第2話 その少女、愛妻料理をする
『まあ、また娘がお邪魔いたしまして申し訳ございません。すぐタクシーでそちらにお伺いしたします』
「はい、毎度毎度申し訳ございません。タクシー代はこちらでお支払いします」
『いえいえ、ご迷惑をおかけしているのはこちらの方でございますからお気になさらず』
電話の向こう側からでも伝わってくる物腰柔らかな声の主は上好の母上様だ。さすがお嬢様学校に通わせているだけあり、品のよさが伝わってくる。しかも安くないタクシーの往復代も払えるとなればやはり相当金があるのだろう。初めて上好を自宅に送るため家に電話してしたときは、開口一番「身代金目当てなの!」と返されたが、やはりそういうこともありえるような家なんだろう。一般サラリーマン一家の出の俺なら開口一番でそんな言葉は出ないだろうし。
『けど、年若い女性が一緒にいるのによく落ち着いておりますね』
「いえもう慣れていますので」
そう、慣れているのだ。上好が俺に求婚を申し込んできた日よりも前にずっと前からこういう女の扱いはもう慣れっこだ。何せ俺は幼少のころからおかしな女難の相に悩まされている。
好きなられる女という女が皆、ヤンデレメンヘラと愛にかまけすぎて気性に問題がありすぎる人ばかり出会うのだ。
最初に告白されたのは幼稚園のころ、五歳児に恋愛などという感情は芽生えてなく当時の俺は毎日のように後ろから付いてきてうざったく感じ「もうついてくるなと」突き放した。その翌日、その子は滑り台の上から「私の愛を身をもって受け取って」と俺に目がけてダイビング。仲良く保健室送りとなった。
その後、小学校、中学校、高校、大学と一貫して愛がやたら重い女子から一方的に告白されて、断ったら延々と住所が変わるまでストーカーされるというのが日常であった。
その日々と比べると上好はとても大人しい。週に一度程度しかストーキングしてこないなんて、今までの女は二十四時間付きまとっていたというのに! しかも盗聴器の類すらも仕込んでいない。頭が恋愛に染まりすぎてそこまで発想に至っていないのかもしれないが、今までの女性と比べたらとても大人しい分類だ。
上好のお母さんとの電話を終えると、台所で上好が冷蔵庫を漁っていた。
「何をしているんだ」
「愛妻料理の準備です」
ははん、妻だから人の家の冷蔵庫を漁ってもいいという理屈なのだな。
「いらない」
「では愛情料理」
「言葉を変えても中身は同じだ」
「でもご飯は大事です。田辺さんの家の冷蔵庫、中に飲み物ぐらいしか入ってなくてゴミ箱の中もコンビニ弁当とかスーパーの総菜ばかりと不健康です。なので温かい手作り料理を作ります」
「電子レンジでチンすればだいたいあったかいから十分」
「そんな放射能のマイクロウェーブでつくった熱なんて不健康です。料理とは火を使って作るもの。熱い熱い火と愛情がまじった私のオムレツで違いが分かるはずです」
「うちのマンションオール電化だからコンロも電気だぞ」
「くそぉ、文明の利器が憎い。では七輪を購入して火を起こすか」
「練炭自殺はやめろ」
「料理をするんですよ!」
そう称して、わざわざサンマ買ってきて心中しようとした女がいたんだよな。
久々に換気扇の煩わしい音をかき鳴らして、フライパンから油が跳ねる音がする。
そして当たり前のように人の家の皿の位置を把握し、すぐに平皿に料理を落とし込む。
「さあ、どうぞ。電気のエネルギーから作られた熱ですが、味は私の愛がたっぷり入っております。冷めないうちに」
出てきたものはケチャップもクリームも何もないシンプルな真っ黄色のオムレツ。
「何が入っているんだ」
「はい私の愛が込められています」
「精神的な概念じゃなく、唾液とか髪の毛とか肉体の一部のことで」
「そんな失礼な真似していません。ちゃんとお料理の際はマスクとバンダナをして異物混入の危険性を排除しました」
それならありがたい。前にクッキーを焼いてもらった時、中に髪の気が大量に練りこまれていたからな。それ以来、人の手料理というものに抵抗感ができてしまい最初の時には母親の料理すら口にすらできなかった。
「すごい。調味料も保存料もなく、卵の味しかしない」
「はい、素材そのままの味を引き出した方がよいと思い。贅沢に卵を三つも使いました。とても良いお味かと」
よくないよ。
オムレツはミルクと塩を混ぜて焼く料理だ。それらを混ぜ合わせることでコクと塩味がアクセントになってうまいのに、これでは卵を焼いただけで料理ではない。あとオムレツに卵三つは普通だ。
と味に文句をつけることなんて誰でも言える。しかしこの子は高校生、しかも初めて(一方的な)愛している人に手料理を振舞った。味付けという点では不足しているが、可食部のみでちゃんと調理している。今までの女性陣と比べたらとてもまともで、努力家だ。
卵味のみのオムレツを最後の一欠けらまで食して、手を合わせた。
「ごちそうさま。久々に温かい料理を食べれた。でも俺はもう少し味が濃い方が好きなんだよな。ミルクとか醤油とか、あとケチャップとか」
「なるほど。塩分過剰は生活習慣病のもとになると教わっていたのですが、次は愛する田辺様の好みに合わせましょう」
うん。ちゃんと無難なところに着地できたぞ。本当にこの子が純粋なアホで助かった。髪の毛入りクッキーを食べされかけた時には、説得虚しく無理くり口の中に放りこまれたからな。
一時間後、上好の母親を乗せたタクシーがアパートの前に到着した。やっと上好を迎えに来たのだ。
「本当に申し訳ございませんでした」
「また来週お会いしましょう」
「またはありません!」
母親に叱られながら、上好はタクシーに乗せられていった。
ふう、これでやっとゆっくりできる。自分の部屋に戻ると、食べ終えた平皿が置いてあるテーブルに見たことのない本が置かれていた。タイトルは『数学Ⅰ』教科書だ。上好の忘れ物か? しかし妙だな、教科書を出したようなことはなかったはず。とりあえず週明けにでも学校へ……
立ち上がり、本棚にしまっている本を取り出すと『幸運をつかむ方法』『女性と上手に別れる言葉遣い』の本の間に『英語Grammar』が挟まれていた。なるほど、部屋のあちこちに本を隠して、合法的に顔を合わせる算段ってわけか。しかも巧妙に一冊ずつ分散して、あわよくば定期的にも狙っている。やはり彼女もヤンデレか。
上好が隠した本を探している最中、一冊のノートを発見した。タイトルには『宿題ノート』と書かれており、開いてみると今日の分の宿題であろう文章がみっちり書かれていた。
これも隠していたのか。しかしもし見つけられなかったらあいつ、週明け宿題忘れになるところだぞ。
やっぱアホだあいつ。
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