導くは双頭の蛇
濱口 佳和
導くは双頭の蛇
太古の墓所は、双頭の蛇を刻んだ巨石に護られていた。
岩盤掘削用のドリルさえ歯が立たない。その堅牢さに、私は軽く舌打ちした。この星唯一の遺物かもしれない。聳え立つ岸壁の下に穿たれた、人工的な丸い岩窟の奥だ。入り口から、ゆうに百メートルはある。
『舌打ちなんて、行儀悪い』
聞きつけた妻が、
「これが唯一の遺跡かもしれないんだぞ」
『そうね。でも見てよ、この装飾。蛇としか思えない。双頭の蛇ね。かつて、ここにはそんな神話があったのかしら』
砂に覆われたこの惑星は、今回のプロジェクトの目的地、
『この先、なにがあるのかしら』
妻は、いく手を塞ぐ石の滑らかな表面を、ライトでぐるりとなぞった。
天井まで隙間なく埋まっている。厚みはどうやらその半分程度だ。スキャナーの画像から、奥に通路が続いているのがわかるが、手持ちのドリルでは歯が立たず、水晶のように滑らかな表面は、傷ひとつ付かなかった。半透明の表層の奥には黒光りする核。そして、中央部にふたつの頭を持つ、長いいきものが彫られている。双頭の蛇。丸い輪を描いて、ふたつの口がひとつの尾を喰らおうとしていた。
「明日、重機を持ってこよう」
『ここに入るか微妙ね。それよりも、そろそろ日も暮れるし、戻った方がよさそう』
ε-2は、死の星だ。砂と乾いた薄い空気は、雲ひとつない満天の星空となる。そのせいで、夜間の気温はマイナス五十度。おそろしく静かだった。
「でも、
宇宙微生物学が専門の妻は、そう言っていつも笑う。もともとは駆動システムが専門だった
「なあ、こっちを向けよ。もう砂遊びはいいだろう」
「ケン、わがまま言わないの」
かまってほしいだけだと知っている妻は、立ち上がって
『文化調査隊が着いたら、どっちにしろ開けることになるだろうから、明日、手持ちの機材でやってみましょう』
心のなかなかでつぶやいたのに、妻には聞こえたらしい。
尊大な仕草で頷くと、撤収の用意に入った。
その晩、調査隊の
「見てよ、ケン。あの岩盤の組成、あり得ない」
「あり得ないって?」
「生きてるの」
私は、何らかの比喩かと思った。
「そうじゃなくて、見てよ、これ」
透過スキャナーの性能は、百パーセント正確とは言い難い。特に、非接触型スキャニングから導き出される答えは、推論の域を出ないこともある。我々のような外宇宙を探査する場合、解析の元となる基本データは全て仮のものであるからなおさらだ。
妻が見ているのは、その推論データだった。地球をベースに、比較値から予測する。私と妻の調査結果も入力済みだ。
「生きているってどういう意味だい」
私はコーヒーを置いて、妻の手許を覗き込んだ。
脈動している──そう思った。
撮影した映像ではない。データから構築された三次元映像だ。このε-2に降りて以来、私と妻が収集したデータと、あの黒い石のデータと、あらゆるデータからの
「もう一度確認してみる」
妻は、怒ったように携帯端末を閉じると、私の首に腕を回した。
「それより、あと二日でみんなが降りてくる。二人っきりでいられるのも、あと二日。ねえ、だとしたらどうしたい?」
「そうだなあ」
私は妻の情熱を焦らすように、頬に軽く、挨拶のように触れた。妻は私の手を引く。
「さ、あっちへ行きましょう。明後日の今頃は、人で溢れかえってそれどころじゃないんだから」
「
「ばか」
大気を詰めた簡易ベットが、二人の重さで沈み込んだ。
その夜、夢を見た。
声にならないざわめきだ。私はゆめうつつに警戒しながら、やるべきことをシュミレーションしている。時計はまだ、真夜中を指していた。
ふと、気づく。指先ひとつ動かせない。傍らの妻を見ると、白い肩を毛布から出して静かな寝息をたてていた。
その時だ。
──……が、……る。
どこからともなく。それが聴こえてきた。
──……が……だ。
身動きすらできない。私の背後で止まる。寝返ろうとして首筋を掴まれた。冷たい汗が吹き出す。
──み……が、……る……!
声は、頭蓋骨の中で反響する。
聞いてはいけない。見てはいけない。
理性以外の何が警告する。
これは夢だ。夢の中だ。
声は次第に、明瞭に、大音量となっていく。耳を塞ぐことすらできない。
(やめてくれ……!)
──双……が、……る。
(やめてくれ!!)
静寂が訪れた。私ほっとして目を閉じた。
と。
──王よ、双頭の王よ!
祈りの声だ。沙漠に響く
──王よ。
──王が。
──王が、帰還する。
──見よ、双頭の王が帰還する……。
気がつくと、燦々と朝陽が降り注ぐベッドで、わたしは安らかな寝息を立てる妻の顔を眺めていた。
地球を貪り尽くした我々は、今世紀になってようやくワームホール航法を現実のものとした。以来、蛸の足のように無闇に行動範囲を伸ばしてきた。
太陽系と似た恒星系は、多数存在した。ひとつの発見は確信となり、人類は偉大かつ無謀な探査の旅に勤しんだ。「知りたがり屋」は、いつの時代も尽きないものだ。
しかし、「異星人」に出会うことはなかった。どこまで行っても広大な海原と、微生物しかいない。かつて存在した痕跡はあるものの知性あるいきものは死に絶え、もしくは移動したのか、無人の静寂ばかりが続いていた。
私たち夫婦は、
それは、些細な事故から始まった。
到着は、予定より二週間遅れることになった。
私たちは、嬉々として例の岩窟へ出かけた。バギー・カーへ積めるだけ積み、運び込む。
『ケン、これ、前にあった?』
妻は、通路を塞ぐ巨石の下部をライトで照らしていた。私はかがみ込んで、妻の指すあたりを覗き込む。
「なんだい、これ」
同じように、線で掘られた図案だった。正面にあるのが蛇だとしたら、同じような長いいきものだが、足らしきものがついている。爬虫類というよりは、
『ムカデかしら』
地から這いでるように上半身(おそらく)が描かれ、二股の突起が頭部から突き出している。顎らしきもの、目らしい凹凸もあった。
『頭は二つ』
「そうだね。きっと意味があったんだろう」
『この前、あったかしら』
あったか、なかったか。
私たちは、黒い巨石を丹念に記録した。それから運び込んだ重機と
私は夢中になった。どうしてもあの巨石を動かしたい。動かしてその先を見たい。
『いっそのこと、爆破する?』
私の焦りを見て、妻は明るく言い放った。
「さすがにそれはまずいだろう。文調が降りてきたとき、何て言うんだ。それにこの間、きみも言っていたろう。この石は生きているんじゃないかって。万が一、生命体だとしたら大発見だぞ。それこそ
妻のため息が聞こえた。
『あれは間違い』
「間違い?」
『さっき計測した数値を再入力したの。無機化合物。この星の微生物と比較しても、有機物ではありえない』
確信がある時の妻の口癖だ。
「そうなのかい」
『ええ』
私は、どこかほっとしていた。
悪夢を見たのも、おそらく妻の話に触発されたのだろう。この砂の星に生物は存在しない。ただ、ただ、荒漠な静寂があるばかりだ。
二週間が終わる前日、
濾過システムのトラブルで、一旦、第三惑星へ降下するという。多少二酸化炭素が濃い大気だが、短期間の滞在であれば問題ないらしい。文化調査隊は無事帰艦したと聞き胸を撫で下ろしたが、一方で、漠然とした不安がこみ上げてきた。
期間は、簡易
「退屈だけが心配ね」
妻は、私のこころを読むように笑う。目には、やはり不安が見える。私は努めて明るく言った。
「あの岩と取っ組み合っていれば大丈夫さ。きみだって、この星で調べたいことはもっとあるだろう? 砂遊びにもう文句は言わないから、自由にやってくれ。ただし、迷子にはなるなよ」
「本当に文句いわない?」
「言わないさ」
妻は自分の研究へ戻った。最初は一人で行動することをためらっていたが、一週間もしないうちにバギーを駆って、かなり遠くまででかけるようになった。戻ってきた時の表情を見れば、どれほどの成果があったのかがわかる。
私は、例の岩窟に入り浸った。工学屋の血が騒ぐのか、なんとしても動かして(もちろん爆破などせず)、この目で岩窟の構造を確かめたかった。
それに気づいたのは、接合部の壁面をもう一度丹念にたどっていた時だ。向かって右側の、巨石からは五メートルほど離れたあたりだ。
やはり線画だ。四つ足の、たとえるならアリクイだろうか。細長い身体にふたつの首。それを岩窟の奥へ向けて、驚いたように口を開けている。双頭の一方が天を仰ぎ、もう一方は地にうなだれている。
私は手を止め、思いに耽る。
かつて、この岩窟を作った種は、どんな理由から双頭にこだわったのだろう。
(それとも)
ふっと、隙間に入り込んできた。
それとも、これが常態の生態系であったのだろうか。
もしそうなら、どんな必然性があって、この星は一つのからだに双つの頭を付けたのか。そして、彼らはどこへ行ったのか。
私は丹念に壁をたどった。床を掃いた。すると、ひとつ、またひとつと
「宗教的なものじゃない?」
妻は私の発見を聞くと、眉をしかめた。興奮してしゃべり過ぎたと思い、苦笑いする。
「ほら、地球にも双頭の鷲があるし、ケンの地元にも、八つの頭の
今日の
「この星で、相反するものって、たとえばどんなことだろう」
「そうねえ」
妻は口一杯に頬張って、嬉しそうに目を細める。
「美味しい!」
その笑顔があまりに可愛くて、私は指を伸ばして、口の端についたトマトを拭った。
「単純だけど、昼と夜とか。闇と光とか」
うーん、と首を傾げる。
「文調が降りてくれば、何かわかるんじゃないかしら。他の星にヒントがあるかも」
そうだね、と最後の一切れを取ると、妻がじっと見ている。
「食べる?」
「ありがとう!
調査に夢中になっている背中を思う。嫉妬はもう、感じなかった。
「呪われた航海」──本で読んだそんな言葉が浮かんだ。
工廠に入った
私たちはここ数日、何も映らない通信用のパネルを前に押し黙った。
「物資を、少し節約した方がよさそうね」
「ああ」
確か、
夕食を終えた妻は、最後の一切れのお礼だと言って、後片付けを引き受けてくれた。私はコーヒーを入れて、いつものようにブランデーをたらす。妻のカップへも注ごうとして、押し留められた。
「入れないのかい?」
「しばらく、ね」
「しばらく?」
「うん」
妻は、困ったように微笑んでいる。私はあり得ないことに思い至り、どう声を出そうか口を開け、閉じた。
「まさか」
間抜けな第一声だ。妻はほっとしたように抱きついてきた。
「そのまさかなの。あり得なさ過ぎて」
どうしよう、と言って私の腰に手を回す。
探査隊に避妊薬は必須だ。船医の厳格な管理のもと、定期的に男も女も服用が義務付けられている。人工子宮は完備しているものの、やはり危険をおかすべきではない。
第二惑星へ降下してからも、二人で定期な服用を守ってきた。
「どうしよう」
希望よりも、リスクばかりが頭をめぐる。
「どうしたい?」
目を覗くと、妻はすでに決めていた。
その夜、夢を見た。
私は、医療モニターの前に立ち尽くしている。
目の前に妻が横たわり、異様に膨れ上がった腹部をシーツで覆っていた。青白い顔。しかし、恍惚と幸福そうだ。
医療システムの無機質な声が響く。
私はモニターに浮かぶ、双つの影から目を離せない。
羊水に胎児が揺蕩う。
ふたつの脳波、ひとつの心音。
暗闇で岩が動いた。脈動する。顕わになった洞窟の奥から光を求め、這い出でくる。
双頭の王が帰還する。
(了)
導くは双頭の蛇 濱口 佳和 @hamakawa
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