第5話鬼、一

私は紙束を置いた。

嫌な話だ。

死んだら鬼になるだって?

冗談じゃない。


何処かに共感したのかそれとも身につまされたのか、とても話に入り込んでしまっていた。


手がかじかんでいる。ずっとコタツの外に出していたので寒さで血の気が引いて手は白っぽくなっていた…


一息つきたくなって、コタツの上に有るさっき入れたスープを思い出した。

カップをかじかんでいる手で持ち、中身をぐいっとあおった。

冷たくなっていた。

そのせいかお腹がグルグル……と音を立てた。お腹を下してしまったらしい。


(くそっ、こんなタイミングで)


コタツから出てすぐにトイレに駆け込んだ。つくづく自分が嫌になった。

たかが腹痛でも、苦しいと色々な思考がマイナスに働いていく。

多分誰もがそうだとは思う。自分だけではないはずだ……



まるで地獄の責め苦にでもあったかの様なていでコタツのある部屋に戻ってくる。

するとカーテンで閉めきった窓がカリカリと音を立てた。

私はコタツにすぐにあたりたいのを堪えて窓際に行きカーテンを開けた。



ニャー



半野良の飼い猫が二、三日振りに帰ってきた。

私は急いで窓を開けてやる。

外は相変わらずビュービューと北風が吹き荒れている。飼い猫が風邪をひいていなければいいが…


猫のご飯皿にキャットフードを山盛りに入れてやる。

猫は帰ってきた挨拶もそこそこにご飯にがっついた。

ついでに水皿に温めの水もたっぷり注いでご飯皿の隣に置いた。

私はコタツに戻りながら猫を眺めた。やはり外が寒かったらしく、毛がぼわぼわに逆立っていた。

そして長く綺麗な尻尾を不機嫌そうにピョンピョンと跳ねる様に振っていた。



トトトトト…



ご飯に満足した様で、コタツであぐらをかいている私の膝に乗ってきた。

寒い寒いと言うように体を小刻みに動かしている。何だか心が和んだ…


気を取り直した所で、根古の頭を撫でながらまたコタツの上の紙束を読んでみる事にした。




ーー『鬼、一』


鬼と一言で言ってしまえばそれまでだが、実は沢山の種類が居ると言うことが様々な伝承より知ることが出来る。

前述の話に有ったように、生前執着心や怨みを持つ人間が死して鬼と成る話も有れば、生きたまま人を呪い、鬼に転化する話(橋姫伝説や源氏物語等)も存在する。

だけれども、大抵想像されるのは、体が赤や青で、虎柄の腰巻きを巻いた角の生えた巨躯の姿(桃太郎伝説等)であろう。

だが実は、その姿すら後世の創作とされている。

陰陽道等で、禍々しいモノが這い出る方角を『鬼門』と呼んだ。その方位が丑寅の方角……つまりそこから牛の象徴の角と、虎の象徴の虎柄の腰巻きが生まれて現在の鬼となったのだ。


つまり元々は『鬼』は特定のモノでは無く、ただ恐ろしいモノを指したのだ。

その証拠の一つに、人の『魂』と言う漢字にも鬼の字が隠れている。人は昔から得体の知れぬモノや姿のハッキリしないモノを恐れ続けていたのが伺えるだろう。

それは『鬼』の語源にも見られる。

元々は『おぬ』…居らぬや影や隠れるを意味する言葉であったとする説だ。

やはり時代を遡れば遡るほど姿が無くなって行く。



だが、角の生えた鬼のモデルはもう一つ有り、それは地獄の閻魔大王の部下の獄卒達である。

昔話にはこうある。

昔々、ひねくれた老婆が居た。

悪さをしたわけでは無いが、神仏を拝まず、地獄で働く鬼の掛かれた掛け軸を拝んでいた。

そしてその老婆が死ぬと、閻魔大王は神仏を敬わなかったとして、老婆を地獄に落としてしまう。


だがどうだろう。

舌を引っこ抜く鬼は、老婆の虫歯を抜き、針山の鬼は老婆に石の草鞋を履かせて針山の針が刺さらなくし、餓鬼道の鬼は腹を減らぬ様にし、釜茹での鬼は湯加減を温かくして老婆を風呂に入れてやった。

しまいには地獄で鬼と暮らしたいと老婆は言い出した。


だが閻魔大王が出した判決は覆り、極楽へと老婆は昇る事になる。獄卒達が閻魔大王に平伏して頼み込んだのだ。

『嫌われるばかりの私達を敬って愛してくれたただ一人の人間です。どうかお許しを…』と…

そして獄卒達は老婆を笑って見送り、老婆が何度も振り返っても涙は見せなかった。

極楽に老婆が消えたのを確認すると、地獄中の獄卒が涙を流したと言う。


この昔話からするに、地獄の鬼は責め苦を仕事としているだけで元々残忍でも悪でもないと見れる。だからこそ、色々な昔話の敵役に選ばれたとも言えよう……


だけれども、人の魂が転化した鬼は手に負えない。

私の経験にも思い返すのも恐ろしい鬼の思い出がある。


中学の頃であったと思う。部活動で遅くなり、日もとっぷりと暮れた頃に私は自転車を走らせていた。

自転車のライトでも、数メートル先が分かるかどうかの暗闇だった。

だが私にはハッキリとあるモノが見えた。



地面から数十センチ浮かんだ所に、白い着物を着た足が歩いているのを……

上半身は無い。それに二、三歩足を動かしたかと思うと、ものすごい早さで道を横切り暗闇の彼方へと去っていった。


それを見た私は無我夢中で自転車をこいだ。部活動で痛む体に鞭うってでもその場には一秒も居たくなかった。


細く暗い道を走り抜け、ほうほうの体で家に転がり込んだ。


『お帰り。どうしたね、そんなに息切らして』

敷地に入った時から多分五月蝿かったのだろう。祖母が割烹着を着たまま玄関に出てきた。


『顔が青いねぇ、一体どうしたんだい?』

そう優しく声をかける。

私はよくは分からないがありのままを話した。実際に有ったのか見間違いだったのかは分からない。けれども話した。

祖母は私が震えているのを見て、背中をさすりながら聞いてくれた……


話終えた後に、学校の鞄やら部活動の道具やらも外の自転車の籠に入れたままになっているのに気が付いた……

宿題等も入ったままだ…

私は恐ろしくて一人で外に行けないと言うと、祖母が懐中電灯を持って一緒に外に出てくれた。

夜の七時過ぎだったのでもう懐中電灯無しでは庭ですら危なかった。中学生にもなって情けないが、祖母の小さな背中をしっかりと握った…


車庫に半ば放り捨てる様にして止めてある自転車。

そこから私は引ったくる様にして荷物を取った。すぐに踵を返したかったが祖母は動かない。

どうしたの?と尋ねると、祖母はこう言った……


『お前、良く無事に帰ってこれたねぇ』と。

そう言って自転車のライトを懐中電灯で照らした。


驚いた。


自転車のライトが何か恐ろしい力で握られたかの様にひしゃげていた。これでは灯りのようを成さない。これで暗闇を闇雲に走り、事故に遭わなかったのは奇跡かも知れない。


『お前がソレを見た場所は○○じゃないかい?』祖母が言った。

『そうだけど…そこまで言ったっけ?』

不安になり祖母の割烹着をぎゅっと握った。

『外じゃ何だからもう中に入ろうか』

祖母はそう言って玄関に向かった。


家では母が祖母の仕事を引き継ぎ、夕食を作っていた。

他の家族は居間でテレビを見ながら食事が出来るのを待っている。いつもの風景だ。

私は祖母の部屋に通された。何か聞かれたく無い事が有ると、祖母は必ず自室に通した。

戸を閉めきると祖母は私の前に座り話始めた。



『お前が遭ったのは死人さ。足がない幽霊は良くある話だけれど、実はそんなモノばかりではないのさ』

そう言った。

祖母の話だと、幽霊の類いははじめは自分が何者か覚えているから人の形をしているらしい。

だが年数が経つにつれて、形を忘れて崩れたり、ぼやけたり、もしくは変容したりするのだそうだ。

私の見た足だけのモノは祖母が若い頃に亡くなった村人ではないかと言う話だった。土地に執着を持ち、亡くなった後国に土地を買い取られ道路にされてしまったのだそうだ。だから自分の土地を売った一族を祟り、しまいには道を通る人間を引きずり込もうと、一部残された土地の林に潜んで機を窺っているのだと言う。


『お前が足から上が見えなかったのはね、無くなったからではないよ?』


『人では理解出来ない姿に変わってしまっているから理解出来ないだけさ

そう言った』

話は前後してしまったが、前話『鏡』で取り上げた老婆が、転化した『鬼』の類いで遭ったのだと今では思う。


その出来事からも数年が経ち、都会に出て学校に通うためにアパートを借りた。

とても小さく、風呂がなく、トイレも共同の古い場所。それでも初めて本当に一人きりになった。


建てられたのは戦後すぐ。階段はギシギシ鳴るし、窓もアルミサッシではなく木枠。鍵も歯ブラシみたいな形をしていた。

それでも新しい生活に胸を弾ませた若者は部屋も鍵も通う学校も全て愛おしく思った。


一人暮らし、学校に通って半年くらいだろうか。私は新聞配達のアルバイトをしていた。学業と両立でき、事務所で仲間と温かい食事を食べる。深夜と夕方の配達。後は仕事と学業に障らなければ自由。今にして思えば心身共に充実していた。





あの瞬間迄は

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妖怪考察 太刀山いめ @tachiyamaime

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