第5話 暁
夜が明けるにはまだ少しだけ早い頃。
決戦に向けて、夜を通して粛々と準備を整え、その時を待つヒースたちの元へ、
「申し上げます、敵の陣に動きがありました」
「して、いかに」
「進路をユニガンへ向ける模様」
待っていたとばかりにヒースは立ち上がると、机上の駒を動かし始めた。
西部のセレナ海岸の駒をユニガンへ向け、海側の駒をリンデを取り囲むように展開する。
「これで西の敵の目は、しばらくユニガンへしか向かない」
「時は来た」
ヒースの黙想が解かれた。
これより、フレデリック隊とアルドたちを除くすべての騎士は、夜陰に乗じて敵の脇腹を目指し出撃する。
「こちらが敵をリンデに引き入れたら、頃合いを見て合図を送る。司令はそれを見て敵を突き崩してくれ」
「ああ……勝負だ」
そう言うと、ヒースは立ち上がる。腰の短剣を引き抜き、セレナ海岸の中心へと突き立てた。
「死ぬなよ、フレデリック」
司令室を後にするヒースはすれ違い様、フレデリックに呟いた。
「アンタこそ死ぬなよ、ヒース司令」
去っていくヒースの背中に、フレデリックは語りかけた。
「この戦いに勝って、リンデの海でも眺めながら釣り糸を垂らすんだろう?」
背中合わせで顔は見えなかった。それでも、互いにどのような心境だったかは手に取るようにわかっていた。
ヒースのいなくなった司令室には、フレデリック隊のおもだった指揮官たちと、アルドたちが残される。
フレデリックたちは、広げられていたリンデの地図を中心に集まった。
「では、最終確認だ。セレナ海岸で動きがあったということは、朝日が昇り切る前に攻めてくる可能性が高い。そこが狙い目だ。
こちらはあえて外の防衛線をとき、周辺の家屋へ潜伏。敵が路地へ誘い込み、隊列が伸びきったところで、斬り込む」
数で大小で勝敗が決まる戦において、小勢が有利に立ち回れる数少ない戦法だ。
各々が静かに、しかし力強く頷き、フレデリックに命を預けた。号令もなく隊列が左右に分かれて、その道をフレデリックは進み、あの後をアルドたちや騎士らが続いた。
その堂々たる様は、『死兵』などという言葉で表現するのは誤りがあるだろう。
「敵は
フレデリックたちが配置に付き終わった頃、ちょうど夜が
しかし、それも僅かな静寂に過ぎなかった。
はじめにソレを聞いたのは、偵察に出ていた斥候だった。
土を踏む音が、金属と布が擦れる音が近付いてくる。やがてそれらは殺意を込めた怒号と混じり合い、舐めるように地を這いながらこちらへと向かってきていた。
「くるぞ」
騎士たちは、泥に沈み込むように深く、更に息を殺す。
「これはどういうことだ」
昨日まで激しく抵抗していた騎士たちの姿が煙のように消えていたことに、魔獣たちは困惑していた。
あれほど硬かったリンデの防衛線も、いまは風になびくカーテンをくぐるように、容易く越えられる。
「妙だな」
「敵の策でしょうか」
それでも、考えなしに突き進むほど、敵も愚かではない。魔獣たちにも指揮官がおり、この異様な光景に眉を
「もしや
「そうやって我らを警戒させ、足止めするか……またはノコノコ攻め入ったところを奇襲するつもりか……」
実際、指揮官の予想の半分は正解であった。
「報告、市街の路地が
「こちらの進軍を一方向に制限するつもりか、人間どもめ小癪な真似を。ならば警戒しつつ、北側の瓦礫の撤去にあたれ。もとより我らに与えられた命令はリンデの制圧。その要所たる灯台を占拠せよ」
しかし、その後の対応には3つの誤算があった。
ひとつに、狙いが市街戦であることは当たっていたものの、リンデにはヒースたちが待ち受けており局地での決戦を目論んでいると読んでしまったこと。
そしてもうひとつは、このとき魔獣側の作戦指揮官はセレナ海岸におり、ここには戦闘指揮官しかいなかったことである。たとえそこに障害があろうと、あくまで目標を制圧するために行動をとる。
そして最後のひとつに、そのために灯台への最短距離を選んでしまったことだ。
ふたつの船着場、その近くにある民家に挟まれた小さな路地。もう少しですべての瓦礫が撤去されるかというその時、
「どっ……せい!!」
ユーインが振り抜いた大槌の一撃が、残った瓦礫ごと魔獣を吹き飛ばした。
「なっ……これは!?」
「今だ、かかれぇ!!」
思わぬところからの襲撃にうろたえる魔獣たちのどよめきを、フレデリックの合図で物影や家屋や中から一斉に飛び出した騎士たちの怒号がかき消した。
「まずい、指揮官を援護しろ!」
「行かせん!」
最短距離を選んだばかりに、まんまと小道へ誘い出され、戦線が細く伸びきってしまっていた魔獣軍。
乱戦状態の先頭を救援すべく後方の部隊が援護へ向かおうとするも、そこへ堅牢を誇る、ミグランスの盾であるベルトランが立ち塞がった。
「前後から挟み撃ちだと!?」
「まだ終わりじゃないぞ!!」
とどめとばかりに側面の家屋からアルドが飛び出し、敵の横腹を突く。フレデリックの策が見事に決まり、市街は瞬く間に混戦状態となった。
「よし、今だ。火を灯せ!」
灯台の頂上から戦況を見ていたヒースは煌々と火を燃やした。少しでも早くセレナ海岸へ……かつての自分へ届くように。
あの時、自分が合図を受け取ったのは、太陽が完全に昇りきってからだった。しかし今、アルドたちが参戦したことで、太陽はまだ水平線から出切っていない時点でこちら側の優位をもぎ取ることができた。
これならば、今度ならば必ず。ヒースは祈るようにセレナ海岸の方向を見つめていた。
「おのれ人間どもめぇ!」
「貴様が指揮官だな?この戦い、勝たせてもらうぞ!」
魔獣たちを打ち倒しながら進むフレデリックは、ついに敵の指揮官と対面する。
戦闘による疲弊と傷で肩で息をしながらも、フレデリックの目は爛々と燃えていた。
「その首もらったぁ!!」
「死ぬのは貴様だ!」
「させないぞ!」
あわや兇刃が届こうとしたその時、乱戦の中からアルドが躍り出て、フレデリックを狙う魔獣を斬り倒した。
「すまない、助かったぞアルド」
「ここまできたんだ、絶対に死なせはしない!いくぞフレデリック!」
並び合うアルドとフレデリック。その間に、指揮官の周りにも救援が到着するが、勢いに乗るアルドたちに、次々と倒されていく。
「くそっ……!退け、退けぇ!」
そしてついに、敵の士気が崩れた。
魔獣たちは、撤退の号令と共に
「皆の者よくやった!我らの勝利を、セレナ海岸へ届かせるのだ!!」
地を震わせる勝鬨は、必ずやセレナ海岸にも届いたことだろう。
それからも魔獣たちは、戦線を立て直しながら何度も攻めてくるものの、フレデリックたちの神出鬼没の奇襲を繰り返し受け、なんとか保ってきた士気をさらにすり減らしていった。
「申し上げます!ヒース司令官がユニガンからの援軍を率いてこちらへ向かっているとのことです!」
追い討ちをかけるように、西側での勝利の報告、及び援軍の報が届いた。それがトドメとなったのだろう。ふたたび魔獣たちが攻めてくることはなく、完全にリンデから撤退した。
「やったなフレデリック!」
「ああ、そうだな……まさか、ここまでうまくいくとは、思わなかった……!」
これで、こちらの勝利は揺るがないものとなった。しかしこれは、これから激化していくであろう、人間と魔獣との争い、戦争の歴史の始まりに過ぎない。
ーーだが今は。
緊張が切れたのか、フレデリックは姿勢を崩し仰向けに倒れ込んだ。
「フレデリックよ」
灯台から降りてきたヒースはフレデリックへ歩み寄った。
「おお、じいさん」
「あの苦境をよくぞ乗り越えた。おぬしは、
「俺だけじゃない。アルドやユーイン、ベルトランに隊のみんな……そしてヒース司令官とじいさん。
上体を起こしたフレデリックの視線は、ヒースの背後に向けられていた。
おもむろに視線を移したヒースは、突然の眩しさから思わず目を
「いい朝日だ」
「ああ。本当に、美しい……」
この場において、どんなものよりも美しく見えたその光景に、フレデリックとヒースは感嘆の吐息を漏らした。
◆
そして、800年の時が経った。
結局、アルドたちは結末を変えることはできなかった。
しかしヒースやフレデリック、そして王国の未来のために戦い抜いた騎士たちの生き様は伝説となり、様々な媒体で題材にされるほど、今を生きる人々に感銘を与え続けている。
そしてこの日。エルジオンのオークションハウスに、一振りの剣が出品された。
ーー本日の目玉となる商品はこちらです!
A.D.289『リンデの戦い』においてミグランス王国騎士フレデリックが振るい、その死後、司令官ヒースによって、フレデリックをはじめ彼の部隊を讃える
その名も……『暁の剣』!
黄昏と暁の剣 今井良尚 @Stratovarius
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