第3話 小競り合い
「――さて」
やたらボリューミーな昼食の後、俺は徒歩で、街の中央にそびえる王宮を目指していた。
しかし足取りは重い。寝不足のせいでもなく満腹のせいでもなく、ただこれから会おうとしている人物との会話が憂鬱なのだ。
「嫌だなー。あいつに頼るの、めちゃくちゃ嫌だなー」
親の
まあ、しょうがないか。ぶつくさ言っても気が晴れるわけではない。さっと用件だけ聞いてとっとと帰ろう、と気を取り直したところで、視界の先に王宮が見えてきた。
そこで不意に、前方からの通行人がやたら不自然なカーブを描いて俺にぶつかろうとした。素直に当たってやる義理もないので、俺はさらっと身をかわす。
俺にタックルしようとしたヒゲ面の大男は、バランスを崩して地面に突っ伏した。
「ぐぅ、い、いてぇえ」
オーバーにぶつけた肩を抑えるヒゲ面に、仲間らしい小男が駆け寄った。
「大丈夫かよ。おいてめえ、何しやがる!」
何もしていないので答えようがないのだが、沈黙を挑発と受け取ったらしい小男は
おいおい、大通りの真ん中でおっぱじめる気か?
「へっ、へへっ、財布を置いていけば
ページを開きつつも、及び腰のところを見ると、本気で術を放つ気はなさそうだ。
しかし相手の前で堂々と魔導書を開き、脅しをかけるとは、魔術師の戦略としては下の下である。俺の足元に
……下手に恨みを買うのも面倒だし、走って逃げようかな。
そんなことを考えていると、小男の表情がさあっと変わる。同時に、俺の影が、背後から生じた巨大な影にすっぽりと飲み込まれた。
「何をしている?」
後ろを振り返ると、太陽を覆い隠すほどの巨体が俺を至近距離で見下ろしていた。
白銀の甲冑に、獅子と剣の徽章。王立騎士団の正装である。
普段なら関わりたくない手合いであるが、今は不幸中の幸いだ。
「いや、実はこの人に
俺はなるべく低姿勢で
「決闘であるな」
あ、こいつ、止める気全然ねえな。小男はニヤリと笑い便乗する。
「そ、そうなんです。これは男と男の意地を競う真剣勝負。まさか騎士様がお邪魔しませんよね?」
「うむ。決闘を
平和もいきすぎるとこういうバトルジャンキーが産まれるんだな、と世相を嘆くがそんなことをしても状況は好転しない。
「あー、もういいや。とっとと片づけよう」
今の俺には大事な用事があるんだ。チンピラと騎士の暇つぶしに付き合ってる場合じゃない。
小男は興奮したように舌舐めずりをした。
「もう謝ってもおせえぞ。こうなったら俺も引っ込みがつかねえからな。死なない程度に痛めつけてやる」
だから、そういう口上を述べる間に術の一つでも唱えればいいものを。
「よし、くらえ! 『猛炎の章、第三節――』」
「――――『
俺は周囲に聞こえないほどの声量で略式の術を唱えた。
小男が式句を唱え終わる前に、彼の持っていた魔導書が炎に包まれて爆発する。
「へっ?」
書を構えたポーズのまま、硬直する
「おい、今の何があったんだ?」
「チンピラの唱えた術が自爆したんだろ」
「相手の男、魔導書持ってなかったしな」
想定した通りの結論を出してくれたことにホッとしつつ、俺はすみやかに離脱を試みる。
しかし半歩遅かった。俺は背後から伸びた巨大な手に襟首を掴まれ、アホみたいな腕力で宙吊りにされる。
「あの――まだ何か?」
巨漢の騎士が、
「おもしろい。貴様、何をした?」
勘づかれたか。思ったよりするどそうだな。
「我の目はごまかせぬぞ。貴様、その男が術を発動する前に爆炎魔術を放ったな。魔導書も持たずに術を発動するとは、一対どんなからくりか?」
「あー何を言ってるのやらサッパリで」
この期に及んでしらを切る俺だが、騎士は聞いてなかった。ぽいっと俺を地面に投げ捨てると、おもむろに腰に
「勝負である」
である、じゃないが。俺のローテンションに反比例し、すっかりバトルモードの騎士は鼻息荒く語り出す。
「先ほど、男の体当たりを
そっから見てたのか。小男との対決を黙認したのも俺の力量をはかるためね。
「知っておろうが、我に魔術は通用せんぞ。己の身一つで、我の剣を防いでみよ」
無茶を言ってくれる。下手したらミリィの身長くらいはあるんじゃんないか、その大剣。
奴に魔術が通用しないというのは本当だ。厄介なことに、王立騎士団が装備している甲冑には特殊な金属が使われており、なまなかな魔術は跳ね返してしまう。
その代わり、というわけでもないのだろうが、騎士たちが魔術を使うことはない。魔導書を持ち、任意のページを開き、標的を指定し、式句を唱える、という魔術の発動に
ゆえに騎士団は、魔術など邪道、己の肉体のみを
ま、実際そのスタイルで王都の平和を保っているのだから文句はない。
――だからその剣納めてくれません?
「後の先、という言葉は我が剣道にはない。来ないならばこちらから行くぞ」
言うや否や、騎士は両手で握った大剣を、無造作に薙ぎ払った。
ヴォンッ、という豪快な風切り音と共に、
頭蓋を叩き割られる寸前、騎士の
――この野郎。
その瞬間、俺の中で何かがキレた。
全身を流れる血が熱を
右手を刃に添え、左足は前へ。男の身体から剣につながる力の脈を地面に流す。
霊極拳・四の型『盤転』。
すでに俺の存在はそこにはなく、男が相手にするのは不動の大地である。地に流れた力の反動をそのままくらった騎士は、剣の持ち手を中心にぐるりと一回転する。
巨漢の身体が
頭から激突した騎士は完全に白目を
「おい、何が起きたんだ?」
「あんちゃんの方が投げ飛ばしたんじゃないか?」
「俺には騎士が自分ですっ転んだように見えたが……」
野次馬たちが好き勝手に講評を述べている。チンピラコンビはいつの間にかトンズラこいていた。周囲をぐるりと見渡せば、いつの間にか祭りもかくやの大群衆で、拍手や口笛で俺の勝利を
横暴な騎士団への
俺は純粋な被害者である乾物屋のオヤジに心ばかりの
その時、前方の人ごみから新たなどよめきがあがる。それは次第に小声になり、群衆がきれいに左右に分かれていく。金属がぶつかる音と馬蹄の響きが重なる。
やがて白馬に乗った騎士が現れる。騎士は真紅のマントをはためかせ、陽光にぎらつく黄金の甲冑をまとっていた。その姿はさながら神話の英雄である。
「おい、あれって」
「ああ。王立騎士団の団長だ」
「こんな
嫌でも聞こえてくる街人たちの声に、俺は事態が悪化したことを悟る。
黄金鎧の騎士は俺の目前で馬を止めた。ああ、今日はいろんなことが重なるなあ。
すんません、俺これからエロ本探さなきゃなんないんす! って言ったら見逃してくれないかな。くれないよな。
騎士は手綱を放すと、両手で兜をつかんで外した。さらりと、清流のような青髪がこぼれる。
どんな
「お久しぶりです。クラウス殿」
たおやかにほほ笑む女騎士に、俺は片手を上げてぎこちない笑みを返した。
「ああ、六年ぶりだな、ハーミット」
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