第2話 宮長翡翠は小説を読んでほしい

「は?」


 あまりにも理解の範疇を超えたその発言に、そんな音が思わず口から漏れてしまった。

 あの宮長が小説? 本好きなことを考えればおかしくないのかもしれないが、それでも俺には何か質の悪い冗談にしか聞こえなかった。

 だが目線を少し下に向けると、宮長の光を吸い込むような真っ黒な瞳が真剣にこちらを見据えているのが見えた。


「……いろいろ聞きたいことはあるんだが、まず宮長は小説を書いているのか?」

「はい、最近書き始めたばかりですが」

「意外だ……」


 俺自身の偏見だが、勉強ができる女子は勉強に全力で他のことはなりふり構わないものだと勝手に思っていた。特に宮長翡翠は朝から晩まで勉強しているんだろうな、と思うくらいには進学校であるこの高校の中でも成績がずば抜けていた。どういう心持ちで執筆活動なんていう時間を食うことを始めたのか、疑問をぶつけてみる。


「ちなみになんで小説を書き始めたか聞いてもいいか?」

「えっと、RWルーはご存知ですか?」

「ああ、もちろん」


 RWルーとはReading and Writingという国内最大手の小説投稿サイトの略称だ。一般にWeb小説と言ったらRW発のものがほとんどだし、俺自身ももちろんRWに投稿している。


「中学生の頃、RWで小説を読んでいたときにとても素敵な作品を作る作家さんを見つけて……それでいつしか私もあんな風に物語が書けたらいいなって思ったんです」

「なるほどな」


 よくある理由だが、宮長の無機質ながらとても真剣な表情から本当に素晴らしいと思っているんだろうなということは感じられた。

 良くも悪くも玉石混淆なRWでここまで言わせる作品はそう多くないし、俺も知ってる作品だろうか。


「その作品の名前とか教えてもらってもいいか? そんなに面白いなら読んでみたい」

「それは……ちょっと秘密にさせてください」

「えっ? なんで?」


 まさか断られるとは思ってなかった。小説読みなんていうのはだいたいオタクの集まりで、オタクというのは好きな作品を布教したがるものだ。そうでなくとも好きな作品を聞かれて隠すやつなんかあまり見ない。


「……本当に好きな作品は自分の内で大事にしたいみたいなところありませんか?」

「わからなくもないけどそれ作家本人が聞いたら激怒すると思うぞ」 


 RW作家なんて伸びてなんぼだからな。本気で好きなサイレントファンより拡散してくれるにわかファンの方がよっぽどありがたい。


「あと恥ずかしいので」

「そんな無表情でそんなこと言われても説得力に欠けるが。それに知り合いに自分の小説を見せる方がよっぽど恥ずかしいと思うぞ」


 RWで投稿する人が多くいるのは匿名のまま不特定多数の人に見てもらえるというのが大きい。こういうサイトが生まれる前に小説を書いていたアマチュア物書きは全員「知り合いに自作の小説を見せても羞恥心で死なない」というメンタルが必須だったんじゃないだろうか。


「そう言ってくれるってことは私の小説を見てくださるっていう意味で受け取ってもいいんですか?」

「あー、正直俺如きに他人の小説を指導できるとは思えないんだが」

「ただ私の小説を読んで、感想を言っていただくだけでも大丈夫なので」

「それぐらいなら俺でもできるだろうが……それこそRWでもらう感想の方が良くも悪くも本音で言ってくれると思うぞ」


 執筆指導厨とかアンチとかが湧いたりもするが、基本的にRWの感想欄は作品に対して真摯にコメントしてくれる。リアルの知り合いは気を使う分、そちらの方がよっぽどストレートな意見をもらえるはずだ。


「……0なんですよ」

「え?」

「今までもらった感想は0件なんです。お気に入りも0件です」


 無表情だった宮長の顔に若干表情が表れた気がする。主に目が死んだ影響だが。


「ま、まあ連載初期だったらそういうこともあるだろ」

「もう30話は投稿してます」

「マジか……」


 感想0件の小説は正直ざらにあるが、30話投稿してお気に入りが一件もついてないのはなかなか堪える。誰にも見てもらえてないということで、当然モチベーションも保たないだろう。


「……わかった。とりあえず読んで感想を伝えるところまではやるよ。誰からも反応をもらえない辛さは俺もわかるし」

「そうなんですか?」

「そりゃ投稿したての頃から爆伸びする奴なんて、一部の天才だけだしな。俺も全然感想もらえなくてへこんだことなんて何度もあるから、俺が読んでそれでモチベになるなら読んでやるよ」

「ありがとう……ございますっ」


 無表情なまま、少し嬉しそうに礼を言ってきた。……この鉄面皮から微妙に感情を読み取るのちょっと面白いな。


「とりあえずライン交換するか」

「わかりました」

「RWのURL送ってくれたら読んどくから」


 そう言いながらスマホでライン交換を済ませると、一瞬でURLが貼り付けられる。少し驚くが、作品投稿したてのRW作家は、お気に入りが付いているか常に気になって作品ページを見返しがちだ。少なくとも俺もそうだった。才色兼備な宮長翡翠にも自分と同じような一面があると思うと少しおかしかった。


「感想はラインで送る感じでいいか?」

「……いえ、対面で言葉にしてくれませんか?」

「え? でも文章の方が見返したりもできる分その方がいいだろ」

「でしたら文面での感想もお願いします」


 思いの外、図々しい奴だった。普段、他人には興味ありません、期待もしてません、みたいな態度をしておいて案外わがままな奴なのかもしれない。


「……まあいいや、わかったよ。読み終わったら連絡する」

「お願いします」


 ふと時計を見たら下校時刻が迫っていた。思っていたよりも話し込んでいたらしい。ルーズリーフを取りに来ただけだったのに妙なことになってしまった。


「そろそろ帰らないとな。俺は荷物を図書室に置きっぱなしだからそれ取って帰るわ。先に帰っててくれ」

「わかりました。連絡お待ちしてます」

「そういえば、なんで敬語なんだ? 俺たち同級生だろ」


 ですます調を超えて過剰なまでの敬語が気になってしまった。同級生どころか先輩にだってここまで敬語を使う奴はそういない。

 それを尋ねると、宮長は少し目を伏せて黙り込んだ。


「……あまり、言いたくないです」

「気に障ることを聞いたなら、謝る」

「そうしていただければ助かります」


 こうして隠されると気になってしまうのが人間のさがだが、今日までほとんど会話したことのないような相手に根掘り葉掘り聞くのも不躾けだ。

 とりあえず今日はさっさと帰ろうと思い、教室を後にしようとしたが宮長から再度声がかかった。


「あ、廣瀬さん。廣瀬さんのRWでのペンネーム教えてもらってもいいですか?」

「……悪い。あんま学校の知り合いには知られたくないんだ」


 宮長が言いふらすとも思っていないが、やはり人に、それも知り合いに自分の小説を見られるのは恥ずかしい。「隠居勇者」はなまじ伸びている分、それを知られて見られる目が変わるのもあまり気持ちよくない。


「そう……ですか。失礼しました」

「まあ気が向いたら教えるから、その時まで待っててくれ」

「はい」


 俺はその返事を聞き、もう太陽が沈みかけて薄暗くなってきた教室を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る