第8話

 次の日、僕は思いきって友人の三ツ森に連絡をとった。

 彼は県内の大学に進学し、原付で小一時間かけて家から通学している。高校の卒業式後すぐ自動車の運転免許をとったと聞いていたので、手を貸してほしかったのだ。幸い、暇なので付き合ってもらえるとのことだった。

 ひさしぶりの邂逅は少し緊張を催すものだったが、会ってしまえば構えるほどのことはなかった。五ヶ月ぶりに会う三ツ森は、少し私服があか抜けたような気はするものの、高校時代の彼とさほど変わらなかった。

「どう? 大学生活」

「まぁなんとかやってるよ」

 三ツ森は僕を中古の普通車の助手席に乗せると、「あの辺りのでかい寺ね、うんうん大体わかった」と言って、スムーズに車を発進させた。こうして僕たちは、都市部へ向けて出発した。

 僕の目的はもちろん蜥蜴ちゃんに会うことだったが、それ以上に三ツ森にも蜥蜴ちゃんを見てほしかった。そして彼女がきちんと実在する人間だということの証人になってほしかったのだ。

 蜥蜴ちゃんが魔物やなんかではなく、ちゃんと実体のある人間として存在しているということを、僕はただ証明したかった。昨夜あの夢を見た後でろくに寝ずに考えた結果、僕にはそうすることが必要だという結論に至ったのだ。

「この辺に何かあるのか?」

「うん、ちょっと、知り合いの家があって」

「ふーん」

 三ツ森はあまり理由を詮索しようとしなかった。もっとも高校時代から彼はこういうやつだった。頼み事をすれば親切に対応してくれるけど、基本的にはマイペースで自分のこと以外に興味がないのだ。

 バスで一時間の道のりは、自家用車では四十分くらいに短縮される。お盆休みのため普段より多少道は混んでいたものの、滑り出しは順調だった。僕たちは積もる話をしながらドライブを楽しんだ。三ツ森は大学でワンダーフォーゲル部に入ったという。

「いいなぁ、楽しそうで」

 僕がそう漏らすと、「まぁ、楽しいよ」と三ツ森は正直に笑った。

 前もって鎮痛剤を飲んでいたためか、この日は頭痛も起きず、僕の体調はすこぶるよかった。やがて車は市街地に入り、例の大きな寺院の近くまでやってきた。

「ここからどうする?」

 三ツ森が尋ねる。

 僕は困ってしまった。いつも蜥蜴ちゃんにくっついて歩いていたから、自分では案内がうまくできないのだ。

「一回降りてみるから、ゆっくりついてきてもらえないか?」

 三ツ森は辺りを見て、他に車が来ないことを確認してから「わかった」と答えた。

 僕は道路に立った。進行方向は合っているはずだ。いつもならこの辺りに差しかかると、どこからか蜥蜴ちゃんが出てきて、僕に声をかけたり、肩をぽんぽんと叩いてくる。

 だが、今日は彼女は現れなかった。三日ほど実家に行くと告げたからだろうか? でも、彼女は何も連絡しなくても、僕がここに来さえすれば、いつだって必ず現れたのだ。それが何曜日の何時であっても、タイミングを計ったようにやってきた。

 連絡してみようか……と思ったその時、初めて僕は蜥蜴ちゃんの連絡先を知らないということに気付いた。そういえば彼女が携帯電話やスマートフォンを触っているところを見たことがない。あの家で固定電話を目にしたこともなかった。

 なら、彼女の家に直接行ってみるしかない。僕は感覚に任せて歩き始めた。いくら「わかりにくい」と言っても、何度も通った道なのだからたどり着けるはずだと思った。

 ところがどんなに歩いても、蜥蜴ちゃんの家に続く道は見つからなかった。目につくすべての通りに入ったが、辺りをぐるぐる回るばかりで、どうしても彼女の家を見つけることができなかった。

「おい」

 どこかに車を停めた三ツ森が、僕を追いかけてきて肩を叩いた。

「どうした八巻? その知り合いの家っての、見つからないのか?」

「そんなはずないんだ」

 僕は焦っていた。「そんなに遠いはずはないんだけど……でも、全然見つからないんだよ。どうやってあそこに行くのか……」

 三ツ森は、怪談でも聞かされたような顔で僕を見ていた。

 結局その日、僕は蜥蜴ちゃんの家にたどり着くことができなかった。日没が近い街を、三ツ森の車の助手席で眺めながら、僕は蜥蜴ちゃんが「ひとりで来てね」と繰り返していたことを思い出した。きっと三ツ森を連れていったから、彼女は現れなかったのだろう。理由はわからないが、僕以外の誰かに見られることを避けたに違いない。僕は彼女の姿を誰かに見せることは諦め、また普段通りにひとりで行くことにしようと決めた。

 だが、「ひとりで来てね」という約束を破ったことは、僕が思っていた以上に重い禁忌だった。

 その後、実家から戻った僕があの墓地の通りに行っても、蜥蜴ちゃんが僕を迎えにきてくれることはなかった。範囲を広げながらあの辺りを虱潰しに歩き回ったりもしたが、自力で彼女の家にたどり着くことはできなかった。

 こうして蜥蜴ちゃんは、僕の前から消えてしまった。


 結局あの不思議な女の子が何者だったのか、僕にはひとつもわからない。普通の人間だったのか、それとも僕が妄想したような物の怪だったのか、その答えはどこにも見つからない。

 ちなみにその後十年で、僕の平熱は35.8度まで回復した。それ以上は戻らないまま、今に至る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蜥蜴ちゃん 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ