コロナ禍のサンタクロース
すでおに
第1話
あれはまだ夏の初めのことでした。白い朝陽が木漏れ日となって舗道に降り注ぐ中を、僕はせっせと自動車教習所へ通っていました。コロナのせいで閑古鳥が鳴くとおもいきや教習所は混雑していた。時間を持て余した人たちが、いい機会だからと免許を取りに来ているとのことでした。
その日、学科教習と技能教習の間に1時間ほどの空白が出来てしまい、僕はロビーで時間を潰すことにしました。ソーシャルディスタンスで減らされた座席に、僕は空席を見つけてスマートフォンをいじっていました。緊急事態宣言が明けたばかりでマスクは必須で、室内での飲食は躊躇われました。
ロビーには他に3人いたのですが、僕の隣―使用禁止の椅子を挟んで―に恰幅のいい男性が座っていました。長く伸びた真っ白なひげの上にマスクをしたその男性は、髪も真っ白でお年を召しているようでした。
換気のために開けられたままの窓から風が吹き、その人が膝の上に置いていた教習原簿が、僕の足元に滑り落ちたんです。時期が時期だけに、拾ってあげるべきか、素手で触れていいものか迷いつつ視線だけ落とすと、男性が慌てて拾い上げました。その教習原簿に書かれていた名前に、僕の視線は釘付けになりました。
マスク越しでただでさえ小さな声を、さらに絞って僕は訊ねました。
「もしかして、サンタクロースさんですか?」
男性は周りの目が向いていないことを確認してから、こくりと頷きました。
「どうしてこんなところにいるんですか?」
自動車教習所にいる目的など一つしかありませんが、サンタクロースとは一番かけ離れた場所に思えて、口をついて出ました。
ちょうどロビーにいた他の二人が席を立って出て行きました。二人きりになると、サンタクロースは悩ましげな顔を浮かべて言いました。
「わたしの元には1年中、世界中からの手紙が届くんだ。それが励みになっているんだが、最近は困った手紙も増えてね」
「どんな手紙ですか?」
「『トナカイが可哀そう。動物虐待だ』という手紙だよ。アメリカあたりは特にそういうことにうるさいからね」
サンタクロースはため息交じりに続けた。
「大人からの手紙もあれば子どもからのもある。子どものふりをして書いているのか大人に教わったのかは分からないが、そういう手紙を読むたびに心苦しくなるんだ。わたしはずっとトナカイと一緒に暮らしている。家族のように大切にしているつもりだ。毎年プレゼントを配るのを手伝ってもらうが、無理強いしたことは一度もないし、嫌がる素振りを見せたことも一度もない。しかしそれも彼らにとっては都合のいい解釈に過ぎないらしい。いまはまだやり過ごしているが、そういう声が大きくなった時に備えて自動車免許をとりに来ているんだ」
「クルマでプレゼントを配るんですか?」
「そうならなければいいとは思っているがね。それに、クルマで配ったところで問題がすべて解決するわけではないんだよ」
サンタクロースの顔は曇ったままだった。
「どういうことですか?」
「クルマにするにも電気自動車でなければならないんだ。ヨーロッパは環境問題に敏感だからね。サンタクロースは大目に見てくれてもよさそうなもんだが、サンタクロースだからこそお手本にならなければいけないようだ。サンタクロース発祥の地であるフィンランドが、とりわけ環境問題や動物愛護に熱心だしね」
「頭が痛い問題ですね」
「それで終わりではないがね」
「まだ何かあるんですか?」
「日本では、高齢ドライバ―に対する目が厳しくなっているだろう。教習所にいるだけでも視線を感じるんだ。わたしは毎年世界中の子どもたちにプレゼントを配っているんだから、まだまだ頭も身体も丈夫なんだが。それでも世間の風当たりは強いよ」
「いっそのこと、プレゼントを配るのやめればいいじゃないですか。文句を言われてまで配ることないですよ」
「それはそれで苦情がくるだろう。子どもが可哀そう、とね。わたしも楽しみにしている子どもたちを裏切りたくない。何とかして子供たちの笑顔を守りたいんだ」
「でも八方ふさがりじゃないですか」
「みんなの意見を聞くと、12月の暮れの真夜中に自転車でプレゼントを配らなければならなくなるが、そんなことできると思うかい」
「無理ですね」
「今年はマスクをしなければいけないし、枕元にプレゼントを置く前に手を消毒しなければならないだろう。なによりクリスマス前にPCR検査を受けないといけない」
「陽性だったらどうするんですか?」
「どうすればいいのかね。少なくともわたしの身体は労わってもらえそうにない。今年のクリスマスは冷え込みそうだ」
そう言ってサンタクロースは外を見た。換気のために開けたままの窓から暑苦しい風が流れてきた。蝉の鳴き声が喧しかった。
コロナ禍のサンタクロース すでおに @sudeoni
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