第3話 廣瀬賢哉は読書に挫折する

「ただいま……ん?」


 学校で宮長と別れてすぐに帰宅した俺は、さっさと自室に上がって宮長の小説を読もう、と思っていたが、玄関に見慣れないヒールがあることに気づいた。


「まさか……」


 あいつ帰ってきてるのか? そんな俺の不吉な予感は、リビングのドアを開けた時に的中していたことがわかった。


「おーう、おかえりー賢ちゃん」


 茶色に染め上げた長い髪をソファの後方に垂れ流しながら、女とは思えないほどだらしない恰好で缶ビールを開けているやつがそこにいた。

 俺の姉、廣瀬美祢である。


「……はぁ」

「なんだぁ、そのため息はぁ。弟は弟らしく姉の晩酌に付き合いなさいよ」

「俺はまだ未成年だし、姉の晩酌に付き合うのは弟の役割じゃねえよ」

「今は私が法だから未成年でも酒飲んでいいしぃ、私が晩酌に付き合えって言ったら付き合うのは弟なのぉ」

「どこの独裁者だよ……」


 相変わらず他人の都合などなんも考えていない姉だ。大学に入学してからは一人暮らしをしているので普段は顔を合わせることも少ないが、たまにふらっと帰ってくると毎度この調子だ。

 半分泥酔状態に片足を突っ込んだ姉に絡まれていると、夕食を作っている最中の母がキッチンから出てきた。


「まあまあ、美祢も大学の授業で疲れているだろうし好きにさせてやりなさい」

「そんな風に甘やかしてるから姉さんは調子に乗るんだよ」

「東大の授業は課題が多いのぉ~」

「学歴でマウント取ってくんな」

「それなら賢ちゃんも目指せばいいじゃん」

「簡単に言うな」


 この姉は日本の最高学府に現役で入学した才媛で、当時は通っていた高校も大騒ぎだったらしい。こんなちゃらんぽらんな言動してるくせに、そういうところはしっかりしている。その能天気さも学力も俺にはないもので、正直うっとうしいうらやましい


「悪いけど、俺にもやることあるから」

「あらら、怒らせちゃったかい?」

「そんなんじゃない」

「高校生になって時間も経ったし、そろそろ勉強もしなさい。いい大学行かないと今のご時世、将来怖いんだから」

「……はいはい、母さん」


 いつも言われている母さんの言葉が、今日はなんだか、少しだけ俺を憂鬱にさせた。



 着替えもそこそこに自室のパソコンを開き、宮長からもらったURLを開いた。


『Code Compile Saga/作:Jade』


 タイトルと作者名が冒頭に出てくる。少し気になって作者名で検索したら英語で「翡翠」という意味らしい。まんまじゃねえか。

 ……俺も人のこと言えないか。


 あらすじをざっと読む。


 プログラミングが得意なこと以外は平凡な主人公、椎名すくりが、ある日正体不明の人物から送られてきたプログラムコードを受け取る。興味本位でそれを実行したすくりは意識を失い、目覚めるとそこは剣と魔法が存在する異世界だった。

 当然サバイバルスキルなんて欠片もないすくりは途方に暮れるが、たまたま出会った魔女、ファイ・ノットの詠唱からこの世界の魔法がプログラミング言語と同質の仕組みで成立していることに気づく。

 それを理解したすくりは、プログラミング知識を利用して既存の魔法常識を覆す新しい魔法を次々と生み出していく――


「ふーん」


 ざっくりしたジャンルとしてはRWで最も人気のある異世界転移ものと言っていいだろう。このジャンルは競争率が高い代わりに読者も多くいるので、人気が出る出ないは別として反応はもらいやすいはずだ。


「とりあえず、読むか」


 そうつぶやいた俺は作品世界に没頭していった――




 ――はずだった。




「10話で限界だ……」


 そこには買ったラノベがあまりにも面白くなくて、でも金を払ったからには最後まで読まなきゃいけない義務感から読み続けたがそれでも挫折してしまったような顔をした男がいた。


 そう、俺である。


 宮長の小説は面白くなかった。だが、ただ面白くなかったんじゃない。

 俺は頭を抱えながら呟く。


「あまりにももったいねえ……」


 俺の百倍綿密な設定と俺の百倍豊富な語彙力が宮長の作品からは伝わってきた。はっきり言って俺の欲しい知識量とスキルを丸々持っている。我らが私立駒西高校の誇る才媛の面目躍如といったところだと思う。だが、この小説には致命的な欠点があった。


「キャラクターに魅力が一切ない……」


 キャラクターが命ともいえるライトノベルとしてはあまりにも重たい欠点だった。


 なにが悪いかと言えば簡単で、登場人物すべてが合理的なところだ。より正確に言えば、動かないのだ。彼ら彼女らの心情は一切描写されず、常に行動しか取らない。


 たまに取ってつけたように非合理的な行動を取る場面もある。作戦を無視して一般人を救おうとする主人公や敵に慈悲をかけるヒロイン。だがそれは、そうすることが作中で物語を進行させるのに都合がいいからそうなっているだけで、作品進行にとって行動という域を出ていない。


 そうして繰り出される物語はある種予定調和の極みと言える。だから途中で先の展開がだいたい予想できたし、実際その予想通りに物語は進んだ。

 限度はあるが、読者、そして作家自身を裏切れないキャラクターたちが演じる先の見えた小説なんて、ただの論文だ。エンタメの欠片もない。


 そしてこの欠点は、から浮き出てきた副産物に過ぎない。


「なんてこった……」


 宮長への執筆指導は考えていたより遥かに大変なものになりそうだ、なんて考えたところで俺は首を傾げた。


「……なんで指導する気になってんだ? 俺」


 どう考えても適当に感想言って終わりにするのが一番楽で、それ以上に親身になったところで俺には何の得もないはずだ。それどころか「お前に創作は向いてない」と突き放したっていい。それなの指導する時の困難さについて考えてしまうのは指導する気になっている気持ちが俺のどこかにあるだということで。


「あー、もうとりあえず一旦やめだ。俺にだって他にやることあるんだ」


 かぶりを振って「CCS」のページを閉じようとする。が、少し思い直してスクロールし、お気に入りボタンを押した。これが初めてのお気に入りかと思うと、宮長はどんなリアクションをするんだろうかと想像し、少し苦笑した。たぶん無表情のまま喜ぶんだろうな。いや、俺が登録したことはわかるだろうから微妙に喜びきれないか。


 そんなことを考えながらマイページに飛び、日課のコメント返しを行う。伸びなかった頃は読者に離れないでいてもらうためにやっていたことだったが、伸びた今でもコメントは嬉しい。肯定的なものはもちろん、俺は一部否定的なコメントでも割と喜んで読む。それは自分にはない視点や知識を知ることは大事なことだ、っていうのが俺の指針だからだ。

 かといって明らかなアンチコメントは反応してもレスバになるだけだからやらないけど。これインターネットエチケットね。


 だいたいのコメントに返信し終わった後、なんとはなしに昔のコメントまで大きくスクロールする。昔の方が返信の文字量が明らかに多くて一つ一つのコメントへの喜怒哀楽が感じられるなあと苦笑しながら眺めていたが、スクロール中に何か気になるコメントが見えたような気がして立ち止まった。


「……ん?」


 何に気になったのかわからないような些細な違和感で、遡って眺めていても自分が気になったコメントは見つからなかった。おかしいな、と首をひねるが見つからないものは見つからないので、諦めてページを閉じる。


 そして新しく開いたのは書籍化の打診についてのメッセージだ。受けるにしろ断るにしろそろそろ返信しないとまずい。


 返信フォームを開いたまま画面とにらめっこするが、数日考えても出なかった答えがこの数分で出るわけもなく。

 結局決められなかった俺はとりあえず、今週の土曜日に会いたいという旨の返信メッセージを送ることにした。

 書籍化を受けるにしろ断るにしろ、編集者に会うだけなら親に黙っていても大丈夫だろう。

 ……これって決断を先延ばしにしてるだけだよなあ。


 自分の優柔不断さに呆れながらメッセージを送信した後、パソコンを閉じた。気づいたら19時を回っていて、もう外は真っ暗だ。


「……はぁ」


 今日何度目かわからないため息をつきながらベッドに倒れ込む。やわらかい枕が衝撃を吸収してくれるが、どんなに高級なベッドも不安感までは吸い取ってはくれない。……いや実は大半のストレスは睡眠で解消できるみたいな話もあるみたいだがそういう話ではなく。


 ポロン♪


 そんなとりとめもないことを考えていたらスマホの通知音が鳴った。俺はベッドの上を尺取虫のように這ってスマホまでたどり着く。

 送り主は案の定といっていいか、宮長だった。



『私の小説にお気に入りが付きました!』


 ウッキウキじゃねえか。登録者が俺だなんて想像すらしてなさそうだ。ここで真実を伝えてへこませるのは心が痛むけど、後々バレる可能性を考えると伝えたほうが誠実だよなあ。


『あー、喜んでるところ悪いけど、その登録者は俺だ』


 そのコメントを送ってから3分、なんの返信も返ってこず、ライン上にもかかわらず空気が凍ったような感覚を覚えた。やり方ミスったか? でもぬか喜びさせるのもなあ……。

 そんな風に頭を抱えていると、やっと宮長から返信が届いた。


『ありがとうございます』


 たった十文字の定型文にもかかわらず、その裏からいろいろなことが感じられた。主にネガティヴ方向の。


『それで、どうでした?』


『あー、まだ10話までしか読んでないんだ。そこまで読んだ限りで言えば……設定と語彙力は凄いと思うよ』


『ありがとうございます。他には何かありますか』


『その辺は全部読んでからにするわ』


『わかりました。お願いします』


 あ、そうだ。あいつにもこの小説読ませてもいいか聞いてみるか。異世界転移モノだったら俺よりよっぽど豊富な知識があるはずだ。


『なあ、俺の知り合いにもお前の小説読ませてもいいか?』


『大丈夫ですけど……高校の方ですか?』


『いや、RWで知り合った作家。ネット上の付き合いしかないけど、賢い奴だから参考になると思う。作品ページあとで送っとく』


『わかりました。ところで作家同士が交流するってよくあるんでしょうか』


『まあ人によってはな。俺はあんまネット上のコミュニケーション得意じゃないからそいつ以外いないけど』


『ひとりだけでも十分コミュニケーション上手だと思いますよ』


『そりゃどーも』


 ここでラインのやり取りは終わった。やはり文章ベースでのやり取りはいいな、「設定と語彙力は凄い」という文のアクセントがどこにあるかを隠してくれる。実際のアクセントは当然、「は」だ。

 なんだかんだラインになったら宮長も絵文字とか使うんだろうか、なんて考えていたがそんなことはなく、ラインの文面も最初のメッセージ以外は本人の鉄面皮同様無機質なものだった。

 でも別に感情が希薄ってわけじゃなさそうなんだよなあ、なんとなく喜怒哀楽は読み取れるし。どちらかというと無理して抑えているって方がしっくりくる。

 その理由は皆目見当がつかないけれど。


「あ、そうだ。一応連絡しとくか」


 宮長に言った手前、アイツに連絡しないと。俺はチャットツールのDM機能で唯一登録されたフレンドにメッセージを飛ばす。

 

『今日 22時 通話』

『りょ』


「返信はえーなあいつ」


 超適当なメッセージに即レスしてきたアイツに感心していると、階下から呼び声が聞こえてきた。


「賢哉、ご飯できたわよ~」

「今行く!」


 リビングから聞こえる母さんからの声に、思考が中断される。今日はいろいろなことを考えさせられて疲れたし、飯を食ったらゆっくり風呂に入って、その後ちょっとアイツと通話してすぐ寝よう。そんなことを考えながらリビングに向かった。


 結局姉さんの晩酌に付き合わされて風呂に入る時間がなくなるとはこの時は露知らず。



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宮長翡翠は小説が書けない 立日月 @tatihituki

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