後編




 花蓮は、「11月のアップルタルト」の続きを、眼に涙を浮かべながら読んだ。そしてページをめくるたび、想像していた展開と違う事に驚いた。


 主人公の塔子には、生まれつき心臓の病気があった。二十歳まで生きられないかもしれないと知ってショックを受け、泣きながら過ごすのかと思っていたのに、泣いていたのは初めの一ヶ月だけ。


 塔子は中高一貫校の寄宿学校にいたけれど、この事を知らされてから学校に決別する事にした。そこは一つの街のように何もかも――カフェ、雑貨店、小さなスーパーマーケットまで――が揃い、何もかもが手に入れられる楽園のような場所だったけれど。

 大きな敷地だった学校も、最後に振り向いた時、何だか小さく、無理をして大きく見せているように見えた。「さよなら」

 学校を中退した塔子はフランス、パリを旅した。


――え? 何でパリ? 病気なのに?――


 そこで塔子は子どもの頃から行きたかった夕暮れのセーヌ河岸辺を歩き、美術館や書店巡りをした。



 花蓮は、塔子と一緒に黄昏時のパリの街角を歩いている気分になった。



 日本に帰ると、塔子は親の反対を押し切り、お小遣いをはたいて夢だった洋菓子の専門学校に通い始めた。そして治療を続けながら真剣に洋菓子作りを学んだ。



――病気だけど、まだ重症になってないから、普通に日常生活をおくるのは大丈夫なのかな――



 塔子は、セーヌ河畔のケーキ屋のガラスケースにあったリンゴと洋梨が花束のように載ってあるケーキが気になっていた。パリで味見させてもらった時のあのとろけるような甘酸っぱく夢のような味。それを再現できるようなパティシエールになる事を夢見た。

 それまでもお菓子は好きだったけど、どちらかというと食べるのが専門だった塔子。お母さんは仕事で忙しくて塔子のケーキ作りを手伝う時間なんてなかったし、幼い弟達はお菓子を食べる事には興味があってもお菓子作りのジャマにしかならなかった。

 塔子自身もお菓子は食べるだけでいいやと思っていたけど、本当はお菓子作りの得意な男子が調理実習で上手に作るのを見ていてうらやましく思っていた。

 そこで思い出のシーン。その男子が塔子に、「見てるだけじゃつまらないだろ? やってみたらいいよ」と言うシーン。



 花蓮は、由岐の言葉を思い出していた。



――練習見てるためだけに残るのなんてやめときなよ――



 そうだ。私っていつも自分は脇役でラクしようとしてるヤなやつだった。いつかのバレーボール部の女子達の言葉が再び心に突き刺さった。


――あの時は悪かったな。あの子達、今なら仲良くなれるかもしれないのに――


 元々、私立中学に通っていた花蓮が親の転勤をきっかけに公立に転校する事になった時、次の中学ではもしかしたら本音で話し合える友達が出来るんじゃないかと期待に胸をふくらませていたのだった。そして由岐に出会った。他のクラスメートも今までのようなうわべだけの言葉をかけなかった。それまでは、親同士の付き合いが友達選びにまで影響するような環境だったのだ。



 「11月のアップルタルト」の中で塔子は、専門学校の卒業制作に向けて、新しいスイーツのレシピを考え始める。お菓子の本、料理の本を数え切れない位めくってもアイデアは浮かばない。そのうち入院して手術を受けなくてはならない事に。手術の後、眼を覚ました塔子の眼に窓から射し込む一筋の陽光が。ああ、こんなお菓子を作ればいいんだなと塔子の心に浮かんだスイーツがあった。

 それを確かめるため早く退院したいのでリハビリを頑張った。退院後、一人で近くの丘に登った。そこから午後の陽射しが蜂蜜色に輝くのを見た。絵はモノクロなのに色が浮かんでくる。



 花蓮もまるでその場にいて、蜂蜜色の陽射しを見つめている気がしていた。一人で登った丘の風景の中にいるのは塔子でなく、花蓮のような気がした。しんしんと寒くなっていく秋の日。



 塔子は、陽射しのような暖か色のリンゴのタルトを思い付く。親戚から毎年送られてくる真紅の林檎と卵黄をふんだんに使ったカスタードクリームのタルト。他の生徒のレシピはもっと独創的で大作揃いなのは知っていた。でも塔子にとっては、結末はどうでも良く、自分の出来る最高のレシピにしようと決意する。

 それでもやっぱり塔子のタルトが優秀賞には選ばれなかった時、思わず悔し涙がこぼれた。


 塔子のタルトは学校の文化祭で模擬店を出すと評判になり、道の駅でも専門学校生のコーナーとして販売してもらえるようになった。公園の移動販売の会社からもメニューに加えたいと言ってもらえた。公園で手伝いをしている塔子を遠くから見守る横顔は、かつて調理実習で助言を与えてくれた男の子だった。



 ――これは片想いのまま結ばれない恋? それともあと二十ページで収集がつくの? そう言えば、由岐はこの本を誰からもらったんだろ? 知り合いからと言ってたけど、由岐にコテコテの少女漫画をプレゼントしそうな知り合いっていたっけ?――


 花蓮がふと裏表紙を見た時、そこに元の持ち主らしい名前がローマ字で書かれていた。beauty Machidaと筆記体で書かれた文字。ビューティー・マチダ?、町田……。「町田」で思い出すのは由岐の幼なじみという陸上部員だけ。細身で目も細く眉を整えている、クールな感じの男の子。

 とにかくこの、もらい受けた本で由岐が花蓮に何か大切なメッセージを伝えたかった事だけは確かだ。


――キツい言葉でわざとに遠ざけても、本当はきっと甘い考えの自分にショック療法で大切な事を教えたかったんだ。――


 そう思うと、花蓮はこの本が愛おしく思え、あと二十ページが貴重に思えた。



―――――――――――――――――



「もしもし遼? ウチ、明日から花蓮と帰らないからね。じゃま者いないんだから、話しかけるんだよ」


「んな事いきなり出来るわけねーだろ? 恥ずかしいし。第一、オレみたいなんがいきなり声かけたら、かれんちゃんが驚くだろ?」


「大丈夫。だって昔のクラスメートじゃん。それにさ……へへ」


「なんだよ?」


「あのコ、あと5分もしたら、あんたの気持ち、知る事になるよ」


「なんだよ? あと5分って。七時になるだけだろ」


「湯本家の夕食の時間よ。それまでに花蓮は『11月のアップルタルト』を読むからさ」


「ああ、母ちゃんのやってる美容室にあったあの少女漫画の事か? あれ、面白かったのに美容室に来たついでにお前が持って行ったんだよな!?」


「はあ? ウチはあんたが街中の笑い者にされるのを助けたんだよ。忘れたの? あんたが落書きしたの」


「落書き?」


「ほら、『町田遼らぶ湯本花蓮♡』ってさ。最後から3ページ目に書いてたの、ウチが見つけてやったから良かったんだよ」


「マジか。早くかれんちゃんの家に行って回収して来いよ! 早く〜!」


「イヤだよ。そしたら進展ないからね。偶然ウチの親友だったから気を利かして、帰り道で会って紹介しても、遼、ちっとも喋ろうとしなかったじゃん」


「あー!全く何て事したんだよ。大体、なんで一緒に帰らんとか言ったんだよ。かれんちゃんがかわいそーだろ? 俺、かれんちゃんから怖がられてるのに」


「んなわけないよ。だって中学の時、数学でめちゃ悪い点とって先生から嫌味言われた時、あのコが教えてくれたって喜んでたたじゃん」


「だけどー! 避けられたらどーすんだよ?」


「怖がられても次はきっと声をかけてみ。絶対だよ。あのコなら、ほんとは強いコだから大丈夫。じゃね」


 電話を半ば強制終了した由岐は一人つぶやいていた。


――あのコならほんとは強いコだから大丈夫…。ウチ、花蓮に嘘が上手くつけたかな。ウチが独りが好きだなんて――

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本当は強いコだから大丈夫 秋色 @autumn-hue

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