ゴスロリ・アリス・シンデレラ
@cobalt32
ゴスロリ・アリス・シンデレラ
「きっとお似合いになりますよ!」
あたしはその言葉を愛想笑いで受け取った。支払い、商品の受け取り。またお越しくださいと言う店員の声を背中で聞く。もう二度と、この店には来ることはない。
あたしはいたって普通の大学生だ。地元で無難な大学に進学して、友達もそれなりにいて。流行の服をなんとなく着て、髪は明るい茶色に染めてる。
周りのみんなと違うところといえば、アパートで一人暮らしをしてるとこかな。親からの仕送りとバイトで生活してる。友達にそういう子は少ないけど、特別なわけでもない。
でもこの間は、少しだけ珍しいことがあった。お昼前の講義が終わった後、男の人に一緒にランチを食べないかと誘われたんだ。よく同じ講義で見かける人だったから、友達も行ってきなよって言ってくれた。それでなんとなく、その人と食事をすることにした。
「僕とお付き合いしませんか」
誘われた理由は、やっぱりそういうことだった。その人は見た目もチャラチャラしてないし、真面目でいい人そうだなって思った。もし付き合うことになったら、きっとお似合いだって言われるんだろうな。なんとなくそう思った。
あたしはすぐに答えを出せなかった。そりゃ、いきなり言われたら誰でもそうかもしれないけど。あたしはなんとなく、中学生の頃に好きだった男の子のことを思い出していた。面と向かって想いを伝えたことがないから返事を聞けていない。周りくどすぎて伝わってなかったかもしれない。今はもう、いいんだけど。
そういうことを考えていたら、「他に好きな人がいるんですね」って、食事相手は残念そうに笑いながら言ったんだ。そうじゃないんだけど、なんとなくランチは解散。あたしに今も彼氏はいない。
あたしの足元には、さっき買った服の入った紙袋がある。なんてことない今の服装に不釣り合いな可愛いデザインだ。ここから少し電車に乗って、調べておいたパスタ屋でランチを食べて家に帰る。それが今日の予定だった。二か月ごとの遠出は、それだけ済めばよかった。
駅を出ると、有名なタピオカ店があった。あたしがどこに行くのかは友達にも伝えていなかった。伝える必要がなかった。でもさすがに三回目ともなると、定期的にどこかに行っていることは勘づかれているようで、遠距離恋愛の彼氏とデートだなんだと冷やかされた。実家に帰っているだけだよ、と言っていたがそれも嘘だ。ともかく、タピオカは都合がいい。SNSに載せればなんとなく一人でいるということをアピールできるだろう。ランチは少なめにしようかな。そうだ、それがいい。
ランチを終えて、店まで引き返してくる。賑わっている列に並ぶ。順番が来るまで暇なので、SNSを開くと、友達が喫茶店でケーキを食べている写真を上げていた。写真の向かい側にもケーキがあり、男物のシャツが写りこんでいる。彼氏、できたんだ。この間の人と付き合っていたら、今頃あたしもこういう写真を撮っていたのかな。なんとなくそう思った。
冷やかしのコメントを尻目に、イイネを押す。友達が楽しそうにしているのは嬉しいことだけど、写真を見てもあたしが幸せになるわけじゃないんだな。出来事の一つとして消化されていく。それだけなのにみんな写真を上げたがる。普通ってそういうものなのかもしれない。
まだ九月だというのに、もうハロウィン限定味が出ている。可愛いしいい話題にできそう。あたしはそれを注文した。オレンジ色と紫色の二層のドリンクに、おまけの林檎味のキャンディがついている。店員さんからドリンクを受け取り、踵を返す。どこか適当な場所で写真でも――そう思っていたあたしの目に、あるものが飛び込んできた。
列の中ほど。厚底でリボンのついた靴。ふわっと広がった黒いワンピースのシルエット。十字架を逆さまにした模様が目を引く。フリルとレースがふんだんに使われた服、傘。ツインテールをくるくると巻いた髪型に、ヘッドドレス。厚底の靴なのに、あたしより背が低い。
「あ、あの」
声をかけたのはあたしじゃない。その少女が、真っ直ぐこちらを向いていて。呼び止めるような仕草の手が、あたしに向けられていて。この子が、あたしを呼び止めた。そう頭で理解するのに数秒かかった。前を通り過ぎて、理解した頭で振り向く。少女が残念そうに下げてしまった顔がぱっと明るくなるのがわかった。あたしは、困惑しながら少女の前に歩み寄った。
「その袋」
少女があたしの持っていた紙袋を指して言った。思わず息を呑んでしまった。この袋の中に何が入っているのか、この子は知っているのだ。雑貨や家具などではないことを知っているのだ。誰にも話したことがない趣味。地元じゃまず見かけない袋。知っていて、声をかけてきた。あたしは何が起ころうとしているのか、理解した気がした。
「あぁ、えっと、これは違くて――」
「お姉さんも、着るんですか?」
お姉さん、という呼称にあたしの思考が乱される。この子は見た目通り歳下なのだろうか。いやそんなことより、質問されたんだ。質問は、ええと、着るんですか。着るんですか?着ている少女に、質問されている。あたしは、この服を。
「ご、ごめんなさい。いきなりこんなこと、失礼ですよね」
「あぁいや、失礼、ではないけど、えっと」
動揺しているあたしに気を遣って、少女は謝ってきた。ぺこりと頭を下げる動作にツインテールとリボンが揺れる。謝らせたいわけではない。ただ、言葉がうまく整理できないというか。
「もしよかったら、これ、一緒に飲まない?」
あたしは気付けばそんなことを口走っていた。ドリンクを示して少女の反応をうかがう。はい、ぜひ!少女はそう答えた。
あたしはふわふわで綺麗なお姫様が好きだった。大きなお屋敷に住んでいて、素敵なものに囲まれた部屋があって。かわいいドレスを何着も持っていて、使用人に着付けてもらう。魔法だって使えるかもしれない。動物とすぐに仲良くなれて、手を振ればみんなが笑ってくれる。かっこいい王子様と結婚して幸せになる。子供の頃から、ずっとそういう物語が好きだった。
小さい頃の夢なら笑ってくれるだろうけど、さすがに中学生にもなると、所詮夢は夢なんだと言い聞かせることになる。それで、お姫様への憧れはいつの間にか忘れていた。
だけど、高校の修学旅行でパリに行ったことで夢は再燃してしまった。マリー・アントワネットが過ごしたヴェルサイユ宮殿。彼女のコレクションが展示されているカルナヴァレ博物館。物語の中だけだと思っていたお姫様の世界がそこにはあって、写真を撮る子も多かった。あたしももちろん撮った。こういうものを現代でも入手する方法はないかと調べていて、あたしはロリィタの世界と出会った。
小さな女の子が着るようなワンピースと、お姫様のドレスのいいとこ取りをしたようなお洋服。セーラー服のスカートがたっぷりと広がっていて、リボンとレースのついたお洋服。着物がベースで、繊細な模様とフリルとレースの同居したお洋服。とにかく、かわいくて綺麗な夢のような服が、現代にも存在していた。
「そう。そうなんですよ!」
近くのベンチで少女とドリンクを飲みながら、そんな話をしていた。少女はあたしと同じドリンクを飲みながら、うんうんと相槌を打ってくれた。
小さな動作で揺れ動く服につい見とれてしまう。あたしより一回り小さい身体によく似合っている。黒を強調した目もとに、真っ赤な唇。こういうの、ゴシック系だったっけ。お人形か、天使か。黒いから天使はおかしいか。
口の中でモチモチとした食感を噛みしめながら、ガラでもないことを考えてしまったことに気付いてむせそうになる。少女が慌てて背中を撫でてくれる。今まで感じたことのない気持ちで胸がいっぱいになるのがわかる。夢とも現実ともつかなくなったような時間の中で、ドリンクの写真を撮ることはとっくに忘れていた。
思ったよりたくさん喋ってしまった。少女はドリンクを先に飲み終えてしまい、おまけのキャンディを鞄にしまってあたしを待っている。焦ってまたむせるといけない。だけど、無言でただ少女に見つめられているのがくすぐったくて。
あたしが一息ついたのを見計らって、少女が口を開く。
「お姉さんは、着て外を歩きたいと思ったことはありませんか?」
「ないわけじゃないけど、やっぱりあたしには似合わないっていうか。変な目で見られそうで怖いっていうか」
「やっぱり」
少女が伏し目がちになるのを見て、あたしは慌てて訂正する。
「いやあの、あなたのことを変だと思ってるわけじゃなくて」
「ふふ、分かってますよ」
あたしの発言に少女が吹き出す。
「この恰好で街に出ると、変な目で見られますよ。見てはいけないものを見たように目をそらす人、好奇心でじろじろ眺めてくる人。道に迷って声をかけても、助けてくれる人なんかいません」
あたしの話に相槌を打ってくれてた時は純粋そうな女の子に見えたのに、急に底の見えない黒に変わっていくのを感じる。天使のようだと思った笑顔が小悪魔の微笑みに見える。初対面なのだから知らないことがあるのは当たり前だ。そうではなくて、どんなに手を伸ばしても届かないような、虚空の彼方。その果てに、彼女の本当の心があるような気がした。
「だけど私はこの恰好が好きだから、こうやって外を歩くのは好きです。素直な自分でいられるんです。それに」
それに。残り少ないドリンクを飲むあたしの目を真っ直ぐ見つめながら、彼女は言う。
「お姉さんは、普通の服を着ている人の中で、初めて振り向いてくれたから。一緒に時間を使ってくれると、言ってくれたから」
それは、この紙袋を持っていたからだ。
「だから、私にとってお姉さんは特別な人です。今日は特別な日なんです」
訂正する暇もなかった。最後のタピオカを吸い上げて、噛みしめる。あたし以外の、誰かにとっての特別。それが、あたしにとっての特別でもあるとしたら。
あたしは、特別を手放したくない。
この街に何度か来たことがあるというあなたに連れられて、あたしはシャワーを浴びていた。妙に真ん中がへこんだお風呂用の椅子。大きすぎる浴槽。温度調整盤に見慣れないスイッチがいくつもある。それらを見なかったことにして、汗とメイクを洗い流す。
部屋に戻ると、あなたがベッドに服を並べていた。今日あたしが買った服だ。不思議の国のアリスがモチーフで、水色を基調とし、トランプの柄や薔薇の花、懐中時計などの意匠がバランス良く取り入れられている。
「うん、全部ある。お姉さん、すごいね!」
こんな服が欲しいと誰かに言うのは憚られた。とても高価だということが大きかった。ワンピース本体の他にヘッドドレスや靴、ソックス、スカートをふわふわにするためのパニエなど、一式揃えるためには五、六万は軽く超えてしまう。 一時の「お姫様になる」という欲求を満たすためにそこまでのお金を使うのは覚悟がいる。同じ金額で最新のゲーム機を買う方がずっと理解してもらえるだろう。
だから誰にも、親にも親友にも言い出せなかった。言い出せないまま、大学生になった。
飲食店で汗を流して、まかないで食事代を浮かす。この生活を初めて一か月目で、三万円ほどの余裕があった。四月の途中から始めたし、まだ新入りの期間だった。ゴールデンウィーク明けからシフトを増やしてもらい、金銭的な余裕は更に増えた。そうして、二ヶ月おきに一式、ロリィタを買い揃えるだけのお金ができた。
あたしは、いつも通りの何気ない服装で店に足を運んだ。通販でも買えるけれど、色々な種類の服を実際に見ることができるのは現地に足を運ぶ大きなメリットだった。
初めて入った店は想像していたよりも狭かった。ロリィタを身にまとった店員さんが、「こういったお洋服は初めてですか?」と親しげに話しかけてくれる。肯定すると、ワンピース本体のほかにどんなものがあったらいいのか、丁寧に教えてくれた。見たことがないアクセサリーの使い方も教えてもらった。
七月、二回目に買いに行った店は、一回目とは違う店だった。既に夏が目前まで迫っていて蒸し暑かったのもあり、この日も無難な服装だった。
この店でも初めてかどうか尋ねられた。あたしは少し迷ったのち、初めてですと答えた。高価な服なので、試着をすることはできない。あたしのために店員さんがコーディネイトを考えてくれる。おすすめの一式を購入して、帰路についた。
今日行ったお店も初めての店だった。あたしは「初めて」に甘えるようになっていた。その自覚がありながら、こういう服って初めてで、と嘘をつく。実家に帰っているというのも嘘。ロリィタの店に来るのが初めてなのも嘘。なんだか嘘だらけだな。今日もおすすめの一式を購入した。
きっとお似合いになりますよ。
着ているところを見ていないのにどうしてそんなことが言えるのだろう。なんとなく、なのかな。服が良ければ、着ている人も良く見えるだろう。きっとそういうことなんだ。
あなたに手伝ってもらい、背中のファスナーを引き上げると、ぴたっと服がフィットした。新品の肌触りと着心地に思わず背筋が伸びる。仕上げのメイクをするために、少女と化粧台に向かう。途中にあった全身鏡にアリスの衣装が現れ、思わず足を止めてしまう。少女はにこにこしながら待っていてくれる。やっぱり似合わないな。典型的な「服に着られている」状態になっている。あたしの顔が曇るのを見て、早くメイクしましょう、と少女が背中に触れてきた。
道具はすべてあなたが持っていた。あたしも崩れたとき用に多少持ち歩いてはいたけど、一度落としてしまったメイクをやり直すだけの道具はない。ロリィタを着る人がどんな道具を使うのかには興味があったけど、あなたが取り出したのは案外見たことのあるものばかりだった。
「じゃあ、借りるね」
「まって」
メイクを始めようとしたあたしを、あなたは制止してきた。
「お姉さん、ナチュラルメイク以外やったことありますか?」
言われてみればそうだった。自分の部屋でのあたしはすっぴんで、メイクをしたあたしはいつもの顔で。無難な服装に合わせた、無難なメイク。あたしは自分の顔をそれしか知らない。
「ないかも」
「私がお姉さんに似合うかわいいメイク、教えてあげます」
「教えてって、どうやって――」
「お姉さんの顔がかわいくなるところ、鏡でちゃんと見ていてくださいね」
あれよあれよという間にあなたに主導権を握られて、あたしは大人しくメイクされることにした。他人の操る手や道具が顔に触れるのは、やはりくすぐったくてこそばゆい。しかし、あなたの真剣な面持ちと解説に、そんなことを言っている場合ではなかった。
あなたはまず、顔の左半分を仕上げた。鏡で見ると差は一目瞭然。チークは大きく広めに、思い切ってたくさん乗せること。アイラインの終端は絶対に跳ね上げてはいけないこと。大事なポイントを指さし確認してくれる。
お姉さんも自分でやってみますか?と聞かれ、恐る恐る道具を手に取る。知っている道具のはずなのに、ものすごく自信がない。大丈夫ですよ、とあなたが震えるあたしの右手を両手で包み込み、微笑んでくれる。その笑顔は、小悪魔ではなく天使だった。
「こんな感じ、かな……」
「さすが、お上手ですね。もうちょっと大胆にいっちゃっても大丈夫ですよ」
たかがチークを乗せるだけだというのに、あなたはベタ褒めしてくれる。いつもより濃いピンク色をもう一度筆でとり、頬に当てる。もうちょっと大胆に。引いた部分が予想以上の色に染まる。火傷をしたように赤くなってしまった頬。ごくり、と唾を呑み込む音が大きく響いてしまう。あなたがくすくす笑い始める。大丈夫、大丈夫ですよ。そうあなたは言う。何が大丈夫なものか。筆を置いたあたしも、一緒に笑い出してしまった。
結局、チークのリカバリーも含めて、残りはあなたにやってもらった。髪の毛も巻いてもらった。鏡を見てあたしは驚いた。ぱっちりとしていながら、甘えるような目。上機嫌に染まった頬。ふっくらとした唇。
「一か所忘れていました」
少女がグロスを手にする。唇にツヤをプラスするアイテムだ。付属のハケがとんとんとあたしの唇の真ん中をつつく。冷たい。そのまま広げるのかと思っていたら、少女があたしの顎に手を添えた。
「動かないでくださいね」
あなたの人差し指があたしの唇を真ん中から端へなぞっていく。メイクをされているだけなのに、なんだか。顔が、近くて。
指がまた真ん中に戻ってきて、反対側の端に滑っていく。どうして、そんな顔をするの。あなたの唇が少しすぼまっている。唇を意識しているせいだと、わかっている。わかっているけれど。
上唇から下唇へ。ゆっくり広げられるグロスが熱を持っているように感じる。それとも、熱を持っているのは、あたしの。
指が下唇の真ん中に戻ってくる。ひくついてしまった唇にびっくりしたのはあたしだ。触れられているのだから、気付かれないわけがなかった。それでも、あなたは意にも介さない様子でグロスを塗り終えた。終わって、しまった。
あたしは再び全身鏡の前に立った。先程の自信なさげな女の子はどこにもおらず、代わりにアリスの衣装がよく似合う女の子が立っていた。瞳がうるんで見える。さっきもこうだっただろうか?
手を洗ってきたあなたが洗面所から出てきて、あたしの隣に並んだ。あなたはいつの間にか、顔の右側に真っ赤なハートマークを描いていた。頬から目を囲む巨大なハート。KISSというバンドがこんなメイクをしていた気がする。アリスに合わせてハートの女王にしてくれたのか。
棒立ちのあたしの隣で、あなたはクマの手をして舌を出し、おどけたポーズをとった。顔だけ見れば恐ろしげなのに、おしゃれキャットのマリーのように愛らしい。
「それ、女王様のポーズじゃないでしょ」
「あはは!確かにそうですね!」
あたしもポーズをとってみたくなる。身体に角度をつけようとして、ふわぁっと浮かび上がるスカートにたじろいでしまった。こんなに広がるんだ。スカートの生地をつまみ上げると、しっかりと重たかった。関心のまま鏡を見ると、なんとなくお姫様のポーズに似ている気がした。もう片方も同じようにしてみると、結構サマになって見えた。
「あっ、それアリスっぽいですね!」
「そうかな?」
「そのまま笑ってみてください!」
「んー?」
「ほら!かわいいじゃないですか!」
「アリスっぽい、はどこに行ったの?」
「アリスっていうか、お姉さんって感じです!」
年甲斐もなくきゃあきゃあはしゃぎながら、あたしたちは色んなポーズをとった。カラオケもした。どんなにはしゃいでも誰にも怒られない。目の前にはゴスロリハートのあなたがいて、あなたにかわいくされたあたしがいて。カラオケの休憩に、おまけのキャンディを口に入れて。はしゃぎ疲れて、ふたりでベッドに横になって。
あなたは横になりながら、SNSのアカウントを教えてくれた。彼女は今と同じ服を着て、色んな場所に行った写真をアップロードしていた。そこそこ知名度があって、反応も多い。旅先で出会ったロリィタさんとのツーショットもあった。あなたはあたしを特別な人だと言ってくれたけど、今までもこうやって色んな人に出会ってきたのだ。今でも交流している人がたくさんいるのだ。考えてみれば当たり前のことだ。出会った一人ひとりが特別だということなのだろうか。それは、そうなのだろうけど。だけど、それじゃ。たくさんある特別のうちのひとりじゃ、あたしは。あたしがほしい特別は。
「お姉さんもよかったら一緒に撮りませんか?」
あなたはそうやって、無邪気な笑顔をあたしに向ける。
あなたはそうやって、天使にも悪魔にもなる。
あなたはそうやって、あたしを天上の喜びに連れて行く。
あなたはそうやって、あたしを悲しみの底に突き落とす。
あなたはそうやって、愛を教えてくれる。
あなたはそうやって、憎しみを教えてくれる。
あなたはそうやって、あたしを特別にしようとする。
あなたはそうやって、あたしをたくさんのうちのひとりにしようとする。
あなたはそうやって、臆病なあたしに世界を見せる。
あなたはそうやって、尊大なあたしを窘める。
あなたはそうやって、自尊心をくすぐる。
あなたはそうやって、羞恥心を思い出させる。
あなたは。あたしは。
結局、ふたりで写真を何枚も撮った。笑ったり、変な顔をしたり。ひとたび相手に触れれば、あっという間に心を許してしまう。手を繋いで、抱きしめて。さっきあんなにはしゃいだのに、どこからともなくエネルギーが溢れてくる。すべてが満たされていて、何もかもが足りなくて。これを幸せと呼ぶにはあまりにも儚すぎて。
「お姉さん」
今度こそ疲れ切って、見つめ合ったままあなたが言った。
「お姉さんは、今日のこと、忘れないでいてくれますか?」
考えるまでもないことだった。
「もちろん」
忘れられるものか。忘れようとしても忘れられないだろう。
「じゃあ、約束」
あなたがあたしを抱き寄せる。
あなたの心は虚空の彼方にあるのではなかった。今ここに、あたしの心と一緒にあった。
あたしは魔法にかけられたお姫様じゃない。夢から覚めたアリスは、十二時の鐘でも解けない魔法を手に入れる。
初めてのキスは、林檎の味がした。
感情を涙で煮詰めると、林檎の味になるのだと知った。
あたしは今、ハロウィン会場に向かっていた。「アリスのお姉さん」を呼び出したのはあなただった。ハロウィンなら、仮装の人が大勢いるので人目が気にならず、ロリィタデビューに持ってこいだろうという計らいだ。あたしもそれに乗ることにした。何より、あなたがなぜ、あの時の写真をSNSにアップロードしないのか、問いただしたかった。
この日のために練習したメイクはばっちりで、我ながらうまく盛れていると思った。珍しく自撮りもした。SNSに載せると、友達から驚きとお褒めの言葉を貰った。ハロウィンだから特別なんだね、と言われた。友達は知らないけれど、今日が特別なのはハロウィンだからではなかった。
大学に行くのと逆方向の電車に乗る。周囲はすっかりムードが出来上がっていて、とんがり帽子を被った子供たちに声をかけられた。トリック・オア・トリート。子供たちにキャンディをプレゼントする。電車の中では静かにね。そう伝えられ、忍び足でお母さんの元に帰っていく姿を微笑ましく思った。
次にあたしに声をかけてきたのは、仮装の青年だった。ボロボロの服に、傷口風のシール。頭には大きなネジが刺さっている。フランケンシュタインだっけ。このお話、よく知らないな。隣に座った彼と儀礼的にお菓子の交換をする。しかし、彼はお菓子を受け取ったあとも、何かを迷っている様子で口ごもっていた。あたしは待った。ナンパだったら、待ち合わせをしていると断ればいい。
「SNS、見ました」
彼が口にしたのはあたしの予想を裏切るセリフだった。あたしのアカウントは、知り合いや会ったことがある人にしか公開していない。この人は誰?なぜあたしのSNSを見ることができる?
戸惑うあたしを見て、彼は照れくさそうにぽりぽりと後頭部をかいた。その癖、どこかで見たことがある、ような。
「正確に言うと、僕の友達に見せてもらいました。お前のすっ……じゃなくて、同級生が、アリスの仮装でハロウィンに行くらしい、って」
咳払いをして、また頭をかく彼。なんだか女の子のようにもじもじしている。あなたは。その声は。
「だから、つい同じ電車に乗ってしまいました。あの時の返事、できないままだったから」
記憶がふつふつとよみがえってくる。席替えで隣になれば、密かに喜んでいたこと。テスト勉強で、わからない部分を教えてもらうのが楽しかったこと。ピアノの伴奏ができることを尊敬していたこと。お揃いの文房具を買い、わざと見えるように並べて授業を受けたこと。
黒歴史。そう割り切ってしまえばどんなに楽だったか。いや、割り切ったつもりでいたのだ。もう、忘れたことにしていたのだ。掘り出してみれば、こんなに輝いているというのに。
あたしは彼を知っていた。彼をもっと知りたいと思っていた。彼はちっとも変っていなかった。びっくりするほど素直で、照れ屋の癖にいつもあたしの世界に入ってくる。昔から、そういう人だった。
「中学生の頃から、あなたのことが好きでした」
トーンを落とした声に、ドクンと心臓が鳴るのがわかる。彼は、あたしが落としたガラスの靴をちゃんと拾っていた。それを、約十年越しに届けに来てくれた。あたしはお姫様が好きだった。かっこいい王子様と結婚するお話が好きだった。それでなんとなく幸せに過ごせたらいいと思っていた。
「ありがとう」
彼の表情がほころんでいくのがわかる。だけど、あたしは。その次の言葉を、伝えなければいけない。
「とても嬉しいけど、今日は待ち合わせをしている人がいるんだ」
「そう……なんだ」
再び曇り始める彼の表情。こうなることは予測できていたのに、胸が痛む。
「あたしは変わることにしたんだ。今日のあたしの恰好は、仮装じゃないの。ロリィタっていうファッションなんだ。あたしは、昔からこういう服を着たかった。堂々と街を歩きたかった。だから、今日は特別な日じゃなくて、きっかけの日。好きなものに素直でいようとする、きっかけの日」
彼は黙ってあたしの話を聞いてくれた。しばらく考え込んでから、彼はこう言った。
「参ったな。そんなに大切なものが見つかったんだね。正直、服に嫉妬しそうだよ」
彼は寂しそうに笑って、立ち上がった。
「でもよかったよ。君の行動的なところに惹かれていたから、今日またそんな君を見ることができてよかった。待ち合わせの人と、楽しんできてください」
大きめの駅に電車が止まり、大勢の仮装の人が乗り込んでくる。彼の姿は、雑踏に紛れて見えなくなった。
あたしはSNSを開いて、もう一度アリスの自撮りの投稿を見ていた。ハートの女王のあなたから、イイネが届いていた。
ゴスロリ・アリス・シンデレラ @cobalt32
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