第3話 その少女、悶々とする

「やはり田辺様は私とは一心同体ですのね。同じ通学路に肩を並べて登校するなんて夢のようです」


 週明け。俺はいつもより一本早い電車で出勤して、上好を通学路で捕まえ、俺のアパートに置いていった教科書と宿題ノートを突き返した。


「うんうっかり宿題を忘れたらどうしようもないだろうからな」

「え、宿題ノート」


 上好はわたわたして、鞄をひっくり返して本を探し始めた。だんだん上好の顔色が青く、そして手渡された宿題ノートに目を配ると顔を真っ赤にした。ああ、やっぱりこれはうっかり忘れたんだな。


「えっと、これはその。ちょっと気を引きたくてわざと置いて行ったんです。あははごめんなさいです」


 上好は宿題ノートを胸に抱きかかえながら答えるが、その目は泳いでいた。

 ほお、そうくるか。本命の教科書でなく、宿題ノートをわざと置いて行った体にすり替えようとするとは、しかし自分から暴露するとはやはりアホだこいつ。


「さあ行きましょう田辺様」


 上好が自然な流れのように俺の腕に体を寄せて、学校へと向かわせようとする。


「いや俺は会社に行くんだが」

「やはり、男性という生き物は妻より会社を優先する噂は本当でしたのね」

「おい、俺は独身者だぞ」

「ではどうぞこちらの新品の婚姻届にご記入ください。そうすれば解決です」

「女性との婚姻は十八歳以上に変更されたから無効だぞ」

「くそぉ~法律め。なぜ十六のままにしなかったのですか! これが利権。DSの陰謀」


 法律の改正されてからだいぶ経つんだがな。


「上好さん、何をされてますの。早くしないと遅刻してしまいますよ」

「その方もしかして、恋人?」


 登校する生徒が増えてきて、上好の友人であろう女子生徒二人がからかい混じりに声をかけてきた。


「はい、その通りです! この方が私の殿方です」

「ではありませんのでご安心ください」

「えーせっかくのイケメンなのに」


 干支一周分ほどの年齢差で結婚なんて犯罪だぞ。上好のお母さんも反対だろうし、何よりほかの女性に言い寄られる可能性もなくはない。かつて学生時代にほかの女性と付き合っていた時、突然包丁を持った女が「寝取られた」と切りつけられて大騒ぎになった。

 俺の体質は、付き合ったからといって必ずしも一人の女性ヤンデレに添い遂げられることはない。こんな体質の人間と付き合うとろくな人生を歩めないだろうし、距離を置いて恋の熱が冷めるのを待つのが賢明だ。


「そんなことはありません。そうです、一緒の生活をすればお互いの理解が深まるというもの。学校に行きましょう!」

「これから会社だって」

「心配ございません。遠い親戚の参観と先生方にお伝えします。人類皆兄妹といいますし」

「話を聞いて~」


***


 なんとか上好の手から逃れ、時間ギリギリの時刻で出勤できた。しかし始業数分前にパソコンの立ち上げと日報を出さないと会社評価では遅刻扱いになって査定に響くのは嫌なんだよな。


「田辺さん、また始業ギリギリ。課長ににまたネチネチ言わるよ」

「すみませんちょっと朝に野暮用があって」


 隣の座席から話しかけられたのは、同期の鬼怒馨きぬかおる係長だ。百六十後半もある高身長に凹凸が見えにくいスーツでも女優のように女性の体のラインが見えるほどバッチリ決まり、仕事ができるキャリアウーマンの模範のような人。同期の中で一番の出世頭として会社からも一目置かれている。女難の相のこともあって仕事が滞り、鬼怒係長には頭が上がらない。


「はい、今日の営業先の商談内容まとめておいたから。メール見ておいて」

「すみませんお手数をおかけして」

「田辺さん、前に言ったけどタメでいいから。私たち同期でしょ。ほかの同期たちは地方に行って、残っているの田辺さんぐらいしかいないから、壁造るの嫌なの」

「でも鬼怒さん役職持ちだし」

「ほかの人がいないところでって条件でよ。それに係長は一般役職たちの管理を任されているんだから、これぐらいやっておかないと役職持ちの意味がないわ」


 そういうところなんだよな。普段は対等にと言いながら、何か失敗したら役職を持ち出して線を引く。ましてや今日は自分のせいで仕事が増えたというのに、でもそれがかっこいいと思ってしまう俺がいる。本当なら鬼怒産のような女性とお付き合いしたいのだが、いかんせん女難の相持ちの俺と男女の中となったら、猫のように命が九つあっても足りないぐらいの人生を送る羽目になってしまう。


「しかし本社勤務が俺と鬼怒さんだけなんて寂しいですねやっぱり。うちそんなに大企業ではないですけど、同期俺たち含めて十人ぐらいいたのに」

「会社の指針として、一年に一回ほかの支店へ定期的に異動するらしいの。極力同期の人を複数人配置するから同期が二人しかいないのも珍しくないって」


 複数の部署を経験させてどこでも通用させる力をつける、日本の会社によくあるゼネラリスト育成の典型だな。異動のタイミングは会社の決算がある四月と九月の大きく分けて二回。鬼怒さんはこの間の九月にこの本社に異動になった。その時に、それまで長く付き添っていた同期の村雨が博多の支店に入れ替わりで異動になった。


「能力を高めるのは理解できるけど、同期と疎遠になるのは寂しいよね。田辺さんはそういう経験とかない?」

「自分は引っ越しとか同い年の奴と別れるのは慣れているので」


 ヤンデレ女から逃げるために、学生の頃は学校を変えたり引っ越しをしたりとよくしていたからな。


「私がいた支店は偶然同期が一人もいないところでね。みんな先輩ばかりで気軽に話すことができる人がいなくて寂しかったな」

「じゃあ今度飲みに行きませんか」

「え? いいの」

「男と女とじゃ悩みの質は違うけど、同期のよしみだし。いい店知っていますよ」

「えーいいの。いつにする。週末? それとも今夜にでも」


 急に食いついた鬼怒さんはグイグイとオフィスチェアを俺がいる位置にまで転がして急接近した。


「今夜は間に合うかわからないんで、営業から帰ってから考えておきます」

「うんうん。楽しみにしているわね」


 ふんふんと鬼怒さんはいつものクールなスタイルを崩して、鼻歌まじりにパソコンに向き直った。そんなに楽しみにしているなんて、その支店でけっこう不満が溜まっていたのだろうか。

 社内パソコンで鬼怒さんから送られたメールを確認した後、日誌に記入するためにペンを取るために引き出しを開ける。

 ダンッ!


「どうしたの」

「いやなんでもありません。営業行ってきます」


 鬼怒さんが不思議そうに見つめられながら、オフィスから飛び出した。その手には引き出しの中に入っていた紙っぺらを手の中に握りしめながら。

 どこかで浮かれていたのかもしれない。そうそういいことなんて続かないものなんだ。


『あの小娘と別れろ。でないとコロス』


 まるで犯行声明文のごとくどこかの雑誌を切り抜き一文字ずつ貼り付けた手紙が、引き出しの中に入っていた。

 ほーらきた。厄介な女が。

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