ゴーストライト(仮)
人生
可能性とは、他人からもたらされるものといっても過言ではないのだ。
これから語るのは、私が破滅に至る物語だ。
あるいは、自滅といった方が正しいのかもしれない。
いずれにしても、それは私の意思で行われることなのだから。
たとえそれが、他のあらゆる可能性を奪われたが故の、選ばざるを得ない選択肢だったとしても――私にはもう、選択肢が残されていないのだから。
この運命を仕組んだ神様を恨みながら、私は死ぬ。
■
気付けば、朝になっていた。
顔を上げると目の前には点きっぱなしのディスプレイ。小説投稿サイトのエディタ画面が表示されている。ほとんど手癖と化した動きでマウスを動かして原稿を保存すると、肩から何かがこぼれ落ちた。ブランケットだ。寝ているあいだに誰かがかけてくれたのだろう、と。
視線を巡らせてスマホを探す。そのアラームで起きたのだ。寝落ち防止のつもりではなかったが、毎朝の目覚まし設定がそのままになっていて良かった。
テーブルの上をスライドしてきたスマホを手に取り、アラームを切る。時間を確認。本日は公休日、連休初日である。
……そうだ、連休だ。それで両親が旅行にいってしまったので、僕はこの機に原稿を仕上げようと昨夜はリビングで作業に勤しんでいたのだ。部屋が静かだと落ち着かないのもあって、眠気覚ましにテレビを点けていたのだが睡魔には抗えなかったのか。
まだ少し眠いのだが、両親が不在の今朝は自分で朝食の用意やその他家事いっさいをしなければならない。
軽い空腹を覚えつつ、ソファにもたれて伸びをする。いつの間にか消えていたテレビの電源を入れる。朝の報道番組をBGM代わりに朝食の準備でもしようかと思ったが、その前に昨夜の進捗を確認するかと僕はパソコンに向き直る。
新しく続きを書く前にこれまでの内容を一度最初から読み返すが僕の習慣だ。誤字脱字のチェックにもなるし、話の整合性や文体の一貫性を確認できる。お腹も空いているのでこれからすぐに作業を再開するつもりはないが、身支度を整えているあいだに何かしら良い表現が浮かぶかもしれない。
「えーっと……」
僕は小説投稿サイトのコンテストに応募するため、中編のミステリ小説を書いている。復讐を目的とした少女による完全犯罪――そしてそれを解決する探偵の物語だが、完全犯罪は少女の自殺によって完成するのだ。
昨夜は、少女の真意に気付いた探偵がどう行動するか、その描写に悩んでいるうちに眠ってしまったのである。
どう行動するも、プロットは決まっている。探偵の目の前で少女は高所から身を投げるのだ。それはもう止められない。起こってしまった悲劇に対し、探偵は何を思うか、どう対応するか……その描写しだいによって、この作品の評価は決まるだろう。そのため書いては消してを繰り返しているうちに珍しく寝落ちしてしまったのである。
で、結局どこまで書いたのだったか――たしか身を投げるシーンまで書いたはずだが……。
私は屋上に出た。はるか遠い地上を見下ろし、それから空を見上げた。どこまでも続きそうな青空が広がっている。
屋上から望める街並み、不均等なビル群、その中を行き交う蟻のような人々を見ていると、この世界にはたくさんの可能性が溢れているのだなと前向きな気持ちが芽生え始めた。
――私は、屋上に背を向けた。
………………。
「ん……?」
少女の心情を考えているうちに、寝ぼけて変なことを書いてしまっていたようだ。
屋上に出た。……のくだりまでバックスペースキーを連打して削除。
少女の内心は必ずしも絶望一色でなかった、という感じで僕の頭の片隅に留めておこう。これを意識することで少女の悲哀を演出できるかもしれない。原稿の下部に、「死にたくない、飛び降りに迷い、そのあいだに探偵が到着?」とメモを残す。
しかし、まあ……寝落ちしてしまったとはいえ、今の文章にはまったく覚えがないのだが、これがいわゆる「キャラが動く」というやつだろうか。このまま自由に動いて傑作になってくれないものか。締切近いし、やるなら可及的速やかに頼む。
……顔でも洗ってこよう。いいかげん空腹も無視できなくなってきた。
「兄ちゃーん、メシはー……?」
急かす声もあって、とりあえず現状を保存して僕はパソコンを閉じる。
立ち上がってもう一度伸びをしてから、僕はまず朝食の準備からとりかかることにした。
■
朝食を終えると僕は洗濯機を回し、洗濯が終わるのを待つあいだ少しでも原稿を進めようとパソコンの前に戻った。
僕の利用している投稿サイトにはスマホアプリ版もあるので、洗濯機を待ちながらスマホで作業してもいいのだが、原稿作業はもっぱらパソコンだ。どうせならリビングのソファで寛ぎながら書きたい。
投稿サイトのマイページで、未公開状態の小説を開く。
編集画面をスクロールして文章の末尾まで移動し――
「……ん?」
私は屋上に出た。どこまでも広がる青空を睨み、叫んだ。
――私はまだ死にたくない!
ねえ
パパならいくらでも自由に書き直せるんだから何もこんな結末にしなくたっていいじゃない! あんまりだよこんなの!
………………、
絶句、するなという方が、無理な話である。
……いや、うん。えっと……。なんかゴメン。
「…………」
さすがに寝ぼけていたという言い訳には無理がある。
明らかに、覚えのない文章が書きこまれている。おまけに斬新なルビまでふられているときた。
「なんだこれ……。怖っ」
慌てて謎の怪文章を消してから、僕はいったんサイトからログアウト。
そのままパソコンを閉じてもまだ、僕の心臓はふだんより早めに鼓動していた。
いったん落ち着いて、状況を整理しよう。
これといってとっ散らかってもいないから整理するにも一行で済むのだが――つまり、僕が離席しているあいだに、誰かが入力したのだろう。
叙述トリックにもならない。
すなわち、僕が起きたときからもう一つのソファでごろごろしていた――妹の仕業である。
ただ……妹は僕が朝食の支度をしているあいだも目に入るところにいたし(手伝わなかったし)、パソコンをさわった形跡はない。僕が目を離したのは洗濯機を動かしに行った時くらいだが、ほんの短時間だ。いろいろ書いている余裕はないだろう。
それに、そもそも妹は朝食をとるとすぐ二階へ行ってしまった……。
……自分で論破してどうする。
しかし実際問題、なんだこれ?
この
「…………」
……いやまあ、あるか。そりゃあるよな。死ぬんだから。僕が殺すのだから。
登場人物はトリックを完成させるための道具で、役割を演じるアイコンだと僕は考えている。動機は物語を動かす理由に過ぎず、今回の場合でいえば読者の感情移入を促せればいいという程度の認識だ。
……そうだ。登場人物に同情して、作者が作品をぬるくしてどうする。冷徹なほど過酷であるからこそ、物語は面白くなるのだ。厳しさゆえに、少女は復讐を志すのである。
後ろめたさがあったのだろう。あるいは罪悪感なのかもしれない。
馬鹿らしい。キャラが動くなんていうのは所詮、僕の無意識が生み出したものでしかないのだ。
「僕は負けないぞ――必ずお前を殺してやる」
台詞が悪人のそれだが、これくらいの強い意志でなければことを成し遂げられない。
今日は良心が不在なのだ。……両親だけに。
……あぁそうだ。
「先に洗濯物やっとくか……」
ちょうど洗濯機も終わったようだ。僕は腰を上げる。うん。決して現実逃避などではない。決して。
■
僕の利用している投稿サイトには、非公開状態の下書き原稿を他のユーザーと共有できる機能がある。
専用のURLを発行し、そこにアクセスすれば他のユーザーにも僕の書きかけの原稿を確認できるのである。
そして、僕は同じ高校の文芸部員数人にそのURLを伝えている。きっとあいつらの誰かがやったのだ。そうだきっとそうに違いないと、朝日を浴びて頭がはっきりしたのだろう、服を干しながら思いついた。
こういうことをやりそうな輩には心当たりがあるのでやり返したいところだが、生憎とスマホが見当たらない。まあ後でやり返すとして――原稿に戻ろう。もはや後ろめたさを気にする必要はない。
僕はパソコンを開いた。
サイトにログインし、原稿の編集画面を表示する。
私は屋上に出
いや出ない。屋上になど出るものか。
そもそもこんな計画が上手くいくのか? 所詮はただの女子高生の考えたトリック。
いくらこの私が並外れた天才でも、あの名探偵ならさくっと解決してしまうかもしれない。そうしたら死に損だ。それならむしろ、死んだフリをすることに知恵をつかうべきじゃないのか?
ねえ神様、もうちょっと考えるべきじゃない?
……ディスってんのかこいつ?
いやまあ、たしかに……相手はただの女子高生だ。そして完全犯罪を成し遂げるためには入念な事前準備が必要で、名探偵ならその準備から事件の匂いを嗅ぎつけそうなものである。
事件が起こる前に解決する名探偵――
おや? もしかしてそれちょっと、面白いのでは?
少なくともヒロインの死ぬ鬱エンドよりはマシだ。僕の良心も咎めない。
「おやお兄ちゃん、その顔は何か名案が浮かんだ顔ですね?」
と、いつの間にそこにいたのか、何やら得意げな顔をした妹が言った。
「それにしても兄ちゃんさ、
………………。
いや、他意はないのだ。これは下書きで、登場人物の名前もまだ確定しておらず、適当に思いつく名前をつけていただけのこと。ただ「ヒロイン」とすると味気ないし、他にその表現を使うときに混同してしまうからだ。
別に、ごろごろしているばかりで家のことをなんにも手伝わないこのクソ生意気な妹に恨みがあるとかそういうことではないのだが。
はて、それにしてもこいつはなぜ
なぜか僕のスマホを手にしているが――
「賞金もらったら、
ゴーストライト(仮) 人生 @hitoiki
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