思い出

綾瀬から隆志くんが入院している病院を教えてもらった私は、授業が終わると自転車で登校していたこともあり、その足で病院へ向かった。

私は私が考えていた以上に隆志くんのことが心配で心配で仕方がなかったらしい。

怪我もそうだが、他の部分でもたくさん心配なところがあった。

最後に会った日の彼の思ったより小さな背中を、自分がいじめに遭っていた話をして辛そうな顔をしていた顔を思い出せば、彼がどれほどいろんなものを背負って我慢して必死に隠して来ていたかがわかる。

そして、更に隆志くんを苦しめているのは綾瀬の存在なんだろう。

隆志くんと母親がやり取りする際は綾瀬を通して伝えているということは、母親は綾瀬とは口を利くということだ。

親から兄弟の中で差を付けられてしまうなんて想像しただけでぞっとする。




然程、学校から距離があったわけではないため、自転車を10分ほど漕いだところで無事に目的地へ到着した。

急いで院内へ入り、受付を済ませて綾瀬がくれたメモの病室へ向かう。

すぐに「綾瀬隆志」と名前の書かれた部屋を見つけることが出来た。

久々に会うことと、突然訪問してしまったことにやけに緊張してしまい、いつもより心臓の鼓動が早くなってしまう。

一度、深く深呼吸をして呼吸を整えた。

軽くノックをすると、「どうぞ」と久しぶりに聞く声が聞こえた。

扉を少し開けて顔だけ覗かせると、こちらを見ていた隆志くんと目が合った。


「え、真由美さん?」


明らかに隆志くんの表情が困惑の色に染まっている。

…やっぱり、連絡もなしに突然来るのは迷惑だったかもしれない。

無計画すぎたかもしれないと少し後悔していると、隆志くんが「ここに座って」とベッドの隣にある椅子を指さした。

私は彼の言われたままに中に入り、椅子に腰かけさせてもらった。

久々に見る隆志くんの姿は思った通りあまり元気ではなさそうに見える。


「入院してること、どこかで聞いた?」


やけに怯えた顔をしている。

私は正直に綾瀬に教えてもらったことをもらったメモを見せながら隆志くんに伝えた。

それを聞くと少し肩の力を抜いたようだ。


「ていうか、幸人に知り合いなのバレちゃったか…」

「やっぱり隠してる方がよかった?」

「ううん。いつまでも隠すのは無理だし、いい機会だったと思うよ」

「しかもね…マッチングアプリで出会ったことになっちゃったの」

「マジか」


隆志くんは声を出して笑った。

同時に少し開けられた上窓から風が吹き込んでくる。

白いカーテンがふわりと舞い上がった。

太陽の光が隆志くんの顔を照らして元々白かった肌がさらに白く見える。


「脚…、階段から落ちたって聞いたんだけど、大丈夫?」


隆志くんがこちらを見た。

笑顔は消えている。


「うん。リハビリも進んでるし、もう退院するし、すぐ歩けるよ。綺麗に骨折れてたみたいだから」


何故だかそれが嘘だと思った。

嘘、というのは少し違うかもしれない。

彼は何かを隠している、私の直感がそう言っていた。


「それよりも」


隆志くんが左手を私の方へ伸ばしてきた。

ふいに、初めて会ったときの彼が頭に浮かんだ。

「傷だらけだね」と眉を落としながら言っていた彼の声が頭の中に響く。

私の額に触れた彼の手は、やはり冷たかった。


「…また、怪我してるね。転んだ?」


「いや、そんなわけないか」と兄弟で同じことを言う。

私には兄弟がいないからわからないけれど、もしかすると思考が兄弟で少し似るところがあるのかもしれない。


「…お父さんに、朝から殴られちゃって」

「そっか…。家庭の問題ってなかなか解決しないでしょ」


隆志くんは目を細めて私に言った。


「俺は、一生…仲良く出来る気がしないよ。母さんとも…幸人とも…」


河川敷で言っていたことと同じことを言った。

あの時よりも脆く儚い表情をしている。

いつ潰されてもおかしくないその弱々しさが心配で、私は隆志くんの手に自分の手を重ねた。

私たちは結局一人では何もできない。

だからこそ、隆志くんが辛いと思うものは私も一緒に背負おうと思った。


「隆志くんのこと、ちゃんと話してくれない?」


隆志くんは口を固く閉ざしたまま、下を向いた。

やはり、家庭のことは何も話したくないのかもしれない。

無理矢理聞き出すのも隆志くんを傷つけることになるのは、私自身理解しているので、これ以上は催促するつもりはない。

話題を変えようと口を開いたとき、隆志くんが私の口の前に掌を向けてそれを制止した。

眉間に皺を寄せて、何かを決意した顔をしている。


「真由美さんが知りたいのは、俺がどうして幸人を嫌ってるかってことだよね。…幸人はいい人だから、嫌ってる理由が知りたいんだろ?」


隆志くんの口から綾瀬が「いい人」と出てくるのは意外だった。

普通は嫌っている人のことを「いい人」と評価はしないと思う。

…少なくとも私はそうだ。


「俺はいつも幸人に助けられてた。頭がよくて優しい兄貴を俺も好きだった。けど、それは年齢を重ねるにつれて俺のコンプレックスにもなっていったんだ。"幸人くんは偉いね。愛想がいいね"って幸人はよく言われてた。俺は何も言われなかったけど、俺を見る目は"それに比べて隆志は…"って言ってた。母親も担任だった先生も、そうだったよ。しかも、いじめまで始まって俺の存在意義はどんどんなくなっていった。幸人も、俺を見下せばいいのに、逆にあいつだけが"隆志は偉いね"って手を差し伸べてくるんだ。どんな俺のワガママでも受け入れて叶えてくれる」


一息つくと、乾いた唇を舐めて更に続けた。


「けど、それが俺をさらに苦しめた」


隆志くんが天井を仰いだ。

瞳がキラキラと光っている。


「だって、俺は母親に"なんで生まれてきたのかわからない"って言われた存在なんだよ?"幸人だけで充分"って何度も言われたのに、当の幸人は俺に優しくするって、俺からしたら屈辱以外の何でもなかったんだ」


それが単なる幸人への嫉妬であり、逆恨みであることはわかってる。と隆志くんは言った。

一瞬、彼が目を瞑った。

瞑った際に彼の目尻から涙の雫が一筋頬を通り抜けていく。


「幸人は何でも要領よくこなすけど、俺が勉強も運動も出来るのはそれなりに頑張ったからなんだ。真由美さんは俺を頭がいいって言ってくれたけど、そうじゃない。そういう兄弟の差も俺は苦しいんだ」


隆志くんが頬を拭ってこちらを見る。


「だから、俺は幸人とは一生仲良く出来る気がしない。幸人は俺をしっかりと好きでいてくれているけど、俺は好きと嫌いの狭間でぐるぐると渦巻いてる。…幸人との思い出はいいものばかりのはずなのにね」


隆志くんがそれを話してくれるまで、私は何もわからなかった。

彼はそれを誰にも悟られないように推敲した嘘で表面を塗り固めていたのかもしれない。

もちろん、わざわざ嘘を話しているわけではなく、「家庭は普通」「いじめなんて無縁」と思わせるのが格別なのだ。

私だったら、いじめだとか家庭環境が悪いとかまではわからなくとも「上手くはいってないんだろう」とすぐに思われる程には表情に出ている。

現状、今もそうだと思う。

でも、隆志くんは違う。

今でこそこの話をしているから今にも消えてしまいそうな表情をしているが、いじめの話をカミングアウトするまではまさか彼がいじめを経験しているだなんて思ってもみなかった。

綾瀬と隆志くんの関係性にしたってそうだ。


「…真由美さんは、俺を強いって前に言ったけど、そんなことないよ。弱いから復讐にも囚われてるんだ」

「そんなこと…」

「本当に強い人は復讐なんてしないよ。だって、復讐なんてしたら負の連鎖が始まるだけだし」


真由美さんの方が断然強いよ。と隆志くんが儚げに笑った。


「真由美さんの方が、今日は父親に殴られて辛いはずなのに、俺なんかの話を黙って聞いてくれてるのが証拠だよ。…俺は結局自分のことしか考えられてない」


俺よりも酷い目に遭ってる人は腐るほどいてるのに、と私たちが初めて会った日に隆志くんが私へ言った言葉を、自分自身に投げかけた。




同日 午後10時

部屋のカーテンがふわりと舞い上がった。


「さっむ…」


季節は九月も終えようとしている。

昼間は真夏の暑さから大分過ごしやすい気温になり、朝夕は少し肌寒い季節へと移り変わっていた。

少年はソファに横たわらせていた身体を起こし、窓を閉めた。

すぐに先ほどのようにソファに横たわると、大きなため息を吐く。

閑散としたリビングに響くバラエティ番組の中の笑い声がやけに浮いている。


ふと、テレビの横に置かれた写真に少年は目を向けた。

5、6歳くらいの頃の少年と、その後ろにいるのは父親だ。

少年の隣には今は想像も出来ない程無邪気に笑っている弟も写っていた。

少年は立ち上がると、おもむろに写真の入ったフレームを手に取った。


「…俺は全部知ってるよ、父さん。あんたが、家族を裏切って他の女に入れ込んでいたこと。母さんもそれを知ってたよ。でも、そのせいであんたの面影がある隆志を母さんは…」


こいつさえ、こいつさえ母さんが浮気に気が付く前にもっと早くいなくなっていれば、家族は上手くいっていたかもしれないのに。と少年は歯を食いしばった。


「てか、いつまでも死んだ父さんの写真なんて飾るなよ…」


フレームを持った手を大きく振り上げたとき、後ろからその腕を抑え込むように掴まれた。


「幸人!」


少年が振り返ると、いつの間にか帰宅していた母の姿があった。

母が、少年の腕を必死に抑え込んでいた。


「…何をしていたの?」


まるで、小さな子供に言い聞かせるかのようにゆっくりと、落ち着いた口調で母親は少年に問う。

少年は母親の手を自分の腕から引きはがし、距離を取った。


「懐かしいなと思ってただけ。…なあ、こんな写真なんか捨てろよ」


少年の言葉に、母親は眉をピクリと動かした。


「どうして、そんなこと言うの?」

「逆に、なんで母さんはあいつに傷つけられたはずなのに捨てないの?」

「…幸人は、母さんが再婚したことは間違ったと思ってる?」


母親の論点ずらしの逆質問に、少年は眉を顰めた。


「当たり前だろ、あんな奴!でも、あいつがいなかったら隆志は生まれなかった…。だけど、それでも俺はが一番好きだ」


少年は手に持ったままの写真フレームに視線を落とした。

息子たち二人の後ろに立って笑顔で写る父親。

こう見れば、いい父親にしか見えないのになと少年は失笑した。


「こんなもの、置いてる方がどうかしてる」


少年は今度こそフレームをゴミ箱へ投げ捨てようと、フレームを持つ手を大きく振り上げたが、それを再度母親が制止した。


「やめなさい!」

「どけよ!」

「幸人!いい加減にして!」


母親は少年の手から写真を奪い取ると、写真を守るように抱きしめた。

その姿を見て、少年は「はは」と声を出して笑った。


「…母さんは、隆志は守らないくせに、死んだ父さんあいつのことは守るんだ」


母親は何も言わずに写真を抱きしめたままだ。


「一度も隆志の見舞いにも行かずに、そんなやつを守るなんてどうかしてるよ!そんなに父さんのことが好きだったら、あいつの忘れ形見にあたる隆志も大切にしてくれよ…」


少年は必死にそう言ったが、母親は黙ったままよろよろと少年の脇を通りすぎてキッチンへと姿を消した。

どうやっても家族の歯車が合いそうにない事実に少年は目を閉じた。

今日は久々にツーリング日和かもしれない。

そう考えて後ろを振り向いたとき母親が胸に飛び込んできた。

思わず少年は目を見開く。

ポタポタと何かが床に滴る音が聞こえた。


「母、さん…」


刺されたのだと頭で理解したときには、腹に刺さった包丁を抜き再度刺される。


「幸人…、あなたはいつも母さんの味方だった」


母親は抜いて刺す、抜いて刺すをロボットのように繰り返した。

少年の身体が崩れ落ちる。

横たわる少年の上に乗り、尚も刺し続ける。

少年の血が母親の顔、服に飛び散った。

ドクドクと傷口からどんどん溢れる血が床にも水たまりを作っている。


「母さんの味方じゃないあなたは幸人なんかじゃないわ」


上手く呼吸が出来ない喉を必死に動かして酸素を吸おうとするが、肺に穴が開いているのか少年が息をする度に「ヒューヒュー」という音が鳴り響いた。

少年の頭に走馬灯のように幼いころの弟との思い出が映し出された。

泣き虫でいつも自分の後ろを着いて回る弟に自身が約束した言葉を思い出して、思わず涙が溢れる。


『何があっても俺がずっと側にいるよ』


母親が少年の鳩尾に包丁を刺した。

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