感染…。

宇佐美真里

感染…。

「何を描いてもいいよ」と僕は子供たちに言った。

「何でも、君たちの描きたいと思う物を描いてごらん」

僕は幼稚園で幼い子供たちと毎日顔を合わせている。お絵描きの時間は毎日お昼寝の時間の後に設けられる時間だ。


或る日、或る女の子の描いた其れが、僕の注意を引いた。いや、其の日初めて僕は気が付いた訳ではなく、本当は何日か前から気にはなっていた。

「遂にこんなになって………」

僕は子供たちに気がつかれない様な小さな声で呟いた。


其の女の子の目の前に広げられている画用紙…。其処には何とも其の描き主に似つかわしくない物が描かれていた。彼女はクラスの中でも明るくて、クラスのみんなに人気のある女の子だった。彼女の描いた物…其れは紙いっぱいに描かれた黒い"モジャモジャ"。黒いクレヨンで描かれた其の"モジャモジャ"は何かを塗り潰して隠そうとでもするかの様な荒々しい、"モジャモジャ"だった…。


僕が初めて気が付いた時、其れはほんの小さなモジャモジャに過ぎなかった。男の子、女の子が遊んでいる脇に描かれた花、恐らくチューリップだろう。何本か描かれたチューリップの花のひとつが黒い"モジャモジャ"で描かれていた。初めから黒いクレヨンを使い、黒い花が描かれているのではなく、"モジャモジャ"の下から垣間見る事が出来る元の花の色は、明るいピンク色だった。ピンクの花が黒く"モジャモジャ"で塗り潰されていた…。

「此のチューリップはどうしたのかな?」

僕は彼女に尋ねてみた。否定する事はいけない。「珍しいね…黒いチューリップ…」僕は言った。彼女は脇に蹲み込んだ僕を見上げ、ニコッと笑いながら言った。

「可愛いでしょ?」

「そうだね…。黒いチューリップ、珍しいね。可愛いね」

僕は彼女の言った言葉を繰り返した。


次の日、黒いチューリップは其の数を増やしていた。今度は三本。三本共に其の日のチューリップは前日の其れとは異なり、初めから"黒"として描かれていた。黒のクレヨンの下に、他の色を見つける事は出来なかった…。

其して、其の日、女の子の隣の席に座る男の子の描いた絵に、黒い猫が登場した。

彼の家では茶虎の猫を飼っている。彼の絵の中に登場するレギュラーメンバーのひとつだ。茶虎の猫が黒猫へと姿を変えていた…。彼の茶虎の猫の名前は"シャケ"と云った。

「猫なのに"鮭"なの?面白いね?」

其う訊いた僕に、笑いながら彼は答えていた。

「シャケはシャケがスキなんだよ?美味しい美味しいって、嬉しそうな顔でいつも食べるんだ!」

彼は言っていた。其の"シャケ"が黒猫となり、画用紙の中で黄色い目を輝かせている。

「シャケはどうして黒くなったんだい?」

僕は訊いた。

「カッコいいでしょ?!」

彼は元気よく答えた。


更に次の日、彼の"格好の良い黒猫シャケ"は、黒豹へと姿を変えていた…。其れまで小さく描かれていた"シャケ"は、画用紙いっぱいに描かれ、鋭い目を此方に向けて黄色く輝かせていた。

女の子のチューリップ、男の子の黒猫に次いで其の日、またしても他の子の画用紙に"黒"が登場していた。

幼稚園の作業時間は四人ごとの班に分かれて行われる。

いつもキラキラと光るドレスを着たお姫様を描いていた女の子の画用紙に、またしても"黒"が登場していた…。

三人目は"黒い姫”"黒い城"だった…。

「今日はキラキラドレスではなくて、黒いドレスなんだね…お姫様?それにお姫様の白いお城も今日は黒いんだね?」

女の子は答えた。

「うん。お姫様は王女様から黒いドレスを譲って貰ったの!お城はね?周りにいっぱいカラスがとまってるから黒く見えるの!」

其う答える彼女は、得意気だった。



其して、チューリップの女の子が、遂に画用紙を"モジャモジャ"と塗り潰した日、同じ班四人の残りの一人の男の子は画用紙を縦に使い、真っ黒な服を着て、白い歯を大きく開いた口の中に並ばせた、真っ黒な男を描いていた…。

僕は其の班で最後の男の子に訊いた。

「此の人は一体誰なんだい?」

彼は僕の後方を、指差して言った…。


「先生…」


彼が指す先へと、僕は振り返った。

其処には、全身真っ黒な服に身を包む者の姿が鏡に映っていた…。

おかしい?!黒い服など、僕は幼稚園に着ては来ない。着て来た事もない。黒は子供たちに不安を与える…其んな思いから、僕は黒い服を避けていた………筈なのにっ?!


鏡に映る全身真っ黒の其の男は、大きく口を開け僕に笑ってみせる…。

クラス中、他の班の子供たちの絵にも、何処かしらに黒い何かが描かれ始めていた…。



-了-

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