&α 月の向こう側

 彼女は、よく、月の向こう側に行くのが夢だと言っていた。


 月の向こう側。


 太陽が照らしていないので特に何も見えないし面白くもないよと応えると、彼女はむすっとして、そういうことじゃない、幻想的情緒に欠けるといっておそいかかってくる。


 彼女。


 お布団のなかで、むにゃむにゃと眠っている。本当にむにゃむにゃって言いながら眠る人がいることも、彼女に会ってはじめて知った。


「つらい」


 彼女の寝言。


「なにがつらいの?」


「ふつうがつらい」


 なんとなく、会話する。


「普通が、いやなんだ?」


「いやじゃない。いやじゃないけど、なんか。なんかこう、つらい」


「そっか」


 彼女。ほっぺたをてのひらでむにむにしてみたけど、起きるそぶりはない。本当に寝ている。


「月の向こう側なんて、ほんとに何もないんだけどなあ」


 娯楽施設も少ないし。海はいくつかあるけど、それだけだしなあ。


「今度、行こっか。月の裏側」


 彼女。返答はない。寝言での会話なんて、こんなものか。


「里帰りだなあ」


 かぐや姫だから。ちょっと心配なところがある。

 伝承通りの恋はしたけど、相手が同性だから。親が認めてくれるか、分からないし。


「竹から生まれた世代にどう説明すればいいのかなあ」


 窓の向こう。


 綺麗な円い月が昇っていた。


「むにゃぁっ」


 掛け布団を派手に蹴飛ばした彼女を、お布団のニュートラルポジションに配置し直して。

 その隣で、一緒に眠った。


 こういう、普通の日々が。わたしにとっては幸せだった。でも、彼女が望むなら。今度一緒に連れて里帰りしよう。


 月の向こう側へ。

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⚓夢と幻想 月の向こう側 春嵐 @aiot3110

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