事をして、いつも通りお客さんに対応し――手が空いた時にはいつも、外を気にしていた。

 カナエも同様だった。いつもより豪快な笑い声を上げていたが、時おり沈んだ顔をしていることをアイロとミルも気づいていた。

 そして――翌朝になっても、ムトは帰ってこなかった。

 アイロは椅子に座り、両手を握りしめている。ミルは落ち着かない様子で、しきりに窓から外の様子を窺っていた。カナエはといえば、一心不乱に帳簿をめくっている。

 そうこうしている内に、受付の時間になった。

カナエは宿泊者に労いの言葉をかけ、応対していたが――不意に、外が騒がしくなった。

 ぎい、と扉が開く。

 腕には火傷を負い、頭から血を流し、傷だらけのムトが姿を現した。

「ムト!」

ふらりと倒れかけたムトを、アイロとミルが受け止める。「へへ」とムトは笑い声を立てて手を開き、血にまみれた球体の――〈星〉という名の鉱石を見せた。

「やってやったぜ。多分これが、見えない爪の正体だろ。だけど、ぶんどってやった。あのくそったれの〈星竜〉、悲鳴を上げて逃げやがったぜ」

「この、馬鹿野郎……!」

「ほんとだよ!」

「二人の言う通りだよ。本当に……大馬鹿さ、あんたは」

 カナエは二人をやんわりと押しのけ、ムトを力いっぱい抱きしめた。「いてぇ!」と悲鳴を上げたムトに、「馬鹿だ、あんたは」

「でも……立派だよ。たった一人であの〈星竜〉と戦ったってのかい?」

「あ、ああ……そうだよ。って、痛い! 痛いって、おかみさん!」

 カナエははっと手を離し、「ああ、ごめんよ」

「それよりも怪我の手当てだったね。……ん?」

 勢いよく扉が開き、町の人々が一斉になだれ込んできた。

「聞いたぞ、おかみさん! ムトが竜を撃退したんだってな!」

「とんでもねぇ奴だ!」

「ああ、ああ! すげぇよムトは! 〈英雄〉の誕生だ!」

「静かにしないかい!」とカナエは怒鳴ったが――人々は怯む様子もなく、めいめいに騒ぎ合っている。ため息をつきながらもカナエは満足げで、ミルもとうとう涙を流し、そしてアイロも不器用な笑みを浮かべている。

「聞こえるか、ムト?」

「ああ、もちろんさ」

「気分はどうだ?」

「ああ、悪くない。……なぁ、兄貴。おれ、ちゃんと自分の役割を果たせたかな?」

「十分すぎるほどだ。だが、仕事を放り出したことは許せないな」

「あ、やっぱり?」とムトはにっと笑った。

 その夜――町の人々のほとんどが〈のんびり〉で、あるいは酒場で盛り上がっていた。グルドやヤシ、兵隊長も、その騒ぎに加わっていた。あまりにも大声で騒ぐので、カナエは何度もどやしつけたのだが、それでも収まる気配がなかった。

 ムトはベッドの上で、ミルにどんな風に〈星竜〉を退けたかを語って聞かせていた。ミルはうなずき、時おり相づちを打って、ムトの話に耳を傾けていた。

 そして――ムトは〈星竜〉から奪い取った〈星〉をアルバール王国に納め、国王から正式に〈英雄〉として認められたのであった。


〈のんびり〉で働いてから一年が経った。

 ムトは屈強な戦士として、アイロと共に狩りに出かけ、今も変わらず〈のんびり〉で働いていたが――突如、竜が仲間を引き連れて戻ってきたという報せが入った。

 二人はまるで動じることなく、互いに目配せした。

「来たな、兄貴」

「ああ、行くなら付き合うぞ」

「頼むぜ。今度こそ、倒してやる」

 拳を握り込むムトに、カナエは「行ってらっしゃい」と告げた。

「気をつけていくんだよ、二人とも」

「ああ、行ってきます」

「ちゃんと『ただいま』って言うんだよ!」

 ミルの言葉に、「わかってるさ」とムトは手を上げて応えた。

 ムトとアイロはそれぞれ装備を整え、〈のんびり〉から出発した。

二人の背中が見えなくなるまで、カナエとミルはずっと見送っていた。不安を隠し切れないミルの肩に手を置き、カナエは力強くうなずいた。

「必ず、帰ってくるんだよ」


 その後――ムトとアイロは見事に竜を討伐し、その仲間をも撃退してみせた。

 二人は〈英雄〉として称えられた。そして〈のんびり〉は新たな〈英雄〉を生み出したとして、噂は本当だったのだと、その名声を確かなものとした。

 その数年後、ムトとミルと結ばれ、またアイロは狩人として、ムトと共に活躍した。

 カナエはこれまで通り〈のんびり〉で奮闘していたが――これはまた、別の話。

〈英雄〉とはなんであるか。

 その答えをムトは、確かに手にしていた。

                              完

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英雄を見送る者 寿 丸 @kotobuki222

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