第4話 その少女、詮索する

『昨日も会社の前で会ったな。警告したはずだ。別れろ』


 またか。

 警告文は毎日引き出しの中に入っていた。しかも上好と出会った日には、紙はぐしゃぐしゃ、穴が空いていたりと相手の妬ましさが無言の圧で伝わってくる。しかしこの手紙を送った人物はいったいどこに潜んでいるというんだ。

 俺の机がある執務室は専用のカードキーでなければ入れない。つまり社内の人間ということになるのだが、いかんせんこの本社に出入りするは多く、しかも半数近くが女性社員と特定が難しい。この執拗かつ嫉妬の加減からすると、送り主は限りなくヤンデレ体質。

 俺の身近な人ならともかく、一方的な好意を持たれては説得が難しい。最悪刃物で突き刺される可能性がある。防刃チョッキを毎日着こむ生活を送らなければならないかもしれないと思うと肩が重くなるな。


「田辺、田辺! おいそんなところで立ちすくんだら通行のじゃまだろ」

「失礼しました課長。あの、これ」

「今日の日報はもうもらったぞ。まったくしっかりせんか、お前ももうすぐ部下の一人や二人を抱えないとならん年だぞ。部下の面倒を見、手本を見せてこそが男冥利に尽きるというものだというのに。出世は同期の鬼怒君に先越されて」

「すみません」


 今度は香川課長のお小言。今朝からついてないな。ネチネチと失敗に言及する嫌味な人だけど、なんで俺にばかりよく小言を言うのだろうか。


「そうだ来年の一月ごろ実施予定のインターンシップだが、田辺頼んでくれるか」

「私がですか」

「いきなり部下を持つより、インターンシップを挟んで教育と指導をどうやるのかの経験にもなるだろうしな」


 インターンシップ。近年の新卒採用でもはや就職解禁日という建前が無くなり、事実上の採用選考となっている。うちの会社でもほかの企業と同じく選考の対象になる重要な案件なのだが、一つ問題がある。

 それはうちのインターンシップが高卒も対象にしているということだ。高卒は二年生か三年生が対象だが、希望があれば一年生でも見学や就職体験も可能なのだ。これが意味することは、上好が『インターンシップ生』として堂々とこの会社の受付を通り抜けてくるということだ。

 あいつは合法的に近くに居られることをいいことにべったりと付きまとってくることが容易に想像できる。それだけなら指導力不足で注意されるで済むだろうが、警告文の送り主の怒りが頂点に達する。そうなると社内が殺生沙汰となり、パソコン機器類が返り血まみれになる。そんな事態は避けなければ。


「いえ、自分にはまだそんな心構えが」

「心構えがなんだ。部下を導くための予習のためと言っているのに、まさか予習の予習が必要だなんて言うんじゃないんだろうね」


 予習ではなく復讐という名の逆ギレが起こる。とは直接言えない。


「課長、さっき課長のパソコンからアラームが鳴りましたが。あれメールの着信音では」

「メールだと。聞こえなかったが、見てみるか」


 ちょうどいいタイミングで課長が離れてくれて、やっと一息つくことができた。その隣に課長を呼んだ鬼怒さんも自分の座席に座り込んだ。


「課長に激詰めされていたけど、どうしたの」

「インターンシップの指導係になれって詰めれて。とにかくやれやれの一辺倒で」

「私たちの採用担当香川課長だったでしょ。その中で一番の出世頭が女子の私だけで、肝心の男子の出世が遅れてヤキモキしているのよ」

「確かにそうだったけど、今さら」

「うちの会社男女比率でいうとほぼイーブンになったのここ最近でしょ、会社の砲身で女子社員の増員を掲げているんだけど、課長当人としては周りが異性だらけだとやりづらい環境が困るから、採用した田辺君に対してのあたりが強くなったんじゃない」


 うちの会社の上役はほとんどが男性陣で占められている。その比率を維持したいという目論見で、俺を昇進させたがっているのか。しかし今の平社員クラスはほぼ男女比率が同等、将来的には上役の比率が男女同じになるのは時間の問題だ。しかも個人的に香川課長とは仲が良いわけでもないし、数字の上での数合わせに使われたくないぞ。


「でもちょうどメールが来て助かったよ」

「あれ、嘘。田辺君大変そうだったから助け舟出したの」

「そんなことして怒られない?」

「課長、メールは頻繁に見る人だから。ちょうどいいタイミングだと思ってくれるわ。ともかく出世は、慌てるとミスを起こすから自分のペースでゆっくりと考えるべきよ」


 自分のペースでか、今の時代だと出世しても苦しいだろうし、今のところ俺にメリットがないしな。ゆっくり考えるべきか。あっちの話もゆっくりと考えさせてもらいんだが。

***

「お帰りなさい田辺さん。どうぞおカバンをお持ちいたします」


 帰りの駅の改札を通り抜けたところに、彼女が満面の笑みを浮かべて両手を差し出していた。


「ここは駅だし、君の電車は反対だろ」

「何をおっしゃっているんですか。電車とは私たちの愛の巣へ運ぶ渡り鳥。帰り道を共に歩むのは夫婦として理想のシチュエーション」

「俺も渡り鳥のようになりたいな。新しい巣作り」

「なんと私たちの新居もお考えだなんて」


 皮肉で言ったつもりなのに全く効いてない。くしゅんと上好が小さくかわいらしいくしゃみをした。今午後七時、学校が終わるまでの二時間も吹きっ晒で俺を待っていたのか?


「一旦改札の外に出てコーヒーショップに入るか。寒空で冷えているんじゃ」

「なんてお優しいお言葉! ですがご心配には及びません、帰りの満員電車の中で田辺さんの体で温めていただければすぐに」


 帰りの満員電車をなめるなよ。そんな余裕すらもないんだから。


 駅のホームに上がると、柱しかないふきっ晒ホームに寒風が叩きつけられる。仕事帰りの人たちが寄せ合って、風を押さえているが電車が通る度に吹く風の前ではなしのつぶてだ。

 その横で、上好が身を震わせ。いや悶えさせながら電車を待っていた。


「あードキドキいたします。もう少ししたら田辺さんとべったりと」

「変な意味に聞こえるだろ」

「体を密着させる以外のほかに何の意味がございますの?」


 この天然ヤンアホめ。

 そうこうしているうちに、乗客と寒風を運んできた急行列車が駅に滑り込む。降りた乗客と入れ替わりに車両に入ると、もう中は仕事帰りの人で満杯の状態だ。ドアが閉まると上好と完全に密着した状態で列車は出発してしまった。上好にとって最高のシチュエーションの完成だろうが、肝心の本人は息苦しそうで乗る前の余裕はなさそうだ。


「満員電車、キツイです。朝より加齢臭の匂いと陰気臭さが充満して」

「サラリーマンの苦労の香りをそんな風に言うな。ほら背中のカバン網棚の上にあげてやるから」

「ああ、私のカバンが田辺さんの手に。これは事実上私が田辺さんに抱かれるのと同じ」


 いっそ背中に抱えたら、昇天してしばらく黙ってもらえるんじゃないだろうか。

 列車が急に大きく左に傾き始めると、全員が同じ方向に倒れ始める。大きなカーブに差し掛かったのだろう、その反動で上好の体に体格差もあって覆いかぶさるようになった。潰さないようにはできたが、これは急行次の駅まで十五分もこの体勢で息苦しくないだろうか。


「か、か。壁ドン」


 いや本人は幸せそうだな。

 窮屈だったカーブを通り過ぎて、車体が元に戻る。やっと一息つけると安心する。が、足元に違和感があった。脚に挟んでいたカバンがなくなっていた。どこに行ったんだ。あれにはインターンシップの資料とか財布とかが入っているのに。

 探そうにも、人の壁に阻まれて屈めない。


「探しているのあれですよね。田辺さんのカバン」


 上好が指したのは、ドアと座席の角でもたれかかっているカバン。間違いなく俺のカバンだ。こりゃ誰かに取ってもらわないと。


「私取ってきます」


 上好が体を屈めさせて、人の脚の隙間に手を伸ばす。ほんの数人分先なのだが、体が自由に動かせないせいで遠く感じる。


『まもなく新花町新花町。左側の扉が開きます』


 いかんもうすぐ駅だ。扉が開いたら、上好が隙間に落ちてしまう。


「上好戻れ。扉が開く」

「もう少しですから」


 上好は聞き入れず、もう一度カバンに手を伸ばそうと試みだす。急に体が後ろに引かれる。列車にブレーキがかかり出したのだ。それに釣られるように乗客も後ろに倒れてくる。それが数十秒続くと列車が制止した。


『新花町新花町』


 扉が開くと乗客たちが扉に殺到する。上好は、まだ腰をかがめたままだ。扉の前にいた乗客は上好のことに気づいていたから跨げていたが、その後ろにいた乗客はそのことを知らず突っ込んでくる。

 まずい。

 手を伸ばし、背中をむんずとつかんで引っ張り上げてそのまま引きずるように列車から降りた。

 間一髪で巻き込まれずに済んだ。とほっとしていると、当の上好が俺のカバンを差し出した。


「田辺さん、はいカバンお取り致しました」


 ニコニコと褒めて褒めてと子犬のようにドヤ顔で迫る。俺は上好のおでこにデコピンをお見舞いした。


「いでっ」

「バカ。一歩間違えれば大けがだったぞ。隙間に落ちたらどうなることか」

「でも、田辺さんのことを思って」

「お前の体はどうするんだ。ちゃんと人に頼んでいたら危険も少なかった。自分でなんでもしようとせず、ほかの人の頼むこともしろ」


 俺も上好を止めずにカバンを取らせようとしてしまった責任もある。だからちゃんとここで怒らないといけない。上好はしゅんとしょげてしまった。こうしてみるとまだまだ子供でしかないんだな。


「申し訳ございません。あと、ちょっとカバンが開いてしまって、中身の書類は取りこぼさずに済みましたが」

「……ありがとうな上好」


 カバンも上好も無事で一応はこれで済まそう。とりあえず、家に入ったらホットミルクか何かを飲ませて帰ってもらおう。


「田辺さん。これは何ですか」


 スンと上好の声が冷たいものに変わった。その手には一枚の紙。あれはインターンシップ、のではないな。それだったらもっと喜び飛び跳ねるはず。だとしたら。


「誰に脅迫されているんですか」


 今朝俺の引き出しに入れられていた、『脅迫状』だ。


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