山間部-011 チョルローソの下の洞穴

龍の騒ぎが終わると、当たり前のように受付の神官は仕事に戻った。小屋の中の女性も、声がしている間はベンチから降りて床にひざまずいて胸に手を当て目をつぶってたのだが、ざわめきが戻るとすぐに座りなおして、紙をひっくり返し始めた。


「住めるようになっている家屋のリストはこっちに来ていません」

と苦情を言うように紙を探しながら言うと、ランレル達に待つように両手をかざしていた神官が、顔だけで振り返って、

「バーザスが知っているぞ」

と言うと、女性の口から何か罵り声のような言葉が聞こえた気がした。ランレルは、漁村の女性でももっと言葉を選ぶ、と言うような事を思いながら、神官の掲げた両手と、窓の向こうの女性を交互に眺めた。女性は、紙に重し用の石を置くと、脇の扉から出てきて、一瞬小屋の前にしゃがみ込みながら待つ、森まで続く大勢の人々に一瞬気後れしたように後じさり、それから、神官に、「すぐ戻ります」と言ってから、広場の方へ駆けだして行った。山奥にいる人と言うより、普通の町にいる女性の姿で、つまり、ひざ下のスカートにブーツを履いて、上着はあまり見ない凝った刺繍が顎まで来る高い襟に施された、色合いが上品な服を着ている女性だった。駆けて行った姿は、石ころとくぼみだらけの道には不慣れなようで、二歩ほどふみ出してよろけたところで、足元を睨むようにして腕でバランスを取るようにして駆けて行った。

「ちょっと待ってて」

と手を上げていた神官は手を降ろして、女性の後ろ姿を見ながらため息をついて言うと、首の後ろを掻いて伸びをする。あくびを生噛みして、目の端の涙をぬぐって、目の前に待つ人々の視線を全く気にせず、空を見上げて太陽を探した。時間を測っているようで、休憩時間を待つ王都に普通にいる、気のいい停車場の整理のお兄さんにしか見えなかった。


ランレルは、トチ医師としゃがみ込んでいたのだが、同じようにあくびをして、後ろを見た。森の一本道に、相変わらず人々の列が見えた。反対側の受付小屋の向こうは、青空ばかりが見える平らな大地で、徐々に荷馬車や荷車が来ては端に並べられて、馬を外され固定をされて、幌の屋根や馬車の屋根が、まるで敷き詰めた敷布のように見え始めていた。とはいえ、岩と岩の間から来る人々は途切れず、延々と続いているようで、向こうの端の受付小屋に立つ人々は、こちら以上に大勢いたのだが両手を上げては怒鳴り声を上げて、中へ入れるのに必死になっているようだった。


これほどの人が、こんな山の中にいただなんて、とランレルは思いながら青空を見上げた。日は徐々に傾き始めていて、崖の向こうにうっすら見える緑の山々へと落ち始めていた。


女性が走って戻ってきたのはそれから、しばらくしてからだった。随分離れた場所へ行っていたのか、ほとんど歩いていて、手にした丸めた革の包みで片腹を抑えながら、顔をしかめていた。

「ああ、やっと戻った」

と受付の白いローブの男が言った言葉に、女性は、

「次に、打合せ以外で何かを決定するようなら、トトル様に言ってやるから」

と低い声で脅すように言った。すると男は、顔色を変えて、

「俺じゃないって、決めたのは。その脅しは、朝の長老たちがいる席でしてくれよ。どうせ長老の手下の誰かが、長老の威を借りて決めたんだろうから」

と言うと、女性は、

「なら、次はあなたが走って取りに行くのね」

「いや。それは、ほら。こんなに大勢をここにとどめておくのは、男じゃないと」

「こんなに大勢が一斉に動こうと思ったら、男だって女だって止められないわ。一人じゃどうしようもないでしょ。だいたい、龍神様が動くのだから、誰がいたって同じよ!」

と言い放つと、言い返そうとする男の鼻先に、鼻を突きつけるようにしてにらみつつ、小屋の中へと入って行った。男は、女性の動きを目で追いつつも、女性がテーブルに革の筒を開いて紙を広げたのを見ると、

「次のグループは」

と女性を見ながら声を上げた。女性が紙を見て、まるまった端を抑えながら、

「チョルローソの下の洞穴」

と答えると、驚いたような顔をして、女性を見た。女性は顔を上げて、受付の男性に肩をすくめて、

「この人数じゃ、押し込み先があるだけでもしめたものって事でしょ」

と冷たく言って、さらに、

「とはいえ、十人。それ以上は、足の踏み場もなくなるわ」

と言った。男は頷いて、今度はこちらを振り向くと、

「十人だ。チョルローソの下の洞穴。馬車の止めてある先に、崖があるが、縁に回廊があるからそれで下へ下ってくれ。出会う人に聞いたら、教えてくれるから」

と声をかけて、前から十人を数えていく。前の十人にトルンと警邏二人が入り、次のその下の洞穴、と言うところに、サテンやランレル達が入って、森の老師樹の下というところに残りの警邏達が入る事になった。3組に分かれたのだが、

「どうせ朝のご神意の時間や、ご奉仕の時間に合流できるから、気にする必要はない。単なる寝場所だから」

と言う受付の男の言葉にうなずきながら、ぞろぞろと動きだしたのだった。


ランレル達は、トルンを先頭に、広場を抜けて行った。幌馬車の幌部分や荷馬車の馬のない荷車の間を、足元のまとめ損ねた紐などをまたぎながら歩いていくと、緑の山並みを見下ろす崖の縁にいたどり着いた。そこには、ランレル達と同じように指示されたのだろう。広場の反対側から来た人たちも集まっていて、崖をこわごわ見下ろしていた。崖には、縁取りのように低い粗紐の手すりがつけられ、簡素な段差が階段代わりになっていた。後ろから集まる人たちの圧力に負けて、悲鳴に息を飲んでいた人たちが、徐々に階段を降り始める。見下ろすと絶壁で、遥か下に木々の天辺が岩壁に張り付いているように見え、足を滑らせたが最後、命がない、と見ただけで分かるような高さだった。幸い、風がないだけましで、これで強風でも拭いていたら、何人下へ落ちて行くことか、と唾をのみ込みながら覗き込むのだった。

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龍の生まれる国 第二部 平原の龍 るるる @rururu20171015

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