水を切る

シメ

切る

 今日も私の仕事が始まる。


 ピカピカの金のナイフと鞄を持って泉へと向かう。私の家から目的地までは一時間ぐらいかかる。多くの同業者は安全で行きやすい湖や川で妥協するものだが、私は決して手を抜かなかった。


 道中は決して楽なものではない。森の中の獣道を探り探り進み、直角にそびえ立つ崖を登らなければならない。しかし私は困難を乗り越えてでもあの泉で仕事を行うことを日課としてきた。


 いつものように一時間かけて泉に到着した。草木に囲まれた泉には誰もいなかった。エメラルド色に透き通った水は見ているだけで引き込まれてしまいそうなほど美しかった。


 私は金のナイフ、そして鞄から耐水加工された革袋を出し準備を始める。


 まずは泉のほとりにしゃがみこみ、両手を組んで祈りを捧げる。小声で読み上げる言葉は一族に伝わっている古い言語だった。曾祖父の代には意味合いはほとんど失われていたので、私は音だけで祈りの言葉を覚えた。「けらをいただくことをゆるたまえ」という一節がどこかにあるということだけは祈りと一緒に伝えられていた。


 濁りのない清らかな響きの言葉を唱え終わり、金のナイフを泉に写した。すると泉が風もないのにゆらりと波打った。これで準備は完了だ。


 私はナイフを右手に持ち、泉の水を切りはじめた。まずは水面にナイフを気持ち深めに刺し、しっかりと切れ目を作る。そしてその切れ目からしゃくしゃくと透き通った水を少しずつ切っていく。手元が狂うと水は粉々になってしまうので、私は細心の注意を払っている。


 表面から縦と横を切ったあとは底面だ。この工程が一番緊張する。一度ナイフを水から離し、持ち手のダイヤルを回して刃をめいいっぱい伸ばす。そして、5cmの厚みになるように切れ目の入った水を切る。ゆっくり波が立たないように。なおかつ丁寧に。


 一枚切れた。私は大きく息を吐く。切ったものは革袋にしまい、また5cmの厚みを目指して水を切っていく。


 そんな作業を繰り返し、今日の分の作業は終わった。当たり前だが切った部分の泉は四角く凹んでいる。


 最後に、はじめと同じように古い言葉で祈りを捧げる。こちらの意味は何も伝わっていないらしい。なので私はいつも感謝の気持ちを込めて音を読み上げていた。


 祈りが終わると泉は元通りになった。凹みはもう見当たらない。


 集めた水は職人たちに売られるらしい。だが私は使い道についてはあまり興味がない。


 明日も明後日も、ずっと水を切るだけだ。

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水を切る シメ @koihakoihakoi

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