019 和解

 轟、と風が耳元で鳴る音を、熱に浮かされた頭で認識する。レインコートのフードがはだけ、アルティの髪が風に嬲られた。


 自失から立ち直った少女は、直ぐに自身の状態を悟り、慌てて真下へと視線を向け――


「――キャッ⁉」


 咄嗟に障壁を展開。


 辺りに硬質な音が響き、アルティの下で小さな浮石が幾つも砕ける。今の速度で叩きつけられた場合の最期が頭に浮かび、背筋が一気に冷えた。


 奥歯がガチガチと鳴り、悲鳴を上げる事さえできない。小石が障壁に衝突する度に身を縮こまらせる。


 投げ出されてからどれくらい経過したのか、正確に判断できなくなっていた。やがて眼下に小山程の浮石が見え、みるみる岩肌が迫りくる。


 最悪の事態を想定したアルティは固く目を閉じて。



 ――軽い衝撃と共に、落下が静止した。



 恐る恐る目を開けると、ふわりと誰かに抱えられていることに気が付く。


「……助、かった?」


 状況を理解できないアルティは、朦朧とした視線を上に向けた。激しい雨の中で自身を見つめ返す、もはや見慣れた青い眼光と視線が合った。


「……良かった。間に合った」


 心底安堵したような少年の声を最後に、アルティは意識を暗転させたのだった。



  §



「――アルティさんは無事です。風邪がぶり返しているようですが、怪我はありません。運良く洞窟を見つけましたので、休んでから合流します。――はい、博士もお気をつけて」


 洞窟に反響する雨音に混ざった少年の声が耳に届き、アルティは薄く瞳を開いた。


 熱に浮かされた思考では、今の状況を上手く判断できない。だが、背中に感じる硬い感触から、自身が横になっている事だけは朧げに理解できた。


 少し時間が経ち、直前の出来事を思い出したアルティはゆっくりと口を開いて。


「――あ、コホッ」


 千明に声をかけようとしたものの、喉が酷く渇いており、うまく喋れない。


 しかし、それで気付いてくれたのだろう千明が傍に寄って来た。


 近くにあった照明を灯し、


「アルティさん! 体調は大丈夫ですか⁉ 怪我は無さそうでしたが、どこか痛いところは⁉」

「み、ず……」


 首肯した千明は横にあった水筒を取り、アルティの上体を起こして少しずつ飲ませる。


「……ありがとう、ございます」


 ややあって、一息ついたアルティが、か細い声で礼を言った。


「……いえ、アルティさんが無事でよかったです。寒くないですか? 緊急キットの中に、暖が取れる道具があれば良かったんですが……」


 ふと見れば、ホバーシップに備えられていた緊急キットがあった。恐らくはアルティが落下したときに千明が持ち出してくれたのだろう。


「……大丈夫です。それよりも、また助けられたみたいですね」


 誘拐未遂の折、機動兵器の攻撃、そして今回。目の前の彼に救われるのは、これで三度目だ。そんな相手に無作法を働き続ける己が卑屈な存在に思えて、アルティは目を伏せる。


「いえ、それはいいんですけど……」


 だが、千明の反応は何故かぎこちない。どこか後ろめたさを隠すような態度だった。


「? あの、どうかしたんですか?」

「……すいませんでしたっ!」


 途端、千明は地面に平伏し、アルティに謝罪した。


「……えっと、よく分からないんですけど」


 困惑するアルティへと、千明は実に言いにくそうに、


「……助けたのはいいんですけど、服が雨に濡れていて、風邪が悪化するといけないからって、その……」


 尻すぼみになる千明の言葉。


 だがアルティは、それだけで千明の言いたい事を理解した――してしまった。


 咄嗟に自身の格好を確認する。緊急キッドから取り出したであろう毛布の下には、水気を飛ばしたレインコート。


 だが、下着こそそのままだったものの、着ていた筈の寝間着が取り払われていた。誰が脱がせたかは、考えるまでもない。


 瞬時に顔を赤くしたアルティは、毛布を掻き抱いて千明をキッと睨みつける。早まる鼓動を感じて口を開き――その怒りが見当違いである事を辛うじて思い出す。


 ゆっくりと深呼吸して気を落ち着け、千明から僅かに視線を逸らして。


「……それでも、ありがとうございます」


 感謝の言葉を口にした。千明はこちらの反応に驚いて顔を上げ、


「……怒らないんですか? 経緯はどうであれ、オレは――」

「――もちろん、恥ずかしいです」


 みなまで言わせないとアルティの言葉が遮る。頬が熱いのは、恐らく熱のせいだけではないだろう。


「でも、今回はその……不可抗力ですし。それに、千明さんには何度も助けて貰いました。だから……前の件も全部相殺して、貸し借り無しとします」


 無論、それでアルティの羞恥心が消える訳ではない。


 だが今この時を逃してしまったら、関係修繕の機会を失うかもしれない。そう考えたアルティは、勢い任せでもわだかまりを解消するべきだと判断したのだ。


「いいんですか……?」

「……はい。あと、敬語もいりません。前に聞いた話だと同じぐらいの歳だと思いますし、多分、それはの話し方じゃ無いですよね?」

「えっと、そう、だけど」

「じゃあそれで。……わたしも、砕けた話し方にさせて貰うわ」


 やがて観念した千明は、肩を竦めて降参のポーズを取った。


「……わかったよ。君が――アルティがいいって言うなら、そうする」


 改めてこちらへと向き直って機械の手を差し出し、


「ちゃんとした紹介をしてなかったと思う。時見千明だ。話は聞いていると思うけど、こことは違う世界の出身だ」

「ふふ、本当に今更ね」


 千明に笑いかけ、差し出された手を取って。


「アルティ・セイクリスよ。改めてよろしく、千明」

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