陸 西洋街の神隠し(六)

 上機嫌の侯爵と直幸、千枝は一台の馬車で揺られていた。

 侯爵から台所女中は伯爵家に勤めていたこと、二日前に連絡があったのでまだ十分に捜査ができていないことを説明される。それが終わる頃には馬車は速度を落としていた。

 侯爵家の執事と御者を待機させて、屋敷に足を踏み入れる。挨拶もそこそこに三人は応接室に通され、二人の女性が呼び出された。

 一人は恰幅がよく態度も堂々としており、もう一人は痩せぎすの背を丸めて体を固くしていた。

 二人の女性に侯爵は気さくに声をかける。通訳してくれる者がいないので、千枝には読み取ることができない。続けて、直幸、千枝の順に手を差しのべ、紹介してくれたようだ。

 二人の視線が千枝に止まった。見た目は自分達と似ているのに、名前の響きが自国と違うことに一方は不躾に一方は遠慮がちに怪訝な顔をしている。

 千枝は気づかないふりをして、机に並ぶ茶器を眺めていた。水面に写る姿は全て紅茶に染められているが、ミルクのように簡単に馴染めないのはわかっていた。

 直幸がにこやかに話し始める。異国仕込みの流暢な言い回しに二人は目を丸くしていた。

 千枝にはわからない言葉が交わされるが、直幸のことだから上手く話を持っていっているのだろうと聞き流す。

 直幸が何事か二人に問いかけ、恰幅の良い女性が堰を切ったように口を動かし始めた。


『あたしはね、見たんですよ。ジェイミーが裏の戸口を出ていく所を! 仕事に遅れてきた上に夕食の準備をしているあたしの隣を通り過ぎたんだ。声をかけたら返事もしない! なぁんも言わずに扉から出ていこうとするもんだから、手を握ってやったんだ。そしたら! あたしの体を突き飛ばして出ていってしまったのさ』


 興奮した恰幅のいい女性の話は千枝には一寸も聞きとれなかったが、直幸が要約して教えてくれた。あまりの憤慨ように嘘をついて彼女を助けるような感じもない。

 顎に手をあてた直幸はもう一人の女性に訊ねた。

 体を縮みこませた女性はか細い声でとつとつと話す。


『私はジェイミーと同室でした。ここ最近、何か思い悩んでるような暗い顔をしていたんです。でも、私には、何も話してくれなくて……。こんなことが起こって本当にびっくりしているんです。彼女、どんなに辛くても仕事を放り出すことなんてなかったのに』


 瞳を潤ませてうつむいた女性は彼女と親しかったのだろう。力を込めた掌がスカートに皺を作っていた。

 直幸が何事か問い、白い顔の女性が頷く。


「被害者の部屋を見せてもらうから、ついてきて」


 そう促された千枝は直幸と侯爵と共に部屋に向かった。

 通された場所は地下に出来た一室だった。窓はなく、湿気を帯びた空気は重い。簡素な箪笥と寝具が二組置かれ、石壁に取り付けられた杭に服がかけられている。光は二つの寝具に挟まれた机にあるランタンだけだ。薄暗い部屋で三人の影が揺れていた。女性一人と長身二人が入れば身動きが取れないような狭さだ。

 部屋の入り口で待機していた千枝は直幸に手招きをせれた。


「女性の持ち物を改めるのは気が引けるから、君が確認してくれないか?」


 頷きだけで答えた千枝は男性二人と入れ替りで部屋に入る。息苦しさを感じるのは陽光も風も感じないせいかもしれない。

 二人が手をつけてない箪笥に近寄った時だった。鏡の影で見えなかった手燭キャンドルスタンドが目に入る。見覚えのあるよどんだ赤が蝋燭から滲み出していた。朝に見たときよりも湯気のようにうすいが、異物であることは確かだ。

 

「何か、おかしいものはあったかい?」


 いつの間にか千枝の横にきていた直幸が蝋燭を見つめていた。


「何も見えませんか?」

「残念ながら」

「では、西洋のあやかしの可能性が高いかと。この蝋燭、様子がおかしいです」


 蝋燭を眺めていた直幸は視線を上げて、瞳に侯爵を写した。


「気付かれましたか?」


 直幸に問われ、侯爵は口元に笑みを乗せた。歌うように片言の言葉を紡ぐ。


「気付きませんでしたか?」

「気付いていたのですね」


 直幸の瞳が死んだ魚を見るようになったが、侯爵の澄んだ瞳は相変わらず愉快な色が乗っている。


「他の屋敷にも似たようなものがありましたが何も感じませんでした」


 侯爵の言葉を聞いて、千枝は蝋燭に視線を落とす。見た目は何の変哲もない。燃やされた形跡はあるがそれだけだった。

 千枝の後ろで言葉がぽつりと落ちる。


『部屋に戻った時、甘い香りがしました』


 三人に見返された女性は萎縮して、口を閉じてしまった。

 優しい笑顔と声で侯爵が先を促す。

 女性は燃えてはいないはずの蝋燭を眺めながら、ゆっくりと話し始めた。


ホットワインモルドワインのような匂いがしました。あの日は寒かったから、ジェイミーが仕事前に飲んだのかなって。でも、酔うようなことはしてないと思うんです。本当に仕事をさぼるなんてことしない子なんです。でも、蝋燭の火が消えてなかったら、不用心だなっとは思ったんですけど』


 最後は早口で聞き取りづらかったが、直幸はにこやかに礼を言っている。

 千枝も挨拶ハローありがとうサンキューぐらいはわかるようになったが全く聞き取れない。環の社交ためにも外国語を学ぶべきかと考えてしまうぐらいには不自由だった。

 了承を得て回収された蝋燭は侯爵が保管することになる。

 使用人部屋が狭いからと応接室で待っていた伯爵に報告を済ませた一行は屋敷を後にした。

 太陽は頂点を通りすぎて傾いている。まだ時間が過ぎていないことに千枝は気が遠くなった。

 侯爵が待たせていた執事に何事か言うと、心得たと執事は頷く。侯爵の横顔は満足そうに笑っていた。

 千枝達の方に向き直った侯爵は上機嫌で口を開く。


「おいしいランチをごちそうします」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金糸雀と詐欺師 かこ @kac0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ