山間部-009 龍の里へようこそ。我らが龍神が歓迎している

ランレル達が、カレルーラの人々と合流してから二日目。ランレル達は、耳栓をして彼らの後をしんがりのように、後ろを護りますから、と言うトルンの言い訳に従って、ついて歩いてた。彼らは、大声で歌を歌いながら進んでいたのだが、そのせいか、山の獣は近寄らず、鳥のさえずりが時折遠くに聞こえる程度で、にぎやかな森の散歩と言う様相になりはじめていた。


ランレル達の後ろから、山を下りて合流する人々も出始めた。別の峰から下って来た、貢物の村へ向かうという人々で、男ばかりで荷を背負っていた集まりだった。山の人夫のようで、腰に手斧を下げていたりするので、日雇いの木こりたちかもしれない。彼らの背負っているのは食べ物と言うより、もちろん高く積み上げた背負いの荷物の中には干し肉などがあるようなのだが、上からぶらぶらとぶら下がっているのは鍋や薬缶で、その上に使い込んだ毛布を丸めて結いつけてあって、どこか引っ越し荷物のようにも見えた。


道を作るようにしてやってきた男たちもいた。下映えを払いながら、森の中を道なき道を来た一行だったのだが、彼らは剣を背負って身軽な腰の荷物だけのようだった。鉄の付いた革手甲や、思い思いの革の長い上着や、音のする帷子を胸につけ、全員違った服装なのだが、同じ雰囲気で、どう見ても傭兵の一団だった。なのに、カレルーラの人たちと同じように、「貢物の村に行く」と声が低くぼそぼそとしていたのだが、「龍神の声を聴いた」と熱に浮かれた声で言う。


奇妙な団体は、みな、前方のカレルーラの人々が歌いだすと、陽気な世界と無縁じゃないかと思うような笑顔のない傭兵や人夫の一行が同じように歌いだし、気が付くと、「龍神様のお使いは、我らを王に合わせてくださる。我らの日々を救ってくださる」と言って歌っていた。


前後に挟み込まれ、耳栓をしているせいか、誰も動揺していないのだが、聞こえるランレルは、逃げられないような怖さを感じた。彼らが、「龍神様の御威光です。我らは王に従います」と歌った時には、王とは、それが王都への侵略を命じたら、そのまま、全員が歌いながら押しかけてくるのではないだろうか、と言う気がして、嫌な感じがした。


押し寄せる敵には、王都の警邏も、王都の軍の人々も戦えるのでは、とランレルは思えるのだが、この、歌って笑いながら押し寄せる、子供を連れた女性やいたわりながら行くお年寄りたちを、軍はもちろん、一般の人々だって戦えないのでは、と思えてしまうのだった。


とはいえ、ランレルの視界に写るのは、前と後ろの合わせて100人にも満たない人数だった。この人数が来ても、あの街門の前であふれていた人々の数を思えば、王都は安全にこの一団に対処できるだろう、と言う気もしてくる。


森は、下映えが無くなり、木々の間に光がよく差すようになってきた。山の上の方に来たようで、マントを肩に巻き付けて、手には手袋をするようになりはじめていた。吐く息は朝方は白くなり、夜も火の傍でなければマントの中で震えて朝を待つようになり始めていた。


ふと気が付くと、歌を歌っていた彼らが、声を飲んだようにして止まっていた。前を行くトルン達も立ち止まり、後ろに続く人夫も傭兵も、ただ声もなく立ち止まって前を見ていた。


ランレルも、相変わらずトチ医師の足元を見て歩いていたのだが、足の動きが止まったのに気が付いて顔を上げた。そして、ぽっかりと開いた森の向こうの空を見た。


木々の間に青空があった。その向こうは谷底か、崖か、何だろう、と思いながら雲一つない空を見た。と、美しい声が高らかにまるで、一行を歓迎するかのように歌いあげていた。


「龍の里へようこそ。我らが龍神が歓迎している。空からの神の声を聞くがよい」

前を行くトルンが、震えるよに腕を片手でつかんで爪を立てていた。その後ろにいた腰にベルを下げた警邏の男は、顔を上げ空を見上げたまま、驚きと喜びの表情で固まっていた。ランレルの前のトチ医師も同じように頭を上へ向けていた。そこにさらに、

「龍神がご降臨だ。さあ、ひれ伏して拝むがよい。貴公らの無事を祝っておられる。さあ、今すぐに感謝をもって拝むがよい」

と言う声が響いたところで、警邏も含めて、全ての人が膝をついて、頭を垂れた。トルンが何か声を上げていたのだが、言葉にならなかったようだった。同じように、ぎこちなく、ひざまずいたところが見えた。ランレルも、慌てて真似して頭を下げた。と、その時、視界の中で、まったく揺るがず立ち尽くしている姿があった。サテンがマントをゆるりと風に揺らして、森の向こうの青空を表情もなく見つめていた。

「龍ではない。イメージにしても貧弱だ」

はっと顔を上げたのはトルンだった。そして、後方の人夫達や傭兵たちが空を見上げてざわめきだした。


ランレルは、しゃがみながら何もない空を見上げていた。先ほどから、ずっと空っぽの空を見ていた。サテンはつまらなそうに、

「川での方がまだエネルギーがあった。ここは、そのエネルギーでさえ見当たらぬ」

そう言って、すぐに膝立ちになり立ち上がり始めた、トルン達警邏の人々を見て、

「龍はいない。我らは戻るぞ」

と言った。


言った途端に、向きを変え、本当に今来た道を戻り始めた。ざわめきは驚きになって、カレルーラの人々が恐ろし気に、龍神を称える言葉を唱え始めていた。後方の傭兵と人夫達は、警邏と同じように立ち上がって、空を見て互いに怒鳴り始めていた。

「龍の村で稼げるって言ったのは誰だ!」「龍神さまの加護があるって事だったんじゃないのか」「龍がいただろ、龍が! あれが龍神さまだ!」

空を指さして必死に言い募る男もいた。


その間に、サテンはマントを翻して悠然と歩き始めた。前にいた警邏達は、空と人夫や傭兵たちの声を聴いてトルンへとっさに視線を向けていたのだが、サテンが近づくと一歩下がり、二歩下がり、と道を開け、前を行くのを見送った。


ランレルも警邏達と同じように立ち上がり、空を見ながらサテンを待った。アヤノ皇子がサテンに続き、離れていたトチ医師の傍に来て、トルンが動いた。追いかけるようにして歩き出し、そこで、警邏の男たちも気が付いてサテンを止めようと向きを変えるのだが、近づくとなぜか、一歩、後ろへ下がってしまう。その不思議に、自分の手を見たり、トルンの顔を見たりして、戸惑っているような顔をした。


ランレルは町ながら空を見ていた。本当に木々の中に青空が見えるだけで何もなかった。ここに何かが見えていれば、それこそ大自然の中の龍を感じていれば、きっと自分もひれ伏したくなっていたに違いない。そう思いながら見ていたところ、何かがぐんっと近づいて来た。気配が大きく、思わず半歩後ろに下がった。上を見て気配の重さにのけぞりそうになり、そこで、サテンの、

「ここにいたのか」

と言う声を聴いた。


ランレルには、サテンの見ているモノは見えなかった。また、前方のカレルーラの人々は膝をついて祈るように胸に手を当てていたのだが、さらに屈みこんで口の中で龍神を称える言葉を声高に唱え始めた。ランレル達の後ろにいた、人夫や傭兵たちは上を見ながら「なんだ、なにがいるんだ」と叫んでいたのだが、彼らも何も見えないようで、しかし、気配が大きく濃厚で、徐々に大きくなる気配に、後ろの方の人夫が逃げ出しはじめた。


そこに、先ほどの声が響いた。良くとおる甲高い声だった。

「龍神の御前である。逃げるな、ひざまずけ!」

この声に、ランレルは条件反射のように従っていた。頭上にある気配がぐんっと近づいてきたような気がして、思わず身を護るように頭をかばった。そして、後ろにいた逃げ出そうとしていた男も、同じように荷物をがらがらと大地に落としてひざまずいた。ランレルは、頭をかばいながら、龍神の村のバゼルの声を聴いた。

「そんなバカな! 龍神様は、我らが護り。そんなばかな」

つぶやきのような声だった。

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