018 ぺオラスパ浮石地帯

 三日後、一行はぺオラスパ浮石地帯へと到達していた。


 小山程の大きさから砂粒状の大きさまで、大小様々な岩石が無数に浮かぶ渓谷地帯。しかし足場となる浮石は絶えず揺れ動き、底は深く闇に包まれている。気儘きままに吹く乱気流も相まり、ニュクス・セレーネに存在する難所の一つだ。


 領域内では浮石のみにしか浮力がないため、人が滑落すれば命を落とす。さらに今は、ただでさえ険しい道のりがより困難なものとなっていた。


「……雨だね」

「……いやもうこれそれどころじゃないと思いますけど」

「……少し、寒いです」


 上空を覆う厚い雨雲から降る、バケツをひっくり返したような豪雨が行手を阻む。その上、雨が周囲の温度を奪っているらしく、アルティは肩を抱いて震えていた。


「えっと、ここはいつもこんな感じなんですか?」

「いや、そんなことはないよ。むしろもっと乾燥した地帯なんだけど……」


 再度正面へと視線を向けた千明の眼前には、変わらず降る雨。どころか雲間に光が差し、地鳴りのような音さえ聞こえてくる有様だ。


「いや、流石に信じられないです。……最近の出来事と関係があるんですかね」

「分からない。とにかく慎重に進むしかないね」


 とは言え、巨大な浮石を通る道はそのまま利用できそうな様子。一行は一抹の不安を抱えながらも、当初の予定通りにこの隘路を進むのだった。



  §



「思ったよりも何とかなるもんですね」


 しかし、道行きは想像したほど困難ではなかった。


 豪雨と落雷で視界こそ制限されるものの、浮遊と短距離飛行を駆使しての移動である。滑落の心配はなく、今のところ異形たちによる襲撃もない。


 時折船体に当たる浮石の揺れ以外は、スムーズに日程を進めていたのだ。


〖そうだね。今日中に対岸も見えてくるだろうから、このまま行きたいよ〗

「はい。それにしても不思議な所ですね。地球では石が浮いているなんてないですから」


 甲板上で警戒中の千明は、豪雨の中で周囲を観察していた。大小さまざまな浮石がふよふよと浮かぶ、摩訶不思議な空間。さながら創作世界の、アステロイドベルトに迷い込んだかのような光景だ。


〖実は浮石の浮遊原理も不明でね。材質自体は周囲の山岳地帯のものと変わらないんだ〗

「そうなんですか」

〖うん。だから底に秘密があるんじゃないかって調査した研究者もいたんだけど、誰も帰ってこなかった〗


 追加された講釈に、千明は思わず手摺から距離を取った。


〖だからここは調査の進んでいない、半ば未開領域みたいなものなんだよ〗


 神秘的な光景とはいえ、現在地は間違いなく危険地帯なのだ。軽い気持ちでいては足をすくわれるのだと、千明は気を引き締める。


〖脅す訳じゃないんだけど、これは本当のことなんだ。だから君も気を付けて欲しい〗

「了解しました。……ところでアルティさんは大丈夫なんですか?」

〖うん。疲労に気温低下が重なった風邪みたいだね。症状は重くないから大丈夫だよ。安静に休ませるために、早くここを抜けないとね〗


 アルティは現在、体調を崩してリジェネレクトゥス内で療養中だった。慣れない環境下での肉体的、精神的疲労が重なったものらしい。


 少女は数日前まで、単なる一学生に過ぎなかったのだ。条件こそ違うとは言え、この世界に来た当初の千明も似たような経験をしている。環境の変化で各種の疲労が溜まるのは、想像に難くない。


「……はい。そうですね」


 ヒューゴの言葉に同意し、千明はスコールに打たれながらの警戒に戻った。



  §



 だが、千明たちの願いは届かなかった。先の会話からそれ程間を置かず、レーダーが周囲にマガツキの影を捉えたのだ。


 迎撃開始からしばらく、甲板上から二体を纏めて撃ち抜いた千明は通信機へと、


「博士、数は⁉」

〖まだ一五程残っているッ!〗


 提示された数に内心で舌打ちする。


 今の千明たちの足場は、船より幾分か小さい浮石だ。つまり、真下以外は攻撃に晒される状況に置かれているのだ。


 戦況をモニタするヒューゴは動けず、戦えるのは千明ひとり。圧倒的に、手数が足りなかった。


 焦る気を落ち着け、千明は次の敵へと狙いをつける。


 敵はコウモリの羽を生やした、ワニのようなマガツキの群れ。長距離攻撃こそないものの船体を完全に包囲しており、虎視淡々と隙を狙っている。


 千明がその内の一体に狙いを定めて引き金を引く――


「――うわっと!」


 ――瞬間に船体を大きな揺れが襲い、弾はあらぬ方向へと飛び去る。


 見回すと、他の個体が船体の死角に体当たりをかましていた。その一体を銃撃で霧散させた直後に再度の衝撃が襲い、船を縦横に揺さぶる。


「くそ、狙い辛い!」


 さらに条件の悪い事に、周囲は激しい雨と稲光、浮石のせいで射線が取り辛い。悪条件にさいなまれ、千明の迎撃は思ったほどの成果を上げていなかった。


「このままじゃ……!」


 切羽詰まった状況に最悪の事態を想定して。


「――ヒュドル、ハウント……」


 喘鳴混じりの詠唱が聞こえた。


 驚愕する千明の背後で制御陣が煌めき、水滴の猟犬が五体顕現する。各々が意志を持ったかのように宙を駆けてマガツキに喰らい付き、半数ほどを撃退。


 直後に術は霧散し、同時に術師――アルティが倒れ込んだ。


 咄嗟に少女を支えた千明は素早く二体を撃ち落として。


「――アルティさんッ⁉ どうしてこんな無茶を⁉」


 だが少女は千明の言葉を無視して腕を払い除け、自力で立ち上がろうとする。どうやら勝手にリジェネレクトゥスを抜け出してきたらしい。


 当初より風邪の症状は幾分か落ち着いたようだが、いまだ治り切っていないのだろう。覚束ない足取りで身を起こし、熱に浮かされた声で、


「……わたしは、足手纏いになりたく、ないの……」


 アルティは寝間着の上にレインコートを羽織っているものの、豪雨の前では意味がない。熱を持ったままの顔には前髪が貼り付き、浅い呼吸を繰り返している。


 だがその瞳から放たれるのは、梃子でも引かないという強い意志。

 少女の決意を汲み取った千明は、


「……分かりました。でも、これ以上無茶はしないでください」


 双銃剣を構え直し、集中力を上げて殲滅を開始する。


「……わかっているわ」


 残されたアルティは甲板の手摺に凭れ掛かり、辛うじて上体を支える。


 やがて周囲のマガツキがいなくなった事を見た千明は、アルティに向き直り、


〖――千明、下だっ!〗


 直後に襲いくる衝撃を何とか堪えた千明のもとに、


「――えっ」


 と、小さな声。見ると少女がバランスを崩し、手摺の外へと投げ出されていた。


「アルティッ⁉」


 咄嗟に名を叫び、武器を放して伸ばす千明の手は――しかし届かない。呆然とした表情のまま、アルティは無見の闇へと落ちてゆく。


 千明は咄嗟に船の中へと駆け戻り、備え付けのサバイバルキッドを引っ掴む。リュック状のそれを背に担いで再びスコールの中へと身を躍らせて。


「アイギスッ!」


 甲板上の盾を手に取り、躊躇いなく飛び降りる。


 視認した最後のマガツキを残った銃剣で撃破。そのまま銀壁の推進器で落下速度を加速させ、少女を追跡するのだった。

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