第2話 少女の依頼と過去の因縁

 立ち話もなんだから、ということで、俺はその少女を書店スペースの裏にある応接間に案内した。

 ギシギシときしむソファに腰かけると、思わずあくびがもれた。やっぱり三日徹夜は体に応える。

 やる気ゼロの俺を見て、向かいに座る金髪少女はあからさまなため息をついた。

「はぁ。こんなさびれた店のオーナーなんて、やっぱり期待するべきじゃなかったかしら」

 聞えよがしなセリフに、俺も大人げなく言い返した。

「なんなら今からでも帰ってくれて構わねーぞ」

「だんな様は賭け事が好きでぐうたらで目つきが悪いですけど、とってもすごい方なんですよー」

 ぽわぽわと笑いながらフォローしてくれるミリィ。悪気はないんだろうなぁ……ないよね? 最近いい笑顔でさらっと毒を吐くようになったからなこの娘。

 俺はミリィが淹れてくれたカフィ茶を口にする。うん、苦い。まあ眠気覚ましにはちょうどいいか。

 さて、さっさと用件を済ませよう。

「本を探して欲しいんだって?」

 前口上もなく俺が切り出すと、重たい沈黙が部屋におりる。俺もミリィも黙って見守るままなので、少女は意を決したように口を開いた。

「あの――、これからわたくしがする話は、ぜひご内密にお願いしたいのですわ」

「あー。まずそのへたくそなお嬢様言葉をやめろ。ガキのくせに淑女レディぶるな」

「う、なんて無礼な! 庶民のくせに!」

「お前も庶民だろ」

 少女の格好は『ふつう』だった。生成りのシャツとチョッキに、無地のスカート。街娘がよく着ている、家事や遊びで汚れても構わないような服装だ。

 しかし、少女がまとっている空気は上流階級を思わせた。品の良さとはまた違う、傲慢ごうまんさを多分に含ませたものではあるが。

「大方、没落した貴族の娘ってとこか」

 金髪の少女は拳を握りしめてしばし俺をにらんでいたが、ほどなくして小さくうなずいた。

「……その通りよ。あたしの名はレイラ=ミリオン。シャクステリア家の傍系ぼうけいであるミリオン家の娘よ」

 貴族言葉ノーブルワーツをやめ、レイラはくだけた口調で自己紹介をする。

 シャクステリア家。聞いたことがある。というか王都で知らない人間はいないだろう。『貸本屋』というシステムを構築し、本の流通業で財を成した豪商だ。

 その傍系であるミリオン家はウチと同業。すなわち、『魔導書』を商っていたと記憶している。

「半年前。ミリオン家が管理している書庫が襲撃されたの。盗まれたのはいずれも五世紀以上前のもの、ラグセン帝時代の魔導書よ」

 ミリィがはっと手で口を抑える。恐らく俺の表情も歪んでいるだろう。

 ラグセン帝。またの名を『魔導皇帝』。その異名は功罪両方の面で後世に伝えられている。

魔導書を広め、魔術文明のいしずえを築いたという功績。

そして、破壊的な魔術を次々と生み出し、混乱と闘争をもたらしたという罪。

「賊の襲撃とはいえ、我が家の管理体制が甘かったことは言い逃れできない。国との強いパイプを持っているシャクステリア家の取り成しがあって一族郎党の絞首刑こうしゅけいは免れたけど、所領はことごとく没収された。父は家長としての責任をとって投獄。母は実家のシャクステリア家に出戻ったわ」

 取り成しと言っているが、実際のところはトカゲのしっぽ切りだろう。

「お前もお袋さんに付いてけばよかったじゃないか。そうすりゃ、そんなみすぼらしいカッコせずに済んだだろ」

 レイラはぎろりと猛犬じみた眼光を向ける。

「そんなことできるワケないでしょう! わたしは誇り高きダイゼン・ミリオンの娘よ!お父様を見捨てた本家の世話になるくらいならっ……」

 父の境遇を思ってか、レイラは唐突に言葉を詰まらせ、荒い息を吐く。

 これは冷静に話すのが難しくなったな、と悔やんでいると、ミリィがすっと俺の横を通り過ぎて、涙ぐむ少女の前に、湯気を立てるカップを差し出した。

「ホットミルクです。落ち着きますよ」

「……ありがと」

 レイラは己の激昂げっこうを恥じるように頬を赤らめ、ミリィが注いでくれたミルクを口にする。

「……甘い」

「少しハチミツを足してみました。疲れた時は糖分が大切ですからね」

 お盆を抱えて穏やかに笑うミリィに、レイラも毒気を抜かれたのか、かすかな笑みを浮かべた。

「ミリィ、俺にも砂糖くれ」

「はい。かしこまりました」

 ミリィは丁寧にお辞儀して俺のカップに角砂糖を放り込む。ひいふうみい……わぁ、液面が見えないぞ。

「あの、ミリィさん?」

「足りませんか?」

「いえ、十分です」

 俺は砂糖が山盛りになったカップを、小匙こさじでじゃりじゃりとかき混ぜてから飲み込んだ。……うん。疲れた時はやっぱり甘い物に限るよネ。

「だんな様、お客様は大切にしないとメッ、ですよ」

 子供に言い聞かせるように注意するミリィだが、その目は笑っていない。俺としてはうなずくしかない。

 緩んだ空気を仕切りなおすようにレイラが咳払せきばらいをした。

「話を続けていいかしら」

「どうぞ……と言いたいところだがこっちから質問だ。魔導書――それもラグセン帝時代のブツが盗まれたなんて一大事だ。しかしそんなニュースが新聞に載った覚えはないぞ」

 ああ、とレイラは気が抜けたような返事をして、

箝口令かんこうれいが敷かれたのよ。パニックが起きないようにね」

「そんなの、盗んだ連中が魔導書を悪用したらすぐにバレるだろ」

 レイラは唇を噛み、

「ええ。だから奴らが魔導書を使う前に、取り戻さないといけない。それが父とミリオン家の汚名をすすぐ唯一の手段なのだから」

「その、奴らってのに、心当たりは?」

 具体的な答えは期待していなかった。事件の規模からして犯人はかなり熟練した盗賊だ。現場に手がかりを残すようなミスは犯さないだろう。

 しかしレイラは、ためらいつつも口にする。

「荒らされた書庫の奥に、犯人の声明が記されていたわ。『物語は終わらない。我々が終わらせない。―アンドラスの書架―』」

 意識が揺れた。

 持っていたカップが床に落ちる。シャーベット状になった中身がどろりと絨毯に染み込んでいく。

 慌てふためくミリィの声。動揺するレイラの表情。それら目の前の光景が現実感を失っていく。

 天地がひっくり返る。部屋の壁が吹き飛び、気付けば俺の両脚はすすけた大地の上に立っている。

 赤子の泣く声が聞こえる。女の悲鳴が聞こえる。男の怒号が聞こえる。

 空に雲はなく、血のようにどす黒い赤が地平線まで続いている。

 人々は口々に祈っていた。あるいは恨み言を口にしていたのかもしれない。願いも希望も通じない地獄の底で、俺は何を思っていただろうか。

 目前の丘の上に、フードを被った男が立っていた。男は手にした巨大な漆黒の書物を開き、さながら礼拝のごとくおごそかさに読み上げた。

 ――終末を告げることを。


「…んな様、だんな様!」

 必死に呼びかけるミリィの声に我に返る。

「あ、ああ、悪い……」

 呆然と見上げた先にあるのは血の空ではなく、築百年の我が家の薄汚れた天井だった。落としたカップは片づけられていて、わずかな染みだけが残っていた。

「大丈夫? あなた、なんというか、普通じゃなかったわよ」

レイラが心配そうな目でこちらを見ている。俺はけっこう長い時間、自失していたらしい。

「心配ない。それより聞かせてくれ、本当に、アンドラスの書架と書かれていたんだな」

 食い入るような俺の姿勢に気圧けおされながらも、レイラはうなずいた。

「え、ええ。間違いないわ。あたしもこの目で見たもの。もっとも、証拠隠滅のまじないが掛けられていたみたいで、すぐに消えてしまったのだけど」

「いったい誰が、いや、候補者はいっぱいいる。でもあいつが死んだ以上、何の目的があって……」

 ぶつぶつとつぶやく俺の肩を、ミリィが優しくなでた。

「だんな様、少し休まれてからの方が……」

 心底から俺の身を案じてくれていることが伝わる声だった。しかしミリィと視線が合った瞬間、十六歳の立派な娘の顔に、痩せこけて毛布にくるまる幼い少女の姿が重なる。

 過去の幻影から逃れるように、俺は添えられた彼女の手を押し返した。

「大丈夫だ。レイラ、話を続けよう。そもそも、お前の目的はなんだ?」

 あまりに衝撃的な名前を聞いたので本題を見失っていた。彼女は本を探してほしいと言ってこの店を訪ねてきたのだ。

「そうね、遠回しになってしまってごめんなさい。実は『アンドラスの書架』なる盗賊が狙っていたのは、一冊の『禁書』だったことが分かってね」

 禁書とは、あまりに強力な魔術が記されているため、政府の許可なく製造・流通・複製することを禁じられている魔導書の一群である。

「き、禁書なんて、ウチみたいな小さな古本屋には置いてませんよ! ね、だんな様」

 物騒なワードに、俺ではなくミリィの方が過剰な反応を示す。レイラは慌てたように両手を振り、

「あ、いや、実は賊が狙っていた禁書は無事だったのよ。別の場所に置いてあったから。今は王立魔導図書館の『書の牢獄』に保管されているから盗まれる可能性は限りなく低いわ。あたしが探してほしいのは、その写本の方なの」

「ふむ……写本、ね」

 魔導書の構成要素は「装丁」と「魔術ルーン文字によって綴られた術式」に分けられる。術式を書き写すだけでも使えないことはないが、その効力は原書オリジナルと比べるべくもない。

 が、元が『禁書』となれば話は別である。

 レイラはのどが渇いたのか、ぐいっと冷めたミルクを飲み干した。空いたカップの底を見つめながら語り出す。

「父は根っからの商売人だったけど、魔術師としての一面も持っていたの。時折、書庫から魔導書を持ち出してはこっそり研究していたみたいでね。もちろん誰にも話していなかったけど、幽閉される直前、あたしに手紙を残しておいてくれたの。そこには、父が隠していた写本コレクションの場所が書かれていたわ」

 レイラの話は核心に近づいているようだ。俺は黙って続きを促す。

「でも、父が指定した隠し場所には、一冊も残っていなかったのよ。どうやら、家財の整理をしている時に、偶然にも召使いが見つけちゃったみたいでね。その報告を聞いた母は、それらが魔導書の写本であることに気づかず、売りに出しちゃったの」

「あー、なるほど」

 魔導書の複製コピーには厳密なルールが科せられており、違反者には罰則が待っている。必然、よこしまな動機の写本師は、普通の書籍と見分けがつかないようカモフラージュすることになる。

 魔術ルーン文字は常人には見えない特殊なインクを使うから、鑑定されない限りばれることはまずない。

「古物商に売られたんならウチに出回ってる可能性もある、ってことか。それで、親父さんは、禁書の写本の外装をどんな本にしたんだ?」

 ここまで一気にしゃべり立てていたレイラの表情が固まり、頬が赤く染まる。

「……小説」

「なんだって?」

「官能小説!」

 羞恥しゅうちしんを蹴とばすように、レイラは真っ赤になりながらも大声で告げた。

 官能小説。いわゆる大人のためのエロ小説である。

 俺はその言葉をじっくりと反芻はんすうする。彼女の境遇を整理するとこうだ。尊敬する父が、無情な盗賊の犯行により、投獄される羽目になった。その後、父がひそかに禁書の写本を作っていたことが判明する。その写本のタイトルがエロ小説だった、と。……うん、かける言葉が見つからねえ。

 レイラは気まずそうに視線を揺らす。

「たとえ見た目がいかがわしい小説だったとしても、禁書の写本を野放しにしておくことはできない。写本は通りすがりの行商人に売っちゃったみたいで、行方が全然つかめないの。わずかに残された人脈と資金を使い、必死に捜索を続けていたら、この本屋さんのことを聞いたのよ。『見た目はしがない魔導古書店。しかしその実態は、絶版も同人も関係なく、それがエロに関わる本なら必ず見つけ出して提供する。その名はクラウス魔導書房!』」

 情報提供者の受け売りだろうか、レイラはよどみなくウチの宣伝文句を口にする。

 なんだろう、睡眠不足のせいかな。視界の片隅が黒い。

「だんな様…」

 闇が濃くなった。もとい、ウチの従業員が発するオーラである。

「おかしいと思ってたんですよねー。ときどき年配の男性のお客様がこっそり訪ねてきて、モジモジして用件を言わないのでだんな様を呼ぶと、さあっと奥の方に行って何やらゴニョゴニョしてるんですもんね。あれはエッチな本を売ってたんですねー」

「あの。ミリィ?」

「わたしに内緒でねー。どれくらい儲けてたんでしょうネー」

 いかん、語尾が人間性やさしさを失っている。

「違うんだ! 秘密にしてたのは、未成年の従業員にエロ本を売らせるわけにはいかないという俺の良識がゆえだ。だからそんな怒らなくても……」

 娘同然の少女を思いやる保護者の主張は、目の間の少女が放つ怒気のためにだんだん小さくなっていった。

「怒る? ナニイッテルンですかー。わたしはだんな様がちゃんと働いてることが分かってうれしいんですヨー」

「だったらその手に持っている人を殺傷できそうなほど分厚い帳簿は何だよ!」

「なんてイッテマシタッケ、『コレは大事な商談だから』?……へぇー」

 いざ血の雨が降らん、と言ったところでレイラがごほん、と咳をした。

「真面目な話をしているのだけど?」

 帳簿を振り上げたミリィは、レイラの一言にぽっと頬を赤らめ、いそいそと持ち場である壁際に戻る。

「こほん。えー、お話を中断してしまいすみませんでした。どうぞ続けてください。あ、だんな様にはあとで大事な話がありますから」

 ……命乞いの算段はあとで立てるとしよう。俺は睨みを利かせる従業員から、依頼者の少女に目を移す。

「話は分かった。その写本を探してくれってことだな。引き受けよう」

 俺の快諾にレイラはほっとした表情を浮かべるも、すぐに眉を下げ、

「それで、その申し訳ないのだけど、報酬はあまり払えそうにないの。ここまでの調査でほとんど使ってしまって」

「いらねぇよ。禁書の写本なんて物騒なもの、とっとと回収した方がいいに決まってる」

 それに、個人的な事情(アンドラスの書架)もある。連中の目的が禁書なら、写本を追っていれば手がかりもつかめるだろう。

 事情を話し終えた安堵からか、レイラの腹部からぐぅというカエルがつぶれたような音がした。

「あ、これは、その」

「どうせ泊まる場所もカネもろくにないんだろう。しばらくウチに泊まっていったらどうだ? 幸い、部屋は空いてるし」

 俺の申し出に、レイラは戸惑ったように眉をひそめ、

「いいの?」

 俺はうなずく。ミリィも断るはずもない。というか、すでに着替えやら食事の準備に動き出していた。

「ごちそう作りますからね! 楽しみにしていてください!」

 厨房からそう声をかけるミリィに、レイラはぐっと涙をこらえるようにうつむいた。

「ありがとう」

 礼を言われるのは慣れていない。俺はごまかし半分に尋ねる。

「さっそく今日から調査を始めたいと思うんだが、例の本は何てタイトルなんだ?」

 数秒の葛藤――、

「い、い――」

「だんな様ぁー?」 

 厨房から不穏な声が聞こえた途端、俺は光の速度で紙片とペンを差し出していた。同時に胸中で誓う。

 ……これが済んだら、エロ本の隠し場所を変えておこう、と。

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