墓標
しゃくさんしん
墓標
真昼の空に花火があがった。一つだけ爆ぜて、続くものはなかった。夜のために準備していたものが誤って放たれたのだろうか。床の見えない散らかった部屋。乱雑に集積する物々が広く差す日ざしをうけて微妙な陰翳の綾をつくった。
しんとしていた。
父は、洗面台に伏して、長いこと顔を洗い続けた。水音はなかった。その昏い背中に音が呑みこまれるのか、古い記憶で褪せたか。
背を見るわたしは、まだ言葉も知らなかった。
毎朝、父は気が遠くなるほど顔を洗った。一度その後ろ姿を見て、二度と見たくはないと、走り去った。父は振り返らなかった。
花火があがった後も先も、ひねもす窓辺に体を置いた。
湯を浴びるのが億劫で、長い髪がこわばった。肌がかわいた。
花火が間違いのようにあがったのは一度で、窓の下の墓地には日に一つは人影があった。墓石を浄めて、花を供えて、首を落とした。
数人の見知った少女が輪になって立った。輪の中には耳の聞こえない少女が正座していた。埃の匂いのする体育倉庫は、薄暗いだけに差し込む日ざしがくっきりと隈取られてあった。立つ少女の一人の手に、鋏が握られていた。
桜色の鋏の柄にとおされた、ちいさいやわらかな指。
少女らは、聾者のうつくしい黒髪を、一人ずつ切り落した。
一人が歩み出て、光る刃を髪に添え、切り落とす。輪に戻って隣の者に鋏を回した。聾の少女は俯いて沈黙していた。かしげた細い首筋が日を浴びておそろしいような白光を纏った。
聾の少女がいじめられていると、噂にきいていたけれど、それは一つの尊い神事のようでもあった。
女しかいない校舎は硬い静けさに張りつめて、チャイムがよく響いた。
液晶に映る行旅死亡人の情報を読んだ。発見状況、所持品などの克明な記述。父を探した。
昏い背中の他になにも覚えていないのだから、見つかるはずはなかった。しかし毎日、更新される情報に目を通した。
母と姉もこうしているだろうか、とふいに思うことがあった。二人は父の死の記録をみて、そうと気づくだろうか。
窓の下の墓地で、来る日も来る日も人影たちは花を供え、手を合わせた。かれはわたしの父を弔っているのかもしれない、あれは父の墓かもしれないと、いつも思った。
名も知らないいくつもの墓石の下に父を思い描き、同じ名を弔ったかもしれない幾人もの姿を見送った。
時々かれらは、わたしを見返す。
窓に光が撥ねて、わたしの輪郭だけがぼんやりとつかめるに過ぎないだろう。
墓標 しゃくさんしん @tanibayashi
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