肆 西洋街の神隠し(四)

 あいも変わらず晴れが続いている。嵐を期待していた千枝は諦めた顔で門の前に立っていた。

 九時五分前に馬車が門の前に乗り付ける。

 馬車から降りてきた直幸は朗らかに帽子を上げた。


「調子はどうだい、山本さん」


 深く礼を取った千枝は返事をしなかった。もともと不慣れな相手とは言葉を交わさない質でもあるし、気分は最悪だ。


「本日はお迎えありがとうございます」


 目を合わさずに頭を下げた千枝に直幸は気分を害することもなく、よろしく頼む、と頷く。

 不本意ながら、千枝は直幸のエスコートを受けて馬車に乗り込んだ。不自然にならない程度に直幸から離れた位置に座り、窓に視線を向けた。馬車が建物の影を通りすぎれば、窓の端に輪郭のぼけた直幸が映る。

 この国の民らしく、指通りのよさそうな黒髪に涼しげな目元の青年が反対側の窓から外を見ていた。


 藤堂直幸。名家の侯爵家の次男として生を受け、帝大生として学業に励む傍ら、実家に持ち込まれるを幾つか裁いている。西の大国に留学した経験もあり、その伝手からの依頼も多い。

 学生なら学生らしく勉学に身を入れればいいのだが、事情がそうもいかない。本来の跡取りである長男がある日突然姿を消し、未だに見つかっていないのだ。

 将来有望、資産もぞんぶんにあり、肩書もよく、見目も十二分。誰もが羨む侯爵子息は結婚相手として申し分ない。

 千枝は欠点のない直幸が心底、面白くなかった。


「今日は凝った格好をしているね」


 降ってわいた言葉の方に千枝は顔を向けた。

 直幸が面白そうに見ている。


「お嬢様の戯れです」


 短く答えた千枝は視線を戻した。窓に映る疲れた女と対面する。

 細く広がりやすい髪を丁寧に編み込んだ髪型は侍女頭がやってくれたものだ。萩の花を模したさくら貝の髪留めは環に片時も外すなと言い含められた一級品。千枝が断固として拒否したので、ドレスは以前いただいた深緑もので勘弁してもらえた。他に違うといえば、眼鏡を外したぐらいだ。今は手持ち鞄に大切にしまっている。

 舗装されていない路は大きく揺れる。


「今日は風が気持ちいい。ほら」


 千枝は近くで響いた声に身構える。

 中腰で立ち上がった直幸が腕を伸ばして千枝に近い窓を少し開けてくれた。自分の席に戻り、同様に隙間を作る。

 こもっていた空気が爽やかなものに変わった。つめていた息を静かに吐き出す。


「気分が悪いなら言えばいいだろう」


 紳士な態度のわりには、つっけどんな言い方だ。直幸の態度に千枝は肩の力を抜いた。考え事をしていたら気づかぬ間に気分が悪くなったのは事実だ。昨日の寝不足も原因だろう。


「ありがとうございます」


 千枝は思った以上に素直に言えたことに内心驚いた。


「気にしなくていい」


 直幸の言葉を最後に静寂が訪れる。

 馬車の音と蹄の音だけが過ぎていく。

 千枝は静かな気配に何か企んでいるのかと疑ったが、直幸はつまらなそうに外を眺めているだけだ。風が前髪をさらっている。

 思い返してみれば、昨日の直幸の態度は性急だった。従来の直幸は外堀から丁寧に埋めて相手の了承を得る性格だ。


 馬車の迎えはないことはない。だが、洋装で、という指定は初めてだ。まだまだ街道では、着物姿の女性が多い。千枝の髪色に後ろ指を指されることも多いが、着物で過ごす方が自然だ。

 神隠し、洋装、紀壱の言葉、直幸の態度。面倒なことに巻き込まれたな、と千枝はため息を飲み込んだ。


 時折、大きく揺れていた音が静かなものに変わった。整備された西洋街の路を走り出している。

 子供達の笑い声が聞こえてきた。顔を上げた千枝は誘われるように声の主を探す。二階建ての屋敷が並ぶ中、一際背の高い建物を見つけ、何の建物だろうと興味を抱いた。赤や金と様々な髪色の人達が建物から出てきている。


来栖くるす教会だね。毎週日曜日は礼拝を行うらしい」


 千枝は直幸の説明を耳だけで聞いた。

 白い石造りの中央には重厚な作りの扉。その上には細長い窓が縦にいくつも並び、様々な色のガラスがはめ込まれている。翡翠色の屋根の先端には西洋街を見守るように十字架が立てられていた。


 今日は日曜日だから、礼拝帰りだろう。黒い服を着た司祭と修道女が教会から出ていく人々を見送っている。

 老婆を見送る二人の背後によどんだ赤を千枝の目は捕らえた。自分の目を疑った隙に、そのどす黒い色は一瞬の内に消える。見間違えだろうかと凝視しても、二人の影が遠退くだけだ。

 直幸は様子のおかしい千枝に気づいたらしい。


「何か視えたかい?」


 いえ、と千枝は詫びて、スカートを握りしめた。いつの間にか、じっとりと汗をかいている。

 直幸は未だに訝しげな顔を向けてきていた。

 居心地の悪い千枝は言い訳する。


「眼鏡を外したので、些細なことでもよく視えるようです」


 千枝はこの世界とは違う次元に住まう者達の姿を視ることができた。どんなものに化けていようと簡単に見抜けられる。無知な頃は異界の者を指差して危ない目にあったのは数が知れない。時が流れ、危険だと解る頃にはあまりの気味の悪さに吐き気をもよおした。この世界で作られた眼鏡を通すことで、異次元の産物は見えなくなる。そうやって、やっと地に足を着けている状態だ。


 千枝が静かに息を整えている間に馬車は徐々に速度を落とす。視線を進行方向に向けると威厳に満ちた門があった。屋敷や庭の大きさを見て、だいたいの家格は読み取れるものだ。

 まさかとは思っていたが、千枝の予想は当たっていたらしい。


「実はネイグリフォード侯爵からの折り入っての依頼でね」


 肩を竦めた直幸は軽やかに言い放った。言わなかったことを悪びれる様子もない。

 それで正装洋装をしてこいと言ったわけか。千枝の瞳は半眼になった。

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