山間部-008 ほら、龍神様にもうすぐ会えますよ

トチ医師が、やれやれ、と言う感じで岩陰に入って、岩に虫がいないかどうか袖で払って確かめながら、どっこいしょ、と座り込んだ。


ランレルも後に続いて、大地をしっかりと見て、足で虫を追い散らし、と言ってもいなかったようなのだが、そこに座った。少年のバゼルも、ブランケットに包まれたまま連れてこられていたのだが、警邏達に下してもらうと、すぐに岩陰から走り出た。途中でゼセロに、首根っこを押さえるような勢いで止められて、がっくりしたように岩陰に戻ってきた。


サテンは、森の木々を見ながら立ち尽くしていた。何かあった時には、幻影を払うために、とトルンに言われたらしい。ランレルも、と立ち上がろうとしたのだが、サテンの視線で動きを止めた。人は人の声を聴く、人の見るモノを見る、と言う声が聞こえた気がした。


代わりに、しゃがみ込んだところで、袋を開けて、周囲の警邏達が休憩がてら軽食を始めたのを見て、同じように干し肉やタピの実を手に、アヤノ皇子やトチ医師やサテン達に配って回った。一緒に岩陰に入った、ふてくされたように座っている少年にも同じように配って渡すと、少年は「感謝します」と深く礼をしながら恭しく受け取って、ランレル達が食べだすのを見て、同じように口を付けた。前見たがつがつとした食べ方ではなく、干し肉だったので歯で引きちぎらなければならなかったのだが、小さなナイフを出して削るようにして品よく食べていた。


アヤノ皇子は周りの警邏の真似をして、歯で引きちぎりながら食べ始め、ランレルもトチ医師も同じようにしているのだが、少年だけが妙に上品に見えた。


それから、警邏が何人か探索に出て、また、何人かが交代で見張りに立ち、ここで眠ることになった。


夜が明ける。外は、明るくなりはじめた。そして、「声は出すな。耳栓は必要だが、耳カバーは外しても良いぞ」と言う指示の下、岩影の奥でマントを掻き合わせるようにして、ごろりと横になって目をつぶった。


次に目を覚ました時には、辺りが明るくまぶしいばかりの白い光に照らされていた。一瞬、前に見ていた夢をまた見ているのかと思ったのだが、単に木漏れ日が岩陰からは明るく見えているだけだった。


岩の脇に湧き水があって、そこで水筒に水を補充した。それから、小さな干し肉の切れ端を食べ、火は焚かず。秋が深まっているせいか、木の実はあったが果実はなく、警邏が見つけて集めてきた木の実を分けてもらった食事にした。


それから、再び耳栓に耳カバーを付けて、今度は森の中を歩き始めた。乾いた大地に葉が落ちて、踏みしめられていて、空には傾きかけた太陽があって、今日も夜中歩くのか、とため息交じりに歩き出した。


崖を登るよりは楽だ、と思ったのもつかの間、巨木の根を迂回したり、岩山を超えたり、とするうちに、すぐに息切れをしはじめた。少年は元気なもので、トルン達の前に立って歩いている。道案内をしているようだった。


日が沈みかける頃には休憩になるのだろうな、とランレルが思いながら、トチ医師の足を眺めて歩いていると、唐突に列が止まった。


顔を上げると、警邏の一人が慌てて前へ駆けだしていく。後ろの男たちが剣を抜いて構え、前方からはざわめきが聞こえた。


真っ赤な夕日が木々の間から溢れるように見え、その中に人々の影があった。ランレルはとっさにサテンを探していた。また、小舟の少年のように誰か来た、と思ったのだが、聞こえてきた声は、

「ああ、あなた方もいらしたのですね!」

と言う、歓迎するような声だった。都会じみた声に、目を凝らすと、夕日の中の人たちは、男たちだけでなく、女性もいれば、親に手を繋がれた子供も、年老いた男も、そして、寄り添うような年のいった女性もいた。影になって見えにくい、と思ったところで、瞬き一つで良く見えるようになり、光の角度が変わったのか、姿が見えた。


カレルーラにいそうな、明るい生地に、装飾豊かな服を着た人々だった。山暮らしではない、と分かる、フリルのある袖に、幾重にも重ねたスカートを着て、男性は狩り服のような縁取りに、宛て革のある上着を着ていた。疲れた顔をしていたが、トルンに向かって話す声は明るく陽気なモノだった。

「龍神様のご加護がありますように。共に良き日に知り合えた事を祝いましょう」

と言って、警邏がこんな山の中にいるのが不自然だというのにも関わらず、まったく気にせず、まるで街中であるかのような挨拶をした。もちろん、龍神様のご加護、と言うような事は、街中で言ったりはしないのだが。


彼らは、下男や女中も連れていたようだった。男たちは袋を背負ったり、そりのようなモノに大きな樽や袋を乗せて引っ張ったりしていた。こんな山の中では、苦労ばかりの道行だろうに、誰もが笑いに満ちているようで、疲れた顔をしているのに、異様に楽し気に話していた。


道案内をしていた少年のバゼルは、いつの間にか大柄な警邏の後ろに隠れ、じっとしていた。耳カバーも耳栓もむしり取るようにして取って、じっと耳を傾けていた。トルンは男たちと話ながら、走って来た警邏の男に手のひらを見せて何かを止めた。腰にベルを下げていた男で、鳴らそうとしていたようだった。


「みなさんもですか?」

とトルンが漠然とした事を言うと、

「ええ、もちろんです。龍神様の光栄なお声かかりです。取るものもとりあえず、駆け付けて行く途中です」

そういって、男はほほ笑んだようだった。


恰幅の良い男で、黒い縮れた髪を首の後ろで結って、首にはスカーフを撒いている。絹かもしれない。そばには、侍従のような男がいて、男に杖を手渡している。歩きやすいようにと持ってたのを、歩きにくくなって代わりに持っていたのだろう。立ちやすいように軽く大地に杖を突く。

トルンは、それを見ながら、半分探りながら、

「カレルーラのみなさんもですか」

と合わせるように言う。すると、男はさらに、

「ええ、そうですね、ほんとうに運が良かった。なに、私はカレルーラの町長ですよ。豪族ともいわれていますが、小さな町の長ですからね、たいしたことではありません。こんな私共にもお声をかけていただけたのは、ほんとうに光栄の至りです」

「みなさん、この道を?」

「ああ、もちろん、私共くらいでしょう。ここを通って行こうと思うのは。他の方はもっともっと荷物が多いでしょうからね。中腹の道を通って行かれたと思いますよ。それこそ、河口のボルデイン家は荷馬車を何両も連ねて行ったという事ですからねぇ。羨まし限りですよ」

と言って笑った。


トルンはさらに、話を合わせて話はじめた。警邏達は身振りでこっそり目だつ耳カバーを外すようにと指示が出て、気づいていないトチ医師に警邏が近寄って向こうに気づかれないように、伝えていた。ランレルも、耳カバーを外す。みんな耳栓をしているので、きっと聞き取りにくいのだろうな、と思いながらもトルン達の話を聞いた。


カレルーラの町長が言うには、『龍が現れ、彼らに祝福を与えた。そして、龍への貢物を受け取る準備がある。みなを歓迎するから、龍の村へ参れ、と言われた』と言うような事だったらしい。彼らは和気あいあいと、身分に関係なく楽し気に語りあいながら、トルンへ話していた。途中、子供が疲れたようにぐずっていたのだが、母親が「ほら、龍神様にもうすぐ会えますよ」と言うと、泣くのを止めて「もうすぐ? ほんとう?」と聞いていた。


それから、ランレル達も、彼らと一緒に村に向かうことになった。貢物の村、と言われるようになったチェシャ村に。警邏の一人がトルンの指示を受けて、元来た道を気づかれないように戻って行った。ここでの様子を伝えるために、戻って行ったのだろう、とランレルは警邏達が立って戻る姿を隠すのと同じように背で道を隠しながら考えた。


カレルーラの人々は陽気で豊かで、屈託なくランレル達を受け入れた。その夜、月が昇る頃には、森から森に渡る川辺に出た。彼らは、周囲の枝を集めて薪を炊いて、女中たちは洗濯をし、岩に干しながら食事を作った。ランレル達は、彼らの食事に招かれて、熱いシチューにホカホカのパンを貰った。彼らは月を見上げては龍神を称え、村長は小さな琴を出して龍神を称える歌を歌いだし、カレルーラの人々がうっとり聞いて、時には口ずさみながら唱和した。


町中のモノを持って引っ越さんばかりに食材を抱えて移動している人々の群れには見えなかった。冬を前に、寒々とした風が吹く。しかし、彼らは暖かい火に手をかざす事もなく、毛布にくるまる事もなく、歌いつかれたところで横になって、川風を大きな荷物の陰で避けるだけで眠ってしまった


ランレル達が、彼らと歩き始めて、スピードは落ちたのだが、休憩は多く、食事や間食の甘パンや果実入りのビスケットなどを振舞われ、贅沢に山を歩いて進んで行った。


チェシェ村の少年は、警邏から布を貰ってフードのようにかぶって過ごした。年端のない子供がいても、他の人々は乳飲み子までいるせいで、まったく違和感なくなっていた。

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