ミント

人生

 隣に君がいて。




 今日、俺は彼女とデートをする。

 初めてのデートになる――予定だ。


 ……まあ、初とはいっても、「デート」という言葉をどう定義するかによっては異議を唱えられてもおかしくはないのだが――ごく平均的な十代男女の恋人らしいデートという点でいえば、本日が初になるだろう。


 というのも俺たちは、受験が終わり卒業するまでそうした男女の交際はしない、お互い勉学に専念するという契約の元、一応の付き合いをスタートさせたのである。

 放課後は一緒に帰り、休日は図書館で勉強したり、時にお互いの家に行くこともあったが――俺も健全な中学生男子なのでいろいろ興味があったものの――これまで特に、何事もなく。


 そのため俺は本日のデートに何かといろいろ期待してしまっている訳なのである。


 ……正直なところ、昨夜は楽しみというか妄想が膨らみすぎてロクに睡眠をとることが出来なかった。様々なシチュエーションを想像しているうちに、気付けば朝。郵便受けに新聞が投函される音ではたと徹夜を自覚した。

 なのでコンディションは絶好調でないものの、鏡を見るに、見た目の上でそうした心身の不調は確認できない。いつも通りの俺の顔がそこにあった。

 とにかくその顔を洗い、身だしなみを整える。


 眠気覚ましにとびっきり苦いコーヒーでも飲みたかったのだが、カフェインには利尿作用がある。デート中に外でトイレに行きたくなっては困るのでここは我慢。

 代わりにシャワーを浴びると、食卓で新聞を広げていた父から「デートにでも行くのか」とからかわれた。ふだんあまりよけいなことを言わない父からの不意の言葉に、俺はめちゃくちゃ動揺した。出鼻をくじかれたような気分だ。


 そして部屋に戻り、適当な私服に着替えた。

 ……普段着慣れない服を着て、さも本日のデートを楽しみにしていたように思われるのは不本意だ。

 いやまあ実際楽しみなのだが――そこを悟られるのは、男として恥ずかしいものがある。現についさっきめちゃくちゃ羞恥心に襲われた。

 一応の理想としては、なんの気負いもなく、特にこれといって不純な行為を意識していない風を装いたい。


 その一方で、デートをするにあたって――最終的にはこう……手とか、繋ぎたい。

 欲を言えば、キスまでいきたい所存である。


 周りの友人等からは、すでにキスをしたとかヤったとか、いろいろと聞く。どこまで本当かは分からないその彼女マウントをとってくる連中を疎ましく思いながら、一方で俺はそんな風に堂々と交際できることに羨ましさを感じていた。


 今日から俺も――等々、気持ちが逸るものの、そうした邪な感情から付き合っていると彼女に思われるのは心外だ。

 俺は真摯な気持ちで彼女と交際している。つもりだ。


 しかしその一方、一般的な男女らしい交際もしたい。その結果として何かしらあってほしいが、それを彼女に強要するつもりはないし、当然それが目当てという訳でもない――


 ないのだが……やっぱり健全な付き合いをするのなら、お互いに好きあっているというのなら、その結果として、その証明として――


 ……そうだ、俺は彼女の真意が知りたいのだ。


 これまで勉強ばかりで、手を繋ぐこともなければ再三言っているがキスさえしたこともなかった。「付き合っている」ことは口約束みたいなもので、心のように、人の気持ちのように、それを証明するに足る目に見える根拠はない。


 俺たちは本当に付き合っているのか?

 ……そんなことに拘るのもまた男としての度量を問われそうだが――気になるのだから、仕方ない。


 ともあれ、待ち合わせの時間が迫っている。

 いつまでもうだうだと考えてはいられない。決着がつかない限りいつまでも悩みそうだが、ともかく――なんとか漕ぎつけたデートだ。休日に待ち合わせて、一緒に出掛けるというだけだが――今日を楽しまなくちゃ損だ。

 それに、今日の俺の行動次第で今後の関係性が変わるかもしれない。


 気合を入れて、デートに臨む。


 とりあえず何があってもいいように――ガムを噛んでいくことにした。

 いや別に口臭とかが気になる訳ではないのだが、いざこう、あれするとなるとだな、こちらは気にしていなくても相手は気にするかもしれないし……、




                   ■




 閑話休題ともあれ――


 何があってもいいように、待ち合わせの三十分前には待っていようと思っていたのだが、約束していた駅前を訪れると、既にそこには彼女の姿があった。

 どうやら彼女は俺よりもさらに三十分くらい早く来ていた模様。


 待った? とたずねて「今来たとこ」と素っ気なく返されたらそれくらい待たせてしまったと考えるべきだろう。ちなみに「待った?」というのはあくまで分かりやすく要約したものであり、実際はもっと迂遠な感じに相手の顔色を窺った俺である。


 俺は遅れてしまった、待たせてしまった……この負い目を自覚しておく必要がある。すでに彼女の、このデートに対するモチベーションはマイナスである。下手なことをすれば彼女の機嫌を普段よりも損ねてしまう恐れがある訳だ。


 ここからプラスにしていけるようにと――いろいろとまあ考えてきたのだが、ここに来て正直どれも正解とは思えなくなった。


 そもそもデートにおける正解とはなんだ?


 今回の〝外出〟は名目上、お互いの努力を讃えるためのものだ。受験を終え、卒業し、無事に同じ学校へ……希望する高校への進学も決まった。

 卒業したので校則で禁止されていた(と思われる)不純異性交遊をしても問題ないのでは、という俺からの提案のもと、健全なお付き合いの一環としての外出だ。

 これが家族や友人同士なら、卒業おめでとうなどとパーッとお祝いするものだろうが、交際する男女の場合は何をするのが正解なのだろう?


 ……考え出したらキリがない。


 とにかく俺は友人どものノロケ話から導き出した、女の子と一緒に出掛けるにあたってきっと無難であろう妥当なコースをたどることにした。


 一度ルートを定め、こうすると決めたなら、突然のトラブルに対応できないのが俺の悪いところだ。

 これはデートで、ある意味において二人の共同作業だ。共に進行する工程だ。俺一人が楽しめればいいというものではない。俺自身は二の次で、彼女との関係をより進展させるためのもの。彼女が楽しめなければ、またデートをしようという話にもならない。


 彼女が何かに興味を示したらそちらへ行けるようそれとなく配慮するため、彼女の様子には常に気を配らなければ――


 ………………。

 …………。

 ……。


(……めっちゃ疲れた……)


 常に気を遣いすぎて、全然楽しめなかった一日が終わろうとしている。


 正直、ここ数時間の記憶がない。


 まだ日が暮れるには早いが、初めてのデートなのだから……というかちょっとしたお出かけなのだから、長時間連れまわすのも問題だ。


 特にこれといってデートらしいこともなく――もう男女で歩いているのだから傍から見ればこれは立派なデートということでいいのでは? という諦めを抱えながら、帰りの電車に乗り込んだ。


 地方だし夕方の帰宅ラッシュにはまだ早いためか、電車の中にはほとんど人がいなかった。

 そういえば世間的には今日は平日なのだなと、どうでもいいことを考える。


 席はたくさん空いているのだが、俺たちは並んで座っている。離れるのもいかがなものかと思いそうしたのだが、この距離感はいくらなんでも近すぎたのではないかと今更ながら後悔した。


 というかもうずっと後悔している。

 思い返せばいろいろと……もっと何か出来たのではないかと思う場面がいくつもあった。


 なんというか、俺は恋愛に向いていないのかもしれない。

 それとも彼女との相性が悪いのか。そもそも彼女にそんなつもりがない可能性も有りうるし――そもそも、俺は彼女のことが好きなのかと、前提から覆るような疑問すら抱く。


 ……と。


 疲れのためか、うとうとしかけていた俺は、不意に感じた爽やかな匂いに目を覚ます。


 ――ミントだ。


 お昼とか食べてるあいだ、ずっと俺の口の中で食事の味を台無しにしてくれたガムはもう、とっくの昔に紙に包んで捨ててしまったはずなのだが――あのガムがなくても、相手を意識しすぎてまともに食事をとることも出来なかったのだが、それはともかく。


 隣から、だった。


 いろんな可能性が脳裏をよぎる。お互いに、今日は匂いが気になるような食事はしていないはず――


 もしかして、と思い至ったとき。


 今日一番の緊張と、脈拍の上昇。



 ――好きなんだ、と自覚した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミント 人生 @hitoiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ