第5話 地下室での追想
どこか遠くで、鴉(からす)が鳴いていた。
「すっかり遅くなっちまったな」
闇にすっぽりと覆われた路地裏は、静寂に包まれて人どころか猫一匹の姿も見えない。
家まで送るというハーミットの申し出を丁重に断り、俺は家路を急いでいた。
夕刻までに帰ると言った手前、ミリィの雷が落ちるのは避けられないだろうが、少しでも怒りは減じておきたい。
この路地を抜ければもうすぐだ。行く手の光に俺が少し気を抜いた時――
臭(にお)い。
それは嗅覚によるものではなく、経験が生んだ警戒信号(アラート)とでも言うべきものだ。
左手前の酒樽と、右隣りの家の屋根からピリピリと嫌な気配が飛んでくる。
紙が擦れる音が重なる。昔さんざん聞いた、魔導書のページをめくる音だ。
――四人!
俺が敵の数を察するのと、攻撃が仕掛けられるのは同時だった。
酒樽から放たれたのは闇を切り裂く空気の刃。瞬時に膝の力を逃がして前方へ回避。
絶妙なタイミングで、民家の屋根裏からまばゆい電光が走る。
避けるのは無理と判断した俺は、とっさに左手をかざした。
「守護の章・第四節『光壁(ルべリア)』!」
左腕に焼け焦げるような痛みが走る。皮膚に縫い込んだ魔術(ルーン)文字の反動だ。
間一髪のタイミングで発動した防御魔術により、襲撃者が放った紫電はバチリと火花を散らして宙に消える。
多勢に無勢。どんな術が飛び出してくるわからないし、俺は逃げの一手を決めて足に縫い込んだ跳躍の魔術を発動させようとした。しかし寸前で思いとどまる。
どこから現れたのか、黒衣のフードを被った『五人目』が俺のすぐ前方にたたずんでいた。
黒フードは両手を二、三回ぱちりと叩き、
「お見事……と言いたいところですが、何ですか、その体たらくは」
フードの奥から放たれる金属質な声は。性別や年齢といった素性を読ませない。
「誰だ、って訊いたら答えてくれるか?」
黒フードは不気味な笑みをこぼし、
「アンドラスの書架、と言えばご存知でしょう」
「知らないなあ。人違いじゃないかな?」
俺の言葉を無視し、黒フードは熱に浮かされたように言葉を続ける。
「レイラ・ミリオンからメッセージは聞いているでしょう。我々はあなたが勝手に終わらせた物語の続きを紡ぐものですよ」
「妄想ならベッドの上でやってくれ。他人を巻き込むな」
俺の発言に、黒フードは皮肉げな笑みを浮かべ、
「あなたがそれを言いますか、世界を巻き込んで、救世主を気取ろうとしていたあなたが」
嫌というほど知っている。俺は主人公でも英雄でもなく、幼稚な夢想におぼれた大馬鹿野郎だった。
「止める、と言ったら」
黒フードは芝居じみた仕草で両手を広げ、
「もちろん大歓迎です。物語は敵役がいなければ盛り上がりませんからね。我々は一週間後、王立図書館の『牢獄』を襲撃します。『ネクロノミコン』を奪取するためにね」
黒フードがひゅうと口笛を吹くと、俺を囲んでいた四人の襲撃者たちの気配が消失する。
「あなたの奮戦を期待していますよ。もっとも、今日の様子を見た限りで、望みは薄いですが」
最後にそうささやいて、黒フードは闇に消えた。
「だんな様、もう、こんな時間まで何をして――」
軒先をくぐった俺の姿を見た瞬間、ミリィはお叱りのセリフを途切れさせて固まった。ミリィの私服を着たレイラがその後ろから現れる。
「どうしたの、あなた、ぼろぼろじゃない?」
「ちょっと野良犬の集団とケンカしてね」
頭をかいてごまかす俺だが、女二人はまったく信じてくれなかった。嘘が下手だな、俺。
「もしかして、私が依頼したせいで」
「それは違う。これは俺自身がしでかしたヘマのつけだよ」
レイラの懸念を切って捨て、俺はフリーズしたままのミリィの肩をつかむ。
「頼みがあるんだ」
「は、はい……え?」
「明日からしばらく、店を留守にしていいか?」
いつもならすぐさま帳簿が飛んでくるセリフだが、ミリィはカフィ茶の茶葉を生で噛んだような表情のあと、目じりにたまった滴(しずく)を指先でぬぐって言った。
「用事が済んだらちゃんと働いてくださいね」
その信頼に心から感謝しつつ、俺は短く頷いた。
夜更け――。
女二人が寝静まったのを確認した俺は、店の地下にある秘密の部屋を訪れていた。
壁に染み込んだ血のあと、拷問器具を思わせる設備。壁際の本棚には一級の魔術書が並んでいる。
この部屋に来ると、いやがおうにも昔を思い出す。
俺はどこにでもいる、ただの少年だった。才能もなく、金もなく、ただちょっぴり夢見がちな、まあどこにでもいるただのガキだ。
しかし、祖父から一冊の禁書の存在を聞かされたことで、少年の人生は大きく変わる。
ネクロノミコン。『魔導皇帝』が直々に著(あらわ)したというその禁書は、すべての文字が暗号で記されており、さらにその暗号を解読しなければ次のページを読むことができないという仕掛けが施されていた。
最後のページには、国を呑み込むという滅びの呪文が記されているのだという。しかし誰も、その禁呪を発動させることはできなかった。最後の一節がどうしても解読できなかったからだ。
皇帝の研究をしていたジイサンは言っていた。実は、ネクロノミコンには、滅びの呪文の次、隠されたもう一枚のページがあるのだと。
幼い俺は夢中になって尋ねた。そこにはどんな術が書かれているのかと。
ジイサンは無邪気な笑みを浮かべて答えた。
「――きっと世界を救う魔法じゃよ」
具体性も何もあったもんじゃない、孫を喜ばすために口にした出まかせだったのだろう。
しかし、アホなガキは本気にしてしまった。
血の滲むような特訓で己の身体そのものを魔導書に変え、体術をみがき、俺は「アンドラスの書架」という組織を結成する。表向きは悪どい連中から魔導書を盗み出す義賊。
しかし真の目的は、ネクロノミコンを手に入れ、「最後の呪文」を知ることだった。
物語は、俺の望んだ結末通りにはならなかった。街一つを犠牲にして、俺が描いた夢は永遠の幻となった。
回想を終え、地下室の闇の中で、俺はゆっくりと目を開ける。
自分が書いた物語の始末は、自分でつけなければならない。
古本屋の「だんな様」は一時休業。「魔術師」クラウス・グレイの復活だ。
退役した伝説の魔術師は静かに暮らしたい〜かつての仲間が俺の隠居を邪魔してくるんだが〜 @lirulipin
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