伍 西洋街の神隠し(五)

 執事に案内をされて長い廊下を歩く。余分な置き物や華美な装飾がない屋敷は、太陽のあたたかさが無ければ肌寒いような印象を受けた。

 千枝の前を行く執事と直幸は黙々と歩を進めていた。こちらでお待ちです、と声をかけられて扉を開けた先へ促される。


「ようこそ、いらっしゃいました」


 違和感を覚える発音に、声の主が異国から来た者と察せられた。

 笑みを絶やさない初老の男性は歓迎するように両手を広げている。

 応えるように手を差し出した直幸は固く握手をしながら何事か話したが、千枝は聞き取れなかった。異国の言葉を交わす二人の会話が落ち着くまで、姿勢を正して待つ。


「ご紹介するのが遅れました。山本千枝嬢です」


 振り返った直幸が千枝の腰の高い位置に手を添える。

 千枝は固まる筋肉を叱咤して、うすい笑みと丁寧な礼を取った。何と言えばいいか悩んで、よろしくお願いします、とだけ添える。

 初老の男性は顔を上げた千枝の手をすくい取り、唇を寄せた。思わせ振りに見上げてくる青い瞳が固めだけ細められる。綺麗に弧を描いた口を離し、手を繋いだまま満面の笑みで挨拶をした。


「お初にお目にかかります。

ニコラス・ギルバード・ミアカーフです」


 西洋風の挨拶に千枝は頭がついていかず、初めて受ける作法に侯爵の名前さえ頭に入ってこない状態だ。

 戸惑う千枝から手を離した侯爵は試すように千枝を見つめる。


「キミはハウスメイドですね」


 何と言われたかわからなかった千枝は目を瞬かせた。

 侯爵は無邪気に目を細めている。灰色の髪の奥に潜む瞳は老いを微塵も感じさせない。

 直幸の様子を見れば、相変わらずの笑みを浮かべているが、目に険を帯びていた。

 何も言わないでおこうと千枝は感じ取って、ことの成り行きを黙って待つことにする。

 無言の笑顔の応酬は、雲が窓の端から端まで行き着くのに充分な時間があった。

 

「それより、侯爵。この度の事件の情報は集まりましたか?」


 有無を言わせない笑顔で直幸が問いかける。

 今そのことを思い出したように大袈裟に目を見開いた侯爵は来訪者を座るように手を示した。

 三人は座れそうなソファに千枝と直幸は適度な距離をとって座る。すかさず紅茶と菓子の準備がされて、千枝は手際の良さに感心した。

 向かいに座った侯爵は片手をあげて執事を呼び寄せる。執事に目をやる千枝に向けて困ったように笑った。


「日本語は難しいので、通訳を使わせてください」


 自分が気遣われると思っていなかった千枝は内心驚きつつも、ご配慮ありがとうございます、と返した。自分の容姿から、外国語ができると思われがちだ。外国語で話しかけられることも少なからずある。いろいろと疑問に思うことはあるが、話が脱線してしまっては困るので千枝は机に視線を落とした。


「さて、事件の情報をお伝えしましょう」


 侯爵は資料を見ることもなく、滑らかに話し始めた。低く響く異国の言葉はどこかの寓話を語っているようだ。

 切りがいい所で侯爵が口を閉じ、執事が翻訳し何度かそれを繰り返していく。


「今までに事件は三回おきております。一回目は二ヶ月ほど前、二回目は一ヶ月前、三回目は五日前です。夜、朝、夕方、というように時間には共通点はありません。一人目の被害者は商会の会長の娘、二人目は教授の妻、三人目は台所女中です。最初の被害者が商会の娘ということもあり、誘拐の線も疑っていたのですが一向に金銭の要求はありません。また、駆け落ちの可能性も考えて調べてみても相手は失踪したことを知りませんでした。三人目にして、操られるようにして去ったという情報が入りいよいよ人が起こした事件ではないという懸念も出てきたのです」

「三つの事件に共通点がないとおっしゃられていましたが、別の事件というわけではありませんか?」


 確認するように直幸が問いかける。

 侯爵は一口だけ紅茶を飲んで、顎を撫でた。口髭をたずさえた口からこぼれる言葉を執事は拾っていく。


「この狭い西洋街で立て続けに失踪者が三人も出ることは考えられません。しかも、何の準備もなく消えた様子から関連性があると思います」

「アナタ達の言う、感ってやつですよ」


 片言な言葉で侯爵は口に笑みをのせた。場数を踏んだ凄みと色気が漂う。


「現場を見ることや関係者に話を聞くことはできますか?」


 直幸の要望に侯爵はもちろんと答えた。


「私も同行しましょう」


 意気揚々と立ち上がった侯爵に直幸は半眼を向ける。


「……先日、お会いした時は体調が思わしくないとおっしゃっていましたよね」


 声を上げて笑った侯爵は口早に何事か言って、いつの間にか執事に準備させていたコートに腕を通した。忘れ物をした、と部屋の外に足を向ける。付いていこうとした執事を止めて、客の世話をするように指示をした。

 部屋には物言いたげな直幸と千枝、執事が残される。

 千枝はもやもやとした気持ちを押し流すように紅茶を無理矢理流し込んだ。飲み干せるほどに冷めた紅茶は何も解決してくれない。


「異国の地で体調を崩すと気弱になるものだ、とおっしゃっていました」


 追加の紅茶を注ぎ入れながら、執事は教えてくれたが場の空気が和むわけでもない。

 執事が新しい湯を追加するために音もなく退室する。

 さっさと事件を解決させて、この状況から逃れようと決意した千枝は直幸を盗み見た。


「あの狸」


 ぼそりと落ちた低い声は聞こえないふりをした。

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