山間部-010 崖下の集落計画はいつ始まるんです?

「龍神様のご加護がある。さあ、喜んで村へと入るがよい」

澄んだ声が響いていた。


しゃがみ込んでいた人々が、一人二人と立ちあがり歩き出す。鬱蒼とした森がすぐそこで途切れ、ランレルも同じように立ち上がって歩き始めたのだが、空へと近づいていくと、徐々に音が響き始めて、木づちの音や斧の音、どこかに祈るような声の唱和に、人々のざわめきが広がっていた。


ぽっかりと開いた空の下には、崖がありその下には一望できる山々が見えた。切り立った崖には細い石段が張り付き、崖には大きな穴があるのか、木と蔦で繋いだ細い橋やはしごが、眼下に小さく見えた。声は、穴から聞こえるようで、煮炊きをしているのか良い肉汁の香りもしていた。


「おーい、そっちへ動かしてくれ!」

ランレルがその声に驚いて振り返ると、ごった返す馬車や荷車の群れがあった。


森を抜ける細い道は、崖の上の広大な岩山に出ていた。岩と岩の間に見える道には荷車を挟んで大勢の人々が押し寄せてきていた。崖の上は、道の入口に小さな小屋があり、森の脇にも小屋があった。それ以外は広大で、馬車も荷車も、いくらでも入れそうな広さだった。しかし、そこに押し寄せる人の群れもそれ以上で、中心に立って指示を出している、白い布を頭から足先まで巻き付けている人がいたのだが、龍神の信者か神官かだと思うのだが、荷車や馬車の整理の担当をしていて、怒鳴りながら指示を出してた。王都の配車係のような仕事を神官がする、と言う不思議な光景になっていた。


森の入口の小屋には、跳ね上げ窓があって、中に事務机があった。と言っても、丸太を割って木の面を合わせて作った町ではなかなか見れないダイナミックで簡素なモノで、デスクの上は思いのほか整っていて、紙の束が丸石を重しにしておかれていた。中に人がいて、外に立つ白布の神官に言われて、「東の村ベルウから5人到着」と言われると、それを書きとっているようだった。丸太を割って横にしたベンチに座って紙に向かってる女性は、信者のようで、うつむきながら手元にあるインク壺を見ないでペンを付けている姿からすると、事務仕事に慣れている女性のようだった。


女性が顔を上げると、神官にイライラした声で、

「下段3穴の奥はこれでいっぱいです。崖下の集落計画はいつ始まるんです?」

と言うと、森からなだれ込んでくる人々に向き合っていた神官が、顔を小屋に向けて、

「一部できていて、岩棚は倉庫へ変換し、住居は集落へ変更になった」

「え? 聞いてません。いつです?」

「あー、さっき、と言うか、昼休憩で誰かが言ってたぞ」

「なんですって!」

と言う声を最後に、女性は紙の束を手に、すごい勢いで中を確認してはデスクの上へ広げていった。


ランレル達は、森の出口を見ながら、ずいぶん待たされていた。カレルーラの町の人々の前にも、森の入口には人が待っていたようで、あの重々しい気配と声はいったいどこに行ったのか、と言うようなにぎやかさで、道に座って待っていた。


遠くの声を聴き、なぜかよく見える小屋の様子を見ながら、ランレルはトチ医師と一緒にしゃがみ込みながら、ちらちらと前に立つサテンを見上げていた。


さっき、上空を見て「ここにいたのか」とつぶやいた後は、腕を組んで目をつぶってしまっている。列が動けば一緒に動くのだが、その時にも目はつぶったまま、ゆったりと歩くだけだ。顎を上へ向け、空を見ているようにも見えるのだが、この喧騒にいい加減へきえきして、意識をどこかに飛ばしているだけのようにも見えた。


一緒に来ていたチェシャ村のバゼルは警邏の男と一緒に後ろへ下がり、途中から森の中へと消えてしまった。あの気配と声の力が消えると、耳栓をしていたおかげか、トルンは自由に動けるようになったようで、警邏へ指示を出していた。バゼルを逃がしてから、全員に信者に合わせるようにと伝えさせた。


それを聞いて、ランレルは、内部に入ってから、サテンに洗脳を解かせようとしているのかと思っていたのだが、森の出口が近づいて、広場の喧騒が見えてくると、この人々が一斉に洗脳を解かれたら大混乱になるぞ、と思いはじめていた。そして、小屋の女性を見ると、本当にこれは洗脳されて何かをしている人だろうか、と言う気にもなってきた。しかし、トルンは、そろそろ広場の様子が見えだしたと思うのだが、動じた様子もなく、陽気で嬉しそうに話すカレルーラの町長に合わせて立ち話をしつづけていた。


カレルーラの人々は、受付を通り、指示されるままに、そりの荷物と共に荷馬車や荷車の間を縫って、大岩の向こうへと姿を消した。警邏の順番になると、一瞬受付役をしていた神官は探るような目をしたのだが、ちょうどその時、

「龍神様のお目覚めです。さあ、ひざまずいて神に尊き命を祈りましょう」

と澄んだ声がすると、広場中の人々が一瞬にして動きを止めた。人々はひざまずき、手を大地についたり、空を見上げながら両手を天へ向けたり、思い思いに神への感謝をし始めた。


ランレルも慌てて両膝をついて、周りをみながら天を見た。が、ランレルの目には日が傾き始めた青空と山々の峰が見えるだけだった。しかし、人々は感嘆のため息をついたり、「おお神よ、龍神よ。どうぞご加護を」とつぶやいている声が聞こえるので、きっと何か見えているのだろう、と思うくらいだった。なんの重い気配もなく、先ほどの何かがいたという気配もなく、ランレルはただ、周りに合わせながら、周りを見回していたのだった。


警邏の人々も同じようにひざまづいて、周りに合わせたしぐさをしていた。彼らは何か見えているのか、思わずしゃがみながら後ろへ下がる、という動きをしている者もいた。トチ医師は「龍か、これが龍か」とつぶやいていて、しっかりと空を睨むように見上げていた。


受付の神官の前で、トルンが天に祈りの声を上げ始めると、その向こうで、神官も軽く片膝を大地について胸に片手を当てるしぐさで神への祈りのしぐさをした。龍神の姿が消えるのも唐突だったのか、「神よ」と感極まってつぶやき続ける人もいたのだが、人々は慣れた様子ですぐに立ち上がって、さっきと同じように荷下ろしの声を掛け合ったり車の整理にと怒鳴りはじめた。その頃には、立ち上がったトルンをはじめ警邏の人々への疑いは消えていったようで、神官たちは、この龍を見て、龍神を疑う人間はいない、と信じているかのようだった。


ただ、この澄んだ声がした時に、サテンだけは上を見たまま身じろぎ一つしなかった。まったくひざまづかず、その脇でもともと片膝をついてサテンに仕える従者の姿勢をしながらサテンを見上げていたアヤノ皇子も、動きを全く変えなかった。


しかし、なぜか、受付役の神官はその姿を見ても気に留めず、警邏と一緒に中に入ってくのを、止める事も何か尋ねる事もしなかった。

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