第1話 廣瀬賢哉は歴史の授業が好き

 歴史の授業が好きだ。

 それは別に歴史が好きとか先生が面白いとかでは全然なくて、ただ単に妄想にふけるのに都合のいい授業だから。

 先生は60歳近い人で滅多に生徒を当てないし、そういう対象は6月の気持ちいい風を浴びながら机に突っ伏してグースカ寝てる奴らだ。

 授業を聞いていないのは俺も同じだけれど、当たり前のことだが妄想を膨らませている間は眠りに落ちてはないので、いままでこの先生から当てられたことはない。


 眠気を誘うことに特化した声を右から左に聞き流しながら、俺は取り出した一枚のルーズリーフに授業とはまるで関係ないことをつらつらと書いていた。

 内容はというと、今書いている小説のアイデアだ。小説とは言っても純文学みたいな高尚なものではなく、いわゆるライトノベル的なもの。

 それを趣味として小説投稿サイトで連載してる。一作目と二作目は鳴かず飛ばずだったが、今連載している三作目は大ヒットとは言わないまでも日間ランキングや週間ランキングの上位に顔を出すほどの伸びを見せていて、俺自身もモチベーションを高く保てている。


 作品の中身は魔王を封印した際に全ての力を失った勇者が、国にもらった小さな領地を繁栄させていくといったファンタジー領主モノ。次の展開として他国のお姫様を登場させる予定なのだが、そのキャラクターの設定がなかなか定まらず、今ルーズリーフにアイデアを書き出している。


「勝ち気なキャラなら話の展開は進めやすいけど、キャラ自身の魅力を引き出せるかは微妙だな……」


 大体授業中はこんな感じで妄想の世界に浸かってプロットやキャラ設定を考えていく。半分くらいは没になるけれど。

 と、そこまで考えたところで授業が終わるチャイムが鳴った。ふっと現実に引き戻され、今が今日最後の授業だったことに気づく。

 あまり進捗が無かったことに心の中で舌打ちをするものの、諦めて帰り支度を始めた。


 放課後、もう少しプロットを煮詰めたいなと思い、図書室に向かう。他に考えたいこともあったから。

 座席について新しいルーズリーフとシャーペンを机の上に広げつつ、スマホを立ち上げて小説投稿サイトのマイページに飛んだ。そこにある一通の既読メッセージを開く。


【書籍化の打診についてご連絡させていただきました】

『ワイド・ワイズ様


 こちら山並出版編集の川嶋という者です。


 ワイド・ワイズ様が連載されている「隠居した勇者が領主となって名君主を目指す!?」について大変面白い作品だと感じまして、是非弊社から出版させていただきたいと思いご連絡差し上げました。


 詳細はお会いした際にお話しできればと考えておりますので、以下に記載した連絡先までお願いいたします。ご連絡お待ちしております。』


「……はぁ」


 腹の奥底からのため息が漏れる。当然、このメッセージは俺宛てのもので、ワイド・ワイズとは俺の本名、廣瀬賢哉を英語にした安直なペンネームだ。

 本来、書籍化の打診なんて飛び上がって喜ぶべきもののはずだし、実際俺もメッセージを受け取った瞬間はベッドの上で飛び跳ねたが、時間が経つにつれて冷静になってくると様々な不安要素が頭に浮かんできてしまった。


 まず俺自身が高校一年生であること。今までバイトすらしたことないガキがいきなり金銭が発生するような仕事の責任を取れるのだろうかという不安。


 二つ目が親。おそらく未成年である自分が今回の書籍化を受ける場合は親の承諾が必須だ。だが小説を書いてることなんて一言も言ったことないし、あの堅物な母が許可を出してくれるかどうかは怪しい。


 そして三つ目。これは不安とは少し違うが……俺は今連載してる小説があまり好きじゃない。

 俺の一作目と二作目はボーイミーツガールの冒険活劇で、まさに書きたいジャンルそのものだったけれど、まあ伸びなかった。

 カッコつけて長文タイトルも付けなかったし、ハーレムでもないし、中身も今見返すと地味すぎる。

 けれど書きたいモノではあった。


 三作目は試しに伸びる要素を取り入れてみて、ダメだったらすぐに終わらせようと思っていた。どうせ伸びないだろと心のどこかで思っていた。

 そんな俺の予想に反して、「隠居勇者」は大きく伸びた。

 お気に入りが伸び、感想も増え、PVも見たことない数字になった。

 それに気を良くした俺はモチベーションも上がり、投稿頻度も上がった。

 それだけ聞けばいいスパイラルかもしれないが、ある時俺はふっと我に返ってしまった。


 なんか、違うな、と。


 詰まるところ、才能がないのだ。好きなジャンルを面白く書くスキルもないし、興味が薄いジャンルを自分を騙し切って書き続けることもできない。

 それでも伸びた「隠居勇者」をさっさと終わらせるほど思い切りも良くない俺は、ダラダラと連載を続けている。


「……はぁ」


 だからこのため息は、要するに俺の自信のなさが表に出てるのだ。書籍化されるべき作家は他にいるんじゃないかという無意味な不安。その不安がさらに自信喪失に繋がり、不安が増大するというなんとも馬鹿げたサイクルに陥っている。俺のメンタルは豆腐どころか泥団子並みらしい。


「……あっ」


 と、そこで俺は今日授業中に設定をメモっていたルーズリーフを机の上に置き忘れたことに気づいた。

 まあ見られても「隠居勇者」を読んでる人じゃないと単なる妄想の羅列だし、多少恥ずかしい思いをするだけだろうが、わざわざもう一度書き起こすのも面倒なので取りに行こう。そう思った俺は図書室を出て自分の教室に向かった。


「……誰だ?」


 教室に入って最初に目に入ったのは、窓から差し込む強い夕日を浴びながら黙々と俺のルーズリーフを手に取って読んでいる一人の女子だった。

 夕日の影になっていて顔は見えないが、ツーサイドアップの黒髪とピシッとした立ち姿を見て誰かは判別がついた。


「あの……宮長?」

「……!」


 真剣な表情で俺のルーズリーフを読んでいた女子、宮長翡翠は俺の呼びかけに驚いたのか肩を震わせてこちらに振り向いた。


「別に減るもんじゃないから見られても気にしないけどさ、他人のルーズリーフを勝手に見るのはマナー悪いと思うぞ?」

「……ごめんなさい。少し、気になったんです」

「まあいいよ、それ一応使うから返してくれ」

「あっ……はい」


 宮長からルーズリーフを受け取ると、俺はそのまま踵を返して廊下に向かって歩き出した。

 宮長翡翠は文理問わず全科目で一位を取っている秀才で、そんな彼女が俺の拙い設定の殴り書きに興味があるとは到底思えないからまあ気まぐれだったんだろう。

 そう思いながら教室から出ようとした時。


「廣瀬さん、ちょっと待ってください」


 少し緊張したような声色の宮長に、そう声をかけられた。


「ん? まだなにか用事ある?」


 彼女に呼び止められる理由は皆目見当がつかない。そもそも宮長はあまり交友関係を持たないようだから俺以外でもそうだろう。彼女が自分から他人に声をかけたところは見たことがない。


「廣瀬さんって小説を書いてるんですか?」


 だからまさかこんなことを聞かれるとは全く想定していなかった。


「……まあね、このルーズリーフ見たらわかると思うが、そんな凄いものじゃないけど」

「小説に凄いも凄くないもないと思いますけど」

「そう? 宮長は真面目そうだからライトノベルとかあんまり好きじゃなさそうに見えてた」

「私は自分のことを真面目だとは思ってないですけど、仮にそうだとしてもだからといってライトノベルを読まないとは限らないですよ」

「まあそれはそうだな。宮長の言う通りだ」


 正直、宮長がこんなに喋っている姿を見るのは初めてだ。学校ではほとんど授業中と事務連絡でしか口を開かないから俺以外の奴らもそうだと思う。こんなたわいない雑談だったら尚更だ。


「ところで、なんで俺が小説書いてるかどうかなんて聞いてきたんだ?」


 いつもの宮長の様子と明らかに違うのは、やはりそこに理由があるんだろう。人に無関心なように見える彼女がわざわざ俺なんかに声をかけるってことは。


「えっと……それは……」


 宮長は相当歯切れが悪く、どう切り出そうか悩んでいるように見えたが、少し躊躇った後、意を決したように口を開き。


「廣瀬さん、私に小説の書き方を教えてほしいんです」


 宮長翡翠からは到底飛び出てこないような言葉を口にした。

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