第4話 黎明

「セレナ海岸へ打って出る」



 ノックもせず司令室に上がり込んだフレデリックは、机上に置かれた地図の上の黒い駒をセレナ海岸へと動かした。

 突然のことにヒースは少々面食らったが、すぐさま思考を持ち直すと、呆れたように首を振る。



「その作戦は却下だと……」

「そうじゃない」



 ヒースの却下を遮るようにフレデリックも首を振った。見れば、セレナ海岸へと移動した駒とは別に、ただ1個だけ、リンダに残された駒がある。



「セレナ海岸の魔獣は倒す。そして、リンデも守り抜く」

「バカな!!」


 今度はヒースが机を叩き、声を荒げた。2方向に展開した魔獣の数は、リンデの2倍や3倍どころではない。片方ならばまだしも、両方に対処できる戦力があろうはずもない。



「こんなものは作戦に値しない。最悪の場合、我々は全滅だ!」

「そんなことは俺がさせない」



 フレデリックは、リンデに置かれたひとつの駒を指さす。



「リンデは、俺の部隊が死守する。司令は残りの全部隊を率いてセレナ海岸へ向かい、ユニガンと部隊と挟撃し敵を撃破してくれ」



 たしかに、それだけ割けばユニガンとの挟撃は成るかもしれない。

 しかし、フレデリックの部隊に残された戦力は100にも満たない。たったそれだけでリンデを守り切ることは、普通に考えれば無理に等しい。もしもセレナ海岸方面を崩す前にリンデが落ちれば、かねての予想通り、むしろこちらが挟撃される危機に陥る。

 そこまで想定したヒースは、次になにを言ったか。話にならないと切り捨てるような言葉を放ったのか。



「…………」



 答えは、なにも言わなかった。

 一点に地図を見つめ、2方向に分かれた駒の行方を頭の中で追いながら、フレデリックの次の言葉を待つ。

 なぜなら、彼の目から"諦め"という感情がまったく感じられなかったから。それでいて、"博打"や"楽観"などの"賭け"にも縋っていなかった。

 だからこそ、ヒースは思考を回転させた。フレデリックが見つけたであろう、勝利へ繋げられる"道理"を探した。

 そして数分。ヒースはそこに、たった1本だけ道を見つけた。



「リンデが包囲されて、どれくらい経ったかな」

「明日で、7日目」


 フレデリックは不敵に笑った。それは、この作戦の意図がヒースへ伝わったことに対する笑みであった。



「最初から打って出ていたらダメだったかもしれない。司令が籠城にこだわっていたからこそ為し得た状況だ」

「しかし、おまえの攻めの姿勢がなければ、すり潰されていくだけだった」



 ふたりは動いた。相対するのではなく、共に肩を並べて駒に手をかける。



「敵の目的がリンデにあることは間違いない」

「敵の侵攻具合から見るに、長期戦は想定していない。不足の事態への備えが万全だとしても、食糧はせいぜい10日分」

「敵にとって、我々の粘りは想定外だろう。早くて夜明けと共に、遅くとも明後日には動く。ヒース司令、アンタならどう動く?」



 ヒースは頷き、手早く駒を動かす。セレナ海岸に展開していた赤い駒たちが、一斉にユニガンへと向いた。



「我々がいる限りリンデは落ちない。ならば、強引にでも釣り出す戦法をとる。こちらに背を向け、強引にユニガンへ攻め入る。そこにまんまと我々が釣られて打って出れば、空いたリンデを奪ることは容易いだろう。

 または、先細る兵站は気にせず、出来るだけ食い込み、出来るだけ深いところまで傷付けた後、速やかにセレナ海岸から撤退させる。そうしてユニガンが立て直すまでの間に、合流した全部隊をもってリンデへ総攻撃をかける」



 ヒースは赤い駒を動かし、整列されたユニガンの駒を四分五裂にする。

 フレデリックがそれを再び整列させようと駒を並べている隙に、ヒースは2方向の赤い駒を両手で覆い、そのままリンデを押し潰すようにかき集める。

 ふたりは顔を見合わせて頷く。次に敵が動く場合は、このふたつの方法しかない、と意見は一致した。



「ならば」



 駒を並べ直し、再びセレナ海岸の赤い駒がユニガンへ向くところまで戻されると、ヒースはリンデの駒を、ひとつだけ残して、残りすべての駒をセレナ海岸へとぶつけた。



「いっそのこと、こちらが先手を打ち敵の陣に奇襲をかけ火を放つ。混乱した敵陣を見れば、ユニガンも必ず動く。これで挟撃の完成だ。敵陣が崩れたら、わたしは部隊を編成し、リンデへとって返す」

「どうやって?」

「セレナ海岸には、土地の者しか知らぬ間道がある。猫などが使っている獣道だ。その道はちょうど敵の脇腹を突く絶好の地点に繋がっている」

「なるほど」

「さて、問題はその間、リンデをどう持たせるかだが……」



 すると、フレデリックはリンデに残された1個の駒をヒョイと持ち上げ、手の内に隠した。そして空白になったリンデへ、赤い駒を入れる。そうすると、隠し持っていた駒を使い、赤い駒を1個1個倒していった。



「ここまで考えが合うと、気味が悪いな」



 残されるフレデリックの部隊は100人に満たない。そのような戦力でひとつの街を守り抜くことは到底不可能だ。

 ならば、いっそのこと防衛線を突破させてしまえばいい。



「どこへ伏せる?」

「武器屋を攻撃の拠点にする。襲撃地点は周辺3箇所の路地」



 あえてリンデへ敵を引き込み、建物や狭い路地を利用した市街戦を仕掛けるのだ。そうすれば数の優劣は、むしろ少ないほど小回りが効き存分に戦える。小さな戦いを小さく勝ち、少しずつ時を稼いでいくという作戦だ。



「ーー司令」



 フレデリックが突然、ヒースに向かって敬礼をした。おどけた様子はない、いつになく真剣な表情だ。



「どうしたのだ、あらたまって」

「まだ、勝てる」

「ーーああ」



 以前より、王国と魔獣の衝突が近いことは予見していた。

 それを踏まえても突然の襲来、早すぎる侵軍。

 ヒースは指揮官としての責務にこだわるが故、この戦いは"いかに敗けを小さくできるか"ということしか考えていなかった。

 フレデリックはなまじ合戦を知っているが故、戦略的な不利を覆そうとして、"無茶な力攻め"を繰り返していた。


 ヒースはもちろんのこと、一見すると勇猛と映るフレデリックも、『敗北』の2文字を前提として戦に臨んでいた。

 ふたりとも、諦めていたのだ。



「おまえに『諦めるな』と説いたのはわたしだった」

「そして、俺は『力を尽くす』ことも教えられていた」



 どちらも精神に基づくものでしかなく、根性論と一笑に付されてしまえるほどに理屈が不透明だ。

 しかし、それは暗闇に阻まれた道へ一歩を踏み出す勇気である。

 たとえ笑われようと蔑まれようと、笑っていた者たちが素知らぬ顔で後を追ってくるように、いつだって先に道を切り開いてきたのは、そういう精神である。

 物陰に隠れて世間に恨み言を垂れ流し、暗闇に閉ざされていたフレデリックの魂に再び日の光が照らすようになったのは、ヒースの教えがあったからこそだった。



「あの日から俺は誓った。必ずアンタを英雄にすると」



 フレデリックは恩に報いるために。



「あの日わたしは確信した。おまえは必ず英雄になれると」



 ヒースは新たな可能性を花開かせるために。



「しかしアレだな。気持ちは嬉しいが、わたしが英雄になどなってしまっては、夢から遠ざかってしまう」

「夢?」

「この戦いが終われば、わたしは騎士を引退するつもりなのだよ。そして、趣味の釣りを楽しみながら余生を過ごしたい。ーーしかしいまは、いちど夢から覚めなければならない時だな」

「ーーそうだな。その時がきた・・・・・・んだ」



『夢から覚める』

 その言葉は、現実から目を背ける者に対する後ろ向きな表現である。

 しかし、前向きに捉えることができるとしたら。

 夢から覚めた先には夜明けがくる。新しい朝が待っている。そう考えることができるのであれば、この言葉にも、新しい一歩を踏み出すことへの決意だという意味を持つのではないだろうか。



「ーーその作戦、俺たちも参加させてくれないか?」



 決意は伝播していく。

 いつからか司令室に入ってきていたアルドたちは、そう申し出た。

 ヒースは先程のフレデリックも同じようにベルトランの姿に驚くものの、深く追求することはしなかった。



「ヒース司令、我々はフレデリックと共にリンデに残ります。このアルドとユーインの2名、実力は俺が保証いたします。必ずやお役に立てましょう」

「ベルトランが言うのであればありがたいことであるが、そちらの御老人はいかがする」

「わたしのことはお気になさらず、絶対に足は引っ張らないと約束いたします故」



 老ヒースはすべてを思い出した。

 これまで、フレデリックら残った騎士たちを殺して、自分だけが生き永らえてしまったと責任を感じるあまり、過去を捻じ曲げたまま忘れ去ることで、無理矢理に作り出した罪悪感に囚われながら目を逸らし続けていた。


 しかし、そうではなかった。


 自分とフレデリック。そして、ここで戦うすべての者たちが新しい朝日を見るために決戦への覚悟を決めた夜だったのだ。


 作戦を変更させることが分岐点ではない。大事なのは、むしろその先にある。

 きっと……いや、必ず。



「ーーならば、いますぐここから立ち去ることだ」



 しかしヒースの放った言葉は、この場を空気をぶち壊すような意外な一言であった。



「ええっ!ここまできてどうして!?」



 アルドたちには理解できなかった。

 歴史の分岐点へ手が届こうかというところまでやってきた。

 それなのになぜ?この流れでどうして?アルドはフレデリックを見た。



「ーーだぁな。もう、アンタたちの用事は済んだはずだ」

「俺たちの、用事……?」



 なにかがおかしい、とユーインは訝しんだ。

 ヒースとフレデリックのふたりがそれぞれ放った言葉に違和感を感じた。


 まるで、壇上の役者から話しかけられる観客の気分に似ていた。

 ユーインは思い返す。そもそも、自分がアルドがここへやってきたのは、『斜陽の剣』についての調査が目的だった。そして、ベルトランとヒースに出会った。

 それは、まったくの偶然だったろう。もしも出くわすことがなければ、ヒースは過去を捨て去ろうとベルトランへ剣を渡し、それでも悔恨の日々を送ることになっていただろう。

 そう、アルドという特異点さえこの場に居合わせなければ。

 あのときゲートが開いたのはなぜだ?いや、誰がゲートを開かせたのか。自分とアルド、そしてベルトランとヒース。この4つの点を線で結んだのは誰か。



「なるほど、そういうことか」



 ユーインは絡まった思考の糸を解き終えると、合点がいったように大きく頷いた。



「フレデリック、ひとつ聞いていいか?」

「どうした?」

「俺たちがアンタに加勢したとして、だ。ーーもしかして、その後の歴史はなにも変わらないんじゃないか?」



 フレデリックは押し黙ってしまった。

 肯定や否定もなく、それどころか困惑するでもなく、ただの沈黙。

 それは、ユーインの推測が当たっていることを暗に示していることに他ならなかった。



「ど、どういうことだユーイン?」

「俺たちが今いる場所は『過去』じゃない。剣に込められたフレデリックの残留思念が創り出した精神世界……単純に言えば、反芻された『思い出』の中にいるってことさ」



 今度こそ、フレデリックは頷いた。



「そ、そんな……フレデリック!」



 ヒースは力なく両膝をついた。

 11年の時を経て、千載一遇のチャンスを与えられたと思っていたのに。フレデリックを救い、悔恨の日々を終わらせられると思っていたのに。



「ったく。ここまで思い出して、まだそれかい」

「……え?」

「俺は思い出して欲しかったんだ。いつまでも過去の俺を美化し、自分の記憶をいじくってまで後悔し続けるアンタを見ちゃいられなかったのさ。

 俺が……あの時リンデで戦い死んでいったヤツらがアンタに望んでいるのは謝罪や後悔なんかじゃない。この戦いに込められた未来への想いを正しく伝えていくこと。それだけなんだよ」



『A.D.289 リンデの戦い』

 この戦いはまさしく、すべての将兵が心をひとつにして王国の未来を守り抜いた戦いであった。

 しかし、その重要人物であるヒース自身がこの調子では、史実はねじ曲がっていくことになってしまうだろう。


 無理な作戦の実行を強いられた悲劇の騎士として。あるいは、勝利の目をことごとく摘んでいく無能な指揮官として。


 もしも未練があるとすれば、そういう風に本当の自分たちが忘れられていくことが哀しく、歴史の闇に葬り去られてしまうことが許せなかった。



「死んでもなお気を使わせてしまっていたのか……すまなかったフレデリック……そして、ありがとう」



 顔をあげたヒースは涙に濡れてはいたが、そこには柔らかな笑みが浮かんでいた。



「ーーなあ、ひとついいか?」



 おもむろに、アルドが口を開いた。



「気になったんだけど、仮に俺たちが残ったとして、その先・・・はあるんだよな」

「ん?まあ、一応はこの戦いの終結までは」

「だったら、『あとは頑張ってくれ』なんて言えないよな?」



 そして、一歩前へ出た。



「そうだな。俺もそう思っていた」

「ま、この際だしな」



 ベルトランとユーイン、そしてヒースもアルドに続く。



「ここが現実でないにせよ、未来が変わることはないにせよ、俺たちがここにいる以上、せめて『ここくらいは救われて欲しい』じゃないか。だから、俺たちも一緒に戦わせてくれないか?」

「安心しろフレデリック。ここにはミグランスの盾と……」

「大陸一のブローカーもついてるぜ。なあに、この手の戦いは慣れたもんよ」

「フレデリック……!」



 フレデリックの纏う空気が変わった。



「ヒース司令。これよりアルド、ベルトラン、ユーイン、そして翁殿の4名を我が隊へ組み込み、こちらの決戦に備える」

「うむ」



 第四の壁を越えた役者ではなく、決戦を前にした騎士のそれだ。


 ーー決戦の時が近付いてくる。

 ここからは誰も知らない真実の歴史。それを今から、アルドたちは目にすることになる。









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