第5話 その少女、憤る
脅迫状に目をやる上好の眼はぎらついていた。ボロボロになっている紙を眼力で焼き焦がすかのようで。
「昨日からってありますけど。いつからですか」
「ただのいたずらだ。会社で処分するわけにはいかなかったから家で処分する予定で持ち帰っただけで」
「田辺さんダメですよ嘘は。これ、私と田辺さんのことですよね」
一歩ずつ上好が詰め寄ってくる。さっきまでの子供っぽい無邪気さは消え失せ、殺意の気迫がたぎっていた。子供には到底出ない畏怖、それは幾度も見たことあるヤンデレの人と同じものだ。後ろに後ろに
「なるほど、田辺さんがお勤めしています会社の人が嫉妬しているんですね」
「待て、乗り込んでもお前だと受付で追い返されるし、誰が送ったかわからないんだ」
「もちろんです。でもそれはこの紙の送り主も同等です」
「同じとは」
「すでに女性がいるのに殿方を好きになった場合は二通りございます。殿方を完全にものにするか、付き合っております女性を排除するか。前者は前述のとおりアプローチが難しいため実施できないため、必然私の方に照準を合わせるはず。ですが幸いなことに私に今のところ嫌がらせやこのような脅迫状は届いておりません。つまりこの送り主は私がどこの誰であるか特定できてないということです」
今まで送られてきた脅迫状には「小娘」としか書かれていなかった。上好はいつも制服姿のまま会社の前まで来るが、その特徴を書き記してないのは奇妙だ。
「この脅迫状どこに入れられてました」
「引き出しの中だ。出社するときの朝一番には入っていた」
「では、この方は相当の奥手。あるいは臆病と考えられます。本当に好きならば愛の告白なりストーキングなり行動に移して田辺様に気づかせる。しかも田辺さんは度々残業で会社に留まる機会があるというのに、誰からのアプローチかも把握されてない。そこに私という邪魔者が割り込んだという思い違いが加わり、鬱憤が溜まっているところでしょうか。そして極めつけはこの脅迫状に使われている切り抜き」
「文字の切り抜きに何か関係があるのか」
「これ、全部ゼクシィからの切り抜きです」
ゼクシィって結婚雑誌じゃ。
「私も毎週田辺さんとの挙式のことを妄想するために購入しているので、一目でわかりました。しかもこれこの間発売されたばかりの今月号のも使われています。大事な専門誌にハサミを入れるでしょうか」
古いものならともかく、発売したばかりの雑誌をも使うとは通常なら思えない。それほどに強い嫉妬を抱いていること、もしくは結婚という言葉が当人には呪いや鬱憤の一つと認識して切り裂いたということも考えられる。
たったこれだけの情報から状況を推理している。方向音痴の天然ボケかと思ったが、とんだ恋愛探偵ときたものだ。
「こうしてはいられません。すぐに会社に戻ってその女を捕まえて、脅迫罪で牢屋に一生監禁させておきます!」
「待て!」
逆方向の列車に飛び乗ろうとする上好の首元をむんずとつかみ引き留める。と、何事かと周囲の人たちが不思議そうに、俺たちの方を注視していた。
いかん、傍目からしたらサラリーマンが学生にわいせつ的なことをしたように見える。「駆け込み乗車を注意してまして、すみませんうちのが」と周りに謝罪しながら、ホームを降りて階段裏手に回り込む。
「そこまで推理できたのに、最後は感情と勢いで解決しようとするな。今会社に戻っても、もう誰もいない。うちの会社は八時になると完全に電気が止まるようになっている」
「あらま。会社というのは十二時を回っても会社に寝泊まりしていると思っていました」
働き方改革のおかげで長時間残業はだいぶなくなったんだよ。そんな会社に入らないように会社選びしたんだから。
「ふーむ、では田辺さんの会社に入るということは」
「受付でお断りされるのが落ちだな」
「田辺さんの婚約者と言えば」
「ほかの方法を考えよう」
ぶーぶーとタコの口にして不満を訴える上好。インターンシップという手もあるが、さすがにこれを出されると次回以降も参加して俺の横に付きまとってくるのが目に見える。
「では明日から田辺さんの会社の前まで送り迎えをします。会社前まででしたら、受付の方も注意はされないでしょう」
「それはそうだが、それに何の意味が」
「毎日同じ時間に送り迎えしたら、私の名前と顔を覚えるが固定化されます。脅迫状が届くのは朝方、つまり田辺さんが出勤する時間より早い人になります。次回以降の脅迫状に私の名前が入っていたら、その時間帯の人。なかったらそれ以外の時間の人に限定されます」
「限定されるのはいい考えだが、お前はどうする」
「もちろん朝少し早起きする程度なら問題は」
「お前が刺されないかの心配をしているんだ」
脅迫状の送り主は、これまでの経験からしてヤンデレのはず。もしも見境なく攻撃するタイプなら、上好も凶刃に倒れてしまうかもしれない。俺だけならまだしも、上好も巻き込まれたら、そして俺だけ生き残ってしまったら一生の悔恨ものになる。
「だからそんな危険を冒してまでは、どうした上好」
「嬉しいです。自分が一番危ないはずなのに、私の心配をしてくれるなんて。婚姻届にサインをいただければ私悔いはありません」
それだけで満足して死んでほしくないんだがな。俺のような不幸の塊の男より、きっとまともな男性と巡り会えるんだから、自分の命を大事にしてほしい。
「ところで、さっきの略奪愛のことだが、まさか」
「いえ、お友達と恋バナをするときにお耳に入ったのです。もしも田辺様にそのような方がいらっしゃったら、具体的なお話をお聞きするところでしたが、幸いそのような方がいらっしゃらなくて安心しました」
うんまあ、それはよかった。もしも付き合っていた過去を知られたら、こいつも何をするかわからない爆弾と化していたかもしれん。
そろそろ駅から出ないと、寒くてかなわん。駅の改札口を出ようとしたとき、上好が突然ポカンと空虚な目で天井を仰いだ。
「あ、あの。田辺さん。私のカバンどこにありますか」
…………しまった! さっきの列車の網棚の上に置きっぱなしだった!
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俺に恋する乙女はヤンデレしかいない。でも今回のヤンデレJKは、ヤンアホだった件 チクチクネズミ @tikutikumouse
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