手紙

崇期

手紙と言えども出会えたらうれしい

広い広いゴミの砂漠で、私は手紙を拾った。


私は歩く詩人と呼ばれる者だ。前はそう呼んでくれる友人がいたが、

今では私の頭の中でしか呼ばれない。

自分のみすぼらしい姿を客観視するときにしか、呼ぶことはない。


歩を運ぶことでしか、私は文章が書けない人間だったので

なにか創作したくなったとき、ひたすら街を野を歩いた。


今ではただ、足の下に靴がある限りどこへでも……という感じだ。



私は疲れて、車のエンジンの成れの果てのような機械の上に腰を下ろしていた。

いつからゴミの山しか見当たらないこの砂漠に迷い込んだのだろう。


要領のいい野良犬のように、少しでも鮮やかな色が残っている

袋や箱を見つけると引っ張りだして、その中身を口に運び飢えをしのいだ。


私を軽蔑しますか?


もし私が今 詩や手紙を書くなら、そんな書き出しになるはず。


私の右手はボトルを握りしめるに至った。

喉を潤してくれる水の一滴も入っていないそのボトルには

一片の紙が入っていた。

誰かが誰かに宛てた手紙のようだった。


広げて読みふけった。一心不乱に。

まるで文字がインクが私の渇きを癒してくれるとでもいうように。


馬鹿馬鹿しい、と放り捨てようとしたこともある。

誰かになにかを訴えたい人が、なぜボトルに詰めようと思う?

手紙という形態を無視したからこそ、

この不幸な手紙はゴミの山に辿り着いたのだ。


ああ、私と同じ──。

正規の詩人の生き方を真似できなかったからこそ、

私はここに来ているのか。


「私もあなたと同じです。同じなどと言ってあなたは不愉快かもしれないが

あなたが今戦っている世界に、私もいて、同じだけの重量を持ったパンチに打ちのめされているのだと思う。あなたは信じたのでしょう?

私の創作が誰かに読まれるかもしれないと感じたように、

あなたもあなたの手紙が誰かに読まれるかもしれないと……」


私は創作用に持っていた紙とペンを使い、

返事の詩を書いた。

そして見知らぬ手紙と一緒にボトルに詰めた。


辺境で出会った運命の夫婦のような二枚の手紙が、

ゴミの砂漠で誰かを待ち続けるという物語。


あなたと私の共作だ。



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手紙 崇期 @suuki-shu

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