020 『家族』と『恩人』
まだ体調が万全ではないアルティは、再度の休息を取る。その間千明は、洞窟の入り口から外を見張っていた。
やがてアルティがある程度回復してから、今後の方策を相談する事となる。
横倒させたアダマスティアを即席のベンチとし、2人は並んで腰かけた。携帯照明は洞窟の地面に置かれ、内部を明るく照らし出す。
千明が洞窟の外を見やって。
「ともかく、この天気が安定しない限りはここから動かない方がいいだろうな」
「でも、そうなるといつまでも動けない可能性も出てくるわね。実際2日ほどこんな天気が続いているし。いっそ博士に迎えに来て貰った方がいいのかしら?」
「いや、それは難しいと思う。オレもアルティを追って落下してきたんだけど、途中に大きな浮石が見当たらなかったんだ」
洞窟の天蓋を睨んで。
「ホバーシップを使っての移動になると、かなりの遠回りが必要になると思う」
「なるほど、ままならないものね」
蟠りが解消されたふたりの会話は、それまでが嘘のように円滑なものとなっていた。
アルティは術式で乾かした服を着直し、その上からレインコートと毛布を羽織っている。まだ顔が少し熱いものの、先程よりは頭がスッキリしていた。
「ところで千明はどうやって船に戻るつもりだったの?」
少女の問いかけに千明は腕を組んで。
「実はあんまり深く考えてなかった」
途端、アルティの視線がジトッとしたものに変わり、
「……ちょっと」
「まぁ、こいつには推進装置がついているから、最悪それで行こうかと思ってるんだけど」
千明は、ベンチにしている己が兵装を軽く叩いた。
「え、これって空を飛べるものなの?」
少女は自身が腰掛けている銀壁に視線を落とす。格納された装備を射出する装甲複合式コンテナ、アダマスティア。アルティの常識では考えられないコンセプトの兵装だ。
ああ、と千明は首肯して。
「ホバーシップの飛行機能みたいに霊素を食うけど、それなりの距離は飛行出来る。他にもいろんなギミックがついているから、見せる機会もあると思う」
「……それが、千明の住んでいた世界の技術?」
「いや、全部が全部そうだって訳じゃないけど、一部はそう、だな」
首を捻っている千明の横で、アルティは少し言葉を探すように思案して。
「その、千明が異世界から来たって言うのは本当なの? 正直なんだか信じられなくて」
出てきたのは、至極当然の質問だった。問われた千明は肩を竦める。
「まぁ、それが普通の反応だよな。急に言われたらオレだって同じように疑うさ」
でも、と言葉を続け、
「あの世界には霊奏術なんてものはなかったし、月に人なんて住んでいなかった。だからオレにとってここは、自分の常識が通用しない別の世界なんだ」
「……元の世界に戻りたいとは、思わないの?」
「もちろん戻れるんだったら戻りたい。向こうにはオレの家族も――あ、その、ごめん」
アルティの両親の話を聞いてるらしい千明が謝罪をしてきた。
「……いいえ、わたしが聞いたことよ。だから気にしないで」
そう言って首を振るものの、無意識に目を伏せてしまう。
「……でも、今のオレにはここでやるべきことがある。それが終わるまでは、戻らない」
「……やるべきこと?」
「キリアを助けること。そしてオレの命を救ってくれた博士たちに恩返しをすることだな」
「命を、救ってくれた?」
目を
「……実は、オレはこの世界に転移して来たとき、死にかけていたんだ」
「……そうだったの?」
初めて聞いた話に、アルティは目を丸くする。考えてみれば、自分たちは先程までほとんど交流していなかった。つまりアルティは、千明の事情を知る機会がこれまでなかったのだ。
「オレの世界の人間も、ここの人たちみたいな容姿で、ちゃんと身体もあるんだよ」
けど、と言葉を切って。
「ここに来た直後のオレは精神体だけの状態で、しかも霊素解離症っていう珍しい現象を起こしていたんだ」
その症状は、アルティにも聞き覚えがあった。
過去に行われた実験の際、被験者の肉体と精神が分離する事象が確認されたらしい。文献では、発症者は激痛でのたうちまわるように苦しんだ後、精神体が解れて消滅。生身の体も間を置かずに絶命したと記録されていた。
「そんな見ず知らずのオレを、偶然通り掛かった博士が高価な素材を使ってまで助けてくれた。さらに居場所まで与えてくれたんだ」
そのまま拳を固く握り締めて。
「だからこそ、この世界でオレを助けてくれたファルスマイアー家の人たちに『恩返し』がしたい。元の世界に帰る方法が見つかっても、それが済むまでは――帰らない」
アルティは強く語る千明の姿を見て、どうして自分と重ねて考えていたのかを理解した。何故ならその想いは――
「そう、だったの。……貴方もわたしと同じだったのね」
§
「……アルティ?」
訝しむ千明へと、少女は向き直る。
「実は、わたしもファルスマイアー家の人たちに返しきれない恩があるのよ。……千明は、わたしのことをどれくらい聞いているの?」
「えっと、確か博士たちの友人の遺児、っていうくらいだったかな」
少女は、そう、と首肯して。
「わたしの両親は研究者だったわ。でも、わたしが生まれて数ヶ月のときに起きた事故で死んでしまったの」
少女の両親が故人だとは聞いてはいたが、それほどに幼い頃の出来事だったらしい。両親が健在の千明には、そんな彼女の内心を推し量る事はできなかった。
「他に親戚のいなかったわたしは施設に預けられる予定だったんだけど、引き取ってくれたのがヒューゴ博士とルチルさん」
アルティは口元に微かな笑みを浮かべて。
「養子になるって話もあったんだけど、わたしのわがままで断っちゃったこともあったの。……それでもわたしを本当の家族のように扱ってくれて、愛情を持って育ててくれたわ」
顔を綻ばせていたアルティはしかし、一転して表情を曇らせた。
「実は今回の事件以前にも……誘拐されかけたこともあったんだけど、そのときも博士たちが力になってくれたの」
少女は、先の事件を思い出してか身震いする。街の襲撃に誘拐未遂、そしてキリアの負傷。年端もいかない少女が一心に抱えるには、問題が重なりすぎている。それほど時間が経過した訳でもなく、内心の恐怖がまだ払拭できていないのだろう。
千明はアルティの語りを聞きながら、少女に対するヒューゴたちの接し方を思い返す。真先に浮かぶのは、危険に晒された彼女を心配し、無事を確認して安堵した姿。
彼らの間に血の繋がりはない。それは確かだろう。だが、そんな些事すら包み込む温かさはまさに、家族と呼べるものだった。そして、千明の思い違いでなければ――
アルティは瞳を伏せて、自分の肩を抱くようにし、
「でもわたしは、一方的に受ける恩が大きくなり過ぎて、どうやって報いたらいいのか分からなくなったの。今思えば、甘え続ける環境が怖くなったのね」
段々と身を縮こまらせ、
「だからしばらく距離を置いて、将来恩を返すため必死に勉強していたわ。だけど……」
「今回の件が起きた……」
後を引き取った千明の言葉に、頷くアルティ。
少女の表情は陰りを増してゆき、
「キリアが怪我をしたのはわたしのせい。わたしがあのとき不用意に動かなければあんなことにはならなかった。ううん、いっそわたしが――」
「――アルティ!」
鋭い叱責が飛び、アルティはビクリと肩を震わせる。そのまま消え入ってしまいそうな少女を、千明は黙って見ていられなかった。
「……それ以上は駄目だ。キリアの行動が全部無駄になる」
「でもっ!」
はっと上げられるアルティの瞳には涙が滲み、組まれた両の手はきつく握られている。痛ましい表情を浮かべる少女を見かねた千明は、その前に移動して屈む。固く組まれた手をゆっくり解いて、目線を合わせて。
「アルティは自分がファルスマイアー家の一員だと思っている。違うか?」
「……違わない」
「だったら答えはもう出ているだろ。キリアも君を家族だと思ったからこそ庇ったんだ。あのとき、キリアに恨みでも言われたか?」
アルティは首をゆるゆると振り、
「無事で良かった、って言ってた」
「そうだろうな。あいつはそんな奴だ」
ファルスマイアー家で世話になっていた頃によく会話をしたヒューゴの娘。異常事態に巻き込まれ、動けなかった千明の心を救ってくれた明るい少女。
天真爛漫なキリアが親友に――家族に、どんな言葉を投げたのか。短い付き合いでも、千明にはそれが手に取るように分かる。
「それに、君はそんなキリアを助けるために危険な旅に出る決意をした」
感じた想いをそのまま伝えるように、
「生半可な覚悟じゃできないと思うし、博士もそれを汲んだからこそ同行を許可したんだと思う。……それとも君は、博士たちに恩を返すために同行したのか?」
こんな聞き方は意地悪だろうと思いながらも、千明は聞かずにいられなかった。案の定、アルティは弾かれたように反応し、必死な表情を浮かべる。
「そんな訳ない! わたしは、キリアを助けたくて――」
「――それでいいんだ」
「……え?」
瞬間、アルティは何を言われたのかわからないといった表情を浮かべた。内心で言葉を選びながら、
「君の話を聞いてると、ファルスマイアー家の人たちを『家族』だと言ったり『恩人』だと言ったり……そのふたつを混同しているんじゃないかな」
千明はアルティの震える両肩に手を置く。その不安を拭い去ってあげたいと、心から思えた。
「家族と恩人は別物だ。そして、アルティの行動原理は――家族に対してのものだ」
ポンと優しく少女の肩を叩き、
「断言する。君の行いは間違いなく尊いものだ」
「あ……」
アルティの目が大きく見開かれ、潤んだワインレッドの瞳がきらりと輝いた。
「博士たちもアルティに恩を返して貰いたいから接してきた訳じゃない。家族だから、心配して君の力になったんだ」
少女の理解を待つように一呼吸置いて。
「それでも納得できないなら、アルティ自身が心から望む道を選べばいいと思う。それが結果的に、ファルスマイアー家の人たちへの恩返しになると思うから」
アルティは瞳を閉じ、千明の言葉を咀嚼するように、
「……そっか、そんな単純なことだったのね。わたしが、あの人たちに誇れる生き方をすることそのものが恩返し、いえ……家族孝行。そんな考え方もあるのね」
千明には、意図をうまく伝えられた自信が無かった。だが、少女の憑物が落ちたような表情を見て、無駄にならなかっただろうと安堵する。
どうやらアルティは、今まで誰にも相談できずに感情を溜め込んでいたようだ。それが今回の事件で決壊し、情緒不安定になっていた部分もあったのではないだろうか。
「参考になったかな」
「……ええ、とても。千明に相談できて良かったわ」
陰りの消えたアルティは、優しい笑みを千明へと向けてきた。明陽のような眩しさではなく、陽光を受けて輝く月のような、他者を慈しむ慈愛の笑み。思わず硬直してしまったのは、仕方がない。
「? どうかしたの?」
「あ、い、いや、何でもない。ええっと、……助けになれたのなら、良かった」
訝しむアルティをなんとか誤魔化し、話題を切り替えるように、
「そろそろ本格的に合流する方法を考えないといけないな。でも天候が回復しないことにはどうしようも――」
「――ちょっと待って。千明、外」
アルティの言葉につられ、千明が洞窟の外へと視線を向ける。
「……小降りになっている?」
そこには、先ほどまでのスコールが無かったかのように鎮まった闇があった。気が付けば、洞窟内に響いていた雨音もずいぶんと静かになっている。まだ小雨が降り続けているものの、移動に支障はなさそうだ。
「さっきまであんなに酷かったのに、どうして突然……?」
「……考えても仕方ない。様子を見て、大丈夫そうなら移動しよう」
蒼星のイストリア ~ニュクス・セレーネ~ Noacht @Noacht
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