【猛毒のグルメ】アルカトラズのVXと上九一色のサリン(とM県O町のソウシハギ)

@ibasym

アルカトラズのVXと上九一色のサリン(とM県O町のソウシハギ)



 生前の彼に、「動物の三大欲求って知ってるか?」と聞いたら「食欲、食欲、食欲。だろ?」と真顔で返されたことがある。

 そんな田崎が教えてくれた蘭光堂のカステラは確かに絶品だった。今となっては味自体は覚えてもいないのだが、その時は確かに絶品だったと思ったのだ。

 田崎は実に雑食で、特にグルメであったわけでもない。一人暮らしのコスパ最高自炊メニューから、コンビニ弁当、一見さんお断りの料亭、果ては一般に悪食と思われるような昆虫食まで満遍なく腹に納めてきた人物で、私は二つ前の職場で彼に出会った。飛び抜けて美味いものから底抜けに不味いもの、泡のように消え入りそうな繊細な味から、人工甘味料の塊まで、およそあらゆる味を愛している男だった。食べ物に関しては鉄板のおみやげから変化球の珍味まで網羅しているので、仕事ぶりはともかく、重宝される人物でもあった。

 彼の四十九日の法要と、納骨が行われるという案内が届いたのが三日前のことだった。確か三日前だったと思うのだが、ここ最近、あまりに記憶が混乱していて、本当に三日前だったのかも怪しい。実際はもっと前だったかもしれない。これはちょっと内緒なのであるが、正直言って今日が田崎の四十九日法要の日だったかも定かではない。

 とはいえ、あまり気にすることもないだろう。

 田崎には悪いが、実のところ彼の法要は今の私にとってはついでに過ぎない。

 私ははやる気持ちを抑えて、右足を引きずりながら改札をくぐってO駅前に出る。

 左手に嵌めていた時計はいつの間にかなくなっていたので、時間は分からないが、太陽の向きから、およそ10時くらいだと見当は付く。

 田崎とあんなに意気投合したきっかけが今となっては思い出せない。

 酒の席で何かについて意見が一致したのは覚えているが、何だったのかが分からない。アルコールが全部洗い流した。「一献の盃は千年の知己に勝る」と深夜のテレビCMで言っていたが、なるほどと思ったものだ。(確かサンテレビでやっていた『ユニバース』というキャバレーのCMではなかったか。コマーシャルのくせに女性の裸が映っていたのでよく覚えている。)私と田崎は翌日から旧知の仲のように過ごした。仕事が終わると二人で様々に味覚を開拓していった。食の趣味は主に田崎に仕込まれた。私は私で、オーディオの沼に田崎を引きずり込もうとしていた。食、オーディオ、いずれも本気で向き合うとどうしてもカネという壁にぶつかってしまう。時々田崎は私の家に来て、二人で1983年のフルショーヴェチ指揮の歌劇ホルロメオの第三幕を聴きながら、田崎の持ってきた珍しい肴を口に運び、旨いだの不味いだの言いながらワインを呷ったものだった。


 そう。

 うまくてもまずくてもいいのだ。


 それまで食に頓着の無かった私に田崎が教えてくれた大切な事の一つだった。「食いたいから食うんだよ、うまいまずいなんてのは二の次だよ」というのが口癖だったが、冷静になっていくら考えてみても何の含蓄もないその名言風の口癖は、思い出すたびに私を笑顔にさせたものだった。

 田崎の地元にある居酒屋(『Y』としておく)で出される裏メニューの魚が絶品だと言っていた。もしうちに来ることがあったら絶対お前にも食わせたいんだ、とも言われた。田崎の法要へ行くという体だが、その実、私の意識はほとんどその居酒屋へと向いていた。午前中から開店しているらしいので、午後の法要より前に、その逸品を口にしてしまおうという魂胆であった。


 これは言い訳ではないが、あんな田崎であったから、私が彼の法要をついでとしてその店に行ったとしても、死んだ彼も喜ぶのではないかと思うのだ。四十九日というのはまだ、彼の魂もあの世とこの世をさまよっているらしい。であれば、彼が、私の掲げた盃に生と死の境を超えて口をつけていてもおかしくはないだろう。


 O町の駅前のロータリーでタクシーに乗り込もうとすると、乗車拒否をされた。

 仕方ないので歩いて店を探す。確かO商店街に駅前の側から入り、最初にコンビニのある角を右に曲がれば看板があると言っていた。事前にネットで調べたが、これは中途半端に遠い。微妙な距離であった。タクシーに乗るには近すぎるし、歩いて行くには少し遠い。

 右足をひきずりながら、商店街に入ろうとすると、買い物帰りの主婦が私の方を見て大声で何か叫び、逃げていった。その主婦の視線から私を認識した周囲の人々もまた、同じ反応を示す。あるサラリーマンはおののいた表情のまま後退りし、紺色のブレザーの女子高生は地べたにすとんと尻もちをついた後に周囲のレンガをじわりと小水で茶色に濡らした。私は右足をひきずりながら、手押し車とともに倒れて起き上がれず逃げ遅れた老婆に近寄って、しわくちゃな右手をかじり始めた。


 【老婆の右腕】……コリコリしていて、あまりおいしくない。シワでたるんだ皮膚は手羽先に似ている。おすすめは人差し指と親指の間の水かきみたいな部位の肉。老婆の食べられる部位の中では比較的おいしい。


 私は自身にさほど正義感があるとは思っていないが、それでも私は少しの憤りを感じていた。倒れた老婆が私に生きたまま食べられているというのに、誰も助けに来ようとしないというのは、あまりに冷酷にすぎるのではないか。言い忘れていたが、私はかれこれ三日か二日か、下手するともう少し前くらいからゾンビになってしまっているのだ。どうも生身の人間を見ると、食べたくなる。


 【老婆の眼球】……白内障を患っているようだ。とても固い。本当は腐りかけた方が潰れやすく食べやすいのだが、ゾンビの本能として新鮮な方を美味しいと感じてしまうようで、そのちぐはぐさに困ってしまう。本当は噛み潰したいのだけど、固くて潰せない。結局、引っ張り出した視神経の方だけ食べて、眼球の方はかんだ後のガムのようにしばらく口の中に遊ばせたあと、勿体無いなぁと思いつつもペッと吐き出してしまう。人間の目を食べる時はいつもこうだ。視神経は硬さ二倍のスルメイカといったあんばい。日本酒に合う。


 私の左腕が吹き飛ぶ。

 というか、吹き飛んでいた。ゾンビになっても感覚は一応あるのだが、痛覚だけはどうも殆どゼロに近くなったようで、今のも、あ、左腕無くね? と思って確認したらやっぱり左手失くなってたな、という感じなのだ。まわりを見たら、制服警官が一人、力士のように両足をがっちりと地面に固定し、私に銃口を向けているのがわかった。痛覚以外の感覚も大体くぐもっていて、脳にちゃんと信号が伝わっていないなという実感がある。身体感覚についてそれぞれ説明しておくと、味覚と視覚だけは生きている時とあまり変わらず、聴覚と嗅覚は元の三割程度、触覚は一割、痛覚と温度感覚はほぼゼロ、といったところだ。

 絶命した老婆の周りに血が広がる。私は老婆に向かって片手で拝む所作をすると、ゆっくりと立ち上がる。

 落ちた自分の左手を拾って、切断面どうしをあてがうと、瞬間接着剤でも付けているかのようにぴたっとくっつく。なかなかどうして、ゾンビとは便利だなぁと思う。これで更に生きていたら言うことは無いのだが、いかんせん死んでいる。

 警官が更に三発撃ってくるが、残念ながら外れる。ちゃんと訓練はしているのだろうが、やはりあんな小さな弾丸をターゲットにねじ込むのは難しいものなのだろう。漫画やドラマをよく見ていたら知っていることが多い豆知識だが、彼が今使っているニューナンブM60という回転式拳銃の装弾数は五発なので、あと一発しか入っていないことになる。私が近づいても彼は後ずさることなく、私に拳銃を向けてしっかりと仁王立ちしている。制服警官は三十代に差し掛かった頃だろうか。背負ったものの重さからか、歳以上に身体には苦労が染み込んでいる。しかし、目の輝きは命を賭して何かを守る者にふさわしい光を放っている。もっと早く彼が現れていれば、老婆を食べてしまうまでに私を斃すこともできたのではないか。このような若者がいるなら、この世界もまだまだ捨てたもんじゃないな、と先程の私の怒りも少しおさまってきた。

 まるで漫画のように私が老婆の血糊でこけた。そしてそのタイミングで警官は最後の一発を放ったようで、警官の腕が発砲の反動を受けるのが私の視界の端にうつった。

 腰から特殊警棒を取り出し、構える。

 私に向かってなにか言葉を三度ほど言い放ったのち、警棒を振り下ろす。

 面白いほど見事に私の鎖骨あたりを砕き、肉にめり込み、肩甲骨あたりで警棒は止まる。私の左手は既に少し神経がつながり始めていて、警官の頸動脈をしっかりと捉えている。

 猛禽類は動物に攻撃をする時に目を狙うだとか、トラは首に噛みつくだとか、野生の肉食動物も相手の弱点をしっかりと狙うということを聞いた事があるのだが、あれは本当なのだろうか。だとしたらそれは本能的なものなのか、あるいは学習を経たものなのか、どっちなのだろうか。これは動物行動学に詳しい人に一度聞いてみたい。私の左手も、そうしなければならない、と直感的に思って殆ど身に任せて動かしたら警官の頸動脈を掴んでいた。

 ちなみに、一度ちぎれた体を動かすのは、マジックハンドの操作をする感覚と結構似ていて、機敏な動作は難しいものなのだが、この反応はほとんど反射的に起こった。

 しかし警官もなかなか凄いもので、何度か修羅場をくぐってきたのか、肘を使って私の左腕の骨を折りつつ、わたしからうまく離れて距離をとった。私の左手はプラーンとなったが、指の先には削り取った警官の首の肉片の一部がついていた。

 そして、ようやく完全に自身の勝ち目がないと悟ったのか、無線連絡をしながらどこかへ去ってしまった。


 私は体に埋まった警棒を抜いて、そのあたりに放る。ドラマや映画で、鉄パイプなどを刺されたら刺されっぱなしのゾンビを見ることがあるが、あれはよくない。刺さったらすぐに抜いておくべきだ。私の体の凹んだ部分は、内側から膨らむようにポコポコと修復されていく。


 右足をひきずりひきずり、ようやく居酒屋『Y』へと着く。道中でもうひとり、背中の曲がりくねった老婆を食べたが、先程と大体同じような味だったので、説明は割愛する。

 というか、ゾンビになってまだ一度も老人以外を食べたことがないので、その点がちょっと引っかかる。若い人間のハリのある肉を食べていない。もしも田崎がゾンビになっていたら、赤ん坊から老人までとりあえず一通り食べていたことだろう。


 『Y』に入ると、おかみさんに、まず追い出された。


 「ちょっとちょっとちょっと、アンタねぇ、ここは食事するところなの、あんた体腐ってるでしょ。私ら飲食業の人間が普段どれだけ衛生管理に気をつけながら商売してるかわかってんの? 今流行りのゾンビだかリビングデッドだか知らないけどね、そうやってバイキン撒き散らされると困るのよ。ノロウィルスだの病原性大腸菌だの、やらかしちゃったら、すーぐ保健所が来て食品衛生法第五十五条がどうこうつってすぐに営業停止処分されちゃうんだからね、あんたみたいなゾンビいなくてもただでさえこっちは神経尖らしてやってるのにどういうあてつけかね!」

 などと言う。

 シャッターを下ろす時の棒の反対側に防犯用のさすまたがついており、それで私を外に押しやりながら。


 実際私のようなゾンビをどけようとしたら拳銃よりもさすまたの方が効果的であることは周知されてよい。とはいえ、頭部をやられたら私もどうなるか分からないので、百発百中の名手であるなら拳銃の方が強いかもしれないが。


 私としてもここまで来て引き下がるわけにはいかない。営業中、と書かれた札を指さしながら、怪力でさすまたを押しつつ近づくと、おかみさんは力士のような顔つきでさすまた越しに私を押し返しながら「ゾンビにゃ営業してないのよ」などと言ってくる。私はこの店の魚を食いたいだけなのに、なぜこんなに拒否されないといけないのだろうか。悔しくなってくる。お客様は神様だ、などとおこがましいことは言わない。ゾンビであるだけで入店拒否というのは差別ではないか? ゾンビは怒っていい。ゾンビは声を上げていい。これは権利を守るための戦いなのだ。生者中心の社会はおかしい。間違ったことにNOと言えないなんておかしいのだ。ただただくやしい。悲しい。いつから日本はこんな国になってしまったのだ。いつからこんなに弱者に厳しい国になってしまったのだ。民主主義とは多数決のことではない。私のような少数者の意見も汲み上げる必要があるのではないか。いつからこんな恥ずかしい、心の貧しい国になってしまったんだ。私のような弱者に寄り添う社会であってほしい。こんな国にしてしまった政治家を絶対に私は許さない。そんな政治家を選んだマジョリティーをもまた私は許さない。というわけで手始めにまずはおかみさんを食うことにした。

 ちゃんと入店するつもりだったので素直にさすまたを受けたが、おかみさんを食うなら別だ。店にいた客も私を見てほうほうのていで逃げ出し、私は軽くさすまたをあしらうと、おかみさんを食った。


 【居酒屋『Y』のおかみさん】……太ももの脂身は絶品。臀部の肉は思ったよりも固く、ビーフジャーキーに似た味。人間のレバーは思ったよりもボリュームが多くて途中でちょっと吐き気がしてしまった。胸にシリコンが入っていたのはご愛嬌。


 居酒屋『Y』の厨房を覗く。

 ひょっとこみたいな顔をした魚が俎板に乗っていた。

 これは確かカワハギだったか? 田崎の言っていた魚とはこれのことだろうか。体に気持ち悪い斑点がある。大抵こういう変な模様のやつは毒があるに決まっているのだ。しかし、生物の進化とは神秘的なもので、『危険な毒を持った生き物の姿』を真似る生き物が出現することもよくある。

 何にせよ、魚の正体はちゃんと知っておきたい。動かなくなったおかみさんの服からスマホを取り出して、おかみさんの指紋でスマホを開くと、Google Lensを起動して、調べた。ゾンビになってからというもの、動きが大ぶりになって、細かな作業がしにくくなったので、スマホの操作には一苦労した。体が意志に従わず、酔ったように動くのだ。

 このGoogle Lensというgoogle謹製のアプリは非常に面白く、AIの凄さを身近に体験できる。魚にカメラを向けて、画面をタッチすると「ソウシハギ」と出てきた。そのままWilkipediaを調べると次のようにあった。


 >内臓に致死性の猛毒を含むため、食べないよう注意喚起されている。


 これはいかんやつではないか? と思った。これはいかんやつだ。

 しかし、折角ここまでやってきたのだ。

 ここで魚を食べたくて。

 しかも私は今ゾンビだ。

 食べずにおずおずと帰ってしまうような選択肢があるだろうか?


 俎板の上で今から捌かれるのを待っていたソウシハギに向かって、覚束ない手付きで包丁を突き立てる。フグは捌くのに免許がいるらしいので、ソウシハギを捌くのも免許が必要かもしれない。苦労して検索したが、免許は必要ないらしい。安心して捌ける。しかしこれもまた難儀した。本来捌きやすい魚ではあるが、思うように腕が動かないおかげで悪戦苦闘をする羽目になった。スマホの検索よりよっぽど難易度が高い。

 諦めてそのまま食べることにした。


 猛毒の内蔵も食べてしまうことになりそうだが、この際仕方ない。背に腹は代えられない。


 【ソウシハギ】……皮はまずい。身は白身であるが特徴はない。内蔵を食べたら中毒症状に襲われた。苦く、ビリビリとする。体が死んでしまいそうになるのがたまらない。内蔵に含まれていたパリトキシンという毒によって、筋肉の一部が溶け出したようで、しばらく体が動かなくなった。その場で二日間ほど動けず、漏らした尿が赤みを帯びているのが確認できた。


 これこれ、こういうのでいいんだよ。

 毒物をガンガン食らうなんてゾンビ飯ならではじゃないか。

 ゾンビじゃなければ死んでいた。

 

 しかし不思議なことに、私が倒れてから再び体を起こせるようになるまで、誰もここにはやってこなかった。おかみさんの死体も失くなっている。


 外に出てみてようやく私はその深刻な事態に気づく。

 周りがゾンビだらけになっていたのだ。

 老婆ですらおいしくないのに、体の腐ったゾンビなぞが美味しいわけがあろうか? 

 私は絶望感に打ちひしがれたが、すぐに気を取り直す。

 まぁ「かゆうま」という言葉もある。意外とゾンビになったほうがうまいのかもしれない。腐った料理なんて世の中に腐るほどあるのだ。


 街を徘徊するゾンビたち。

 かろうじて何か意志を持っていると思わせるうめき声をあげながら、覚束ない足取りで生前の記憶に曳かれるようにしてひねもす町中を歩き回るのだ。

 その姿に憐憫の情を禁じ得ないが、よく考えたら私自身がそれの大先輩である可能性もあった。実際、私はゾンビになってからうまく喋れなくなっている。

 私が食い散らした老婆から始まってネズミ算式にゾンビが増えたのではないだろうか。


 私だけは比較的、自分の意志を持って行動できている。


 不意に、田崎のことを思い出す。

 そうだった。私と田崎が意気投合したのは、映画『ザ・ロック』であった。

 VXガスという神経ガスを搭載したミサイルを持ったテロリストの立てこもる、監獄島のアルカトラズに主人公たちが侵入して多くの人の命の危機を救うという筋立ての映画だ。

 そのVXガスの描写で盛り上がった。

 緑色の液体(VXガス)が丸いガラス球に入っているのだけれど、田崎は何度見ても緑色のゼリーみたいで美味しそうに見える。だから食ってみたい。というのだ。

 私は、あれは映画の演出だと言ったが、田崎には、そんなのわかってるけど、うまそうじゃないか。と返された。

 言われてみれば、確かにうまそうではある。

 「でもなー、あれは毒なんだよ。世の中のものは、毒さえなければなんでも食えるんだよ」と言った時の、田崎の目の輝き。

 あとは俺なー、サリンも飲んでみたいんだよ。

 と、酔った勢いでむちゃくちゃを言っていたのを思い出す。

 それもまた本心であったのだ。


 「毒物だけは食えない」

 彼のその話は私に、喉元の抜けないトゲのように、ずっと心に刺さり続けていた。田崎が食っていないのは、きっと毒の入ったものだけなのだ。


 田崎の話を思い出していたら、私は自分がなぜゾンビになっていたかも思い出してきた。


 私は新しい職場で、自身の、ある仮説の検証をこっそりと行っていた。

 数年前から、仮死薬を飲み、蘇生薬を飲んで生き返る、という事を何度も繰り返していた。自分自身をゾンビにしてしまう実験であったのだ。

 なぜゾンビになるか?

 そんなのは決まっている、田崎にこの技術を教えてやり、二人であらゆるものを食い尽くしてやるのだ。既に死んでいたら毒物なぞ怖くはない。毒物さえ攻略できれば。

 そうだ、であればソウシハギなんてのは私たちの毒喰らいの道の始まりにすぎないはずだった。

 食ってやろう。

 ヤドクガエルの刺し身も、トリカブトのケーキも。


 なのにああ、田崎は先に逝ってしまった。


 何度も仮死と蘇生を繰り返すうち、私の体は徐々に仮死薬と蘇生薬に対する耐性ができ始めた。やがて、仮死薬を飲んでも、仮死状態になりきらない、蘇生薬を飲んでも、ちゃんと生きた状態になりきらない、という、生と死の隙間を生きるようになってきた。


 私の実験が最終段階を迎える前に田崎は逝ってしまった。


 そして、数日前、(と私は記憶しているが、実際は数十日かもしれない)私はとうとう幾度目かの注射のあと、意識を失い、目を覚ました私は自分がゾンビであることを自覚した。


 ゾンビ化が感染する機序はいまのところよくわからない。


 私は、自分の体が長く保たないことには気づいている。

 いくら再生能力があろうと、いくら痛みを感じないとしても、このゾンビの肉体が保つのはそう長くない。


 私の体が動く内に、田崎の望んだVXを、サリンを、かならずこの口で食らってやろう。

 田崎、見ていてくれよ。

 俺の食らう、猛毒のグルメを。


【アルカトラズのVX】……まだ食べてないので分からない。

【上九一色のサリン】……まだ食べてないので分からない。


<おわり>

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