鍵のかかる音…。

宇佐美真里

鍵のかかる音…。

ブルルルルル…。アラームで振動するスマートフォンの微かな音に続いて、カタッ…と、ベッドサイドテーブルに置かれたメガネを手に取る音が、やはり微かに寝室へと響く。


そっとベッドを抜け出して行くカレ。

寝室の扉が静かに開き、すぐに閉まる。カチャリ…。

幾つか響いた一連の微かな音が止み、寝室には静寂が戻ってくる。

其れを嫌って、ワタシはわざと音を立てる様にシーツの上で身体を動かすと、カレの居なくなったスペースへ視線を遣り、其のまま"主"を失ったカレの枕を見つめた…。


扉の向こう側では、キッチンの蛇口から水が流れ出す音、コンロに火を点ける音が、ジャー、カチカチカチ…と続く。

少しだけ間を置いて、再び蛇口からの水音に続き、バシャバシャ…と顔を洗う音が、カレの実況中継する。其して、しばしの沈黙…。再びバシャバシャと水の音がするのは、髭を剃り終わったからだろう。ガタガタ…と音は続き、ブフォォォォ…とドライヤーの音へとバトンタッチされる…。

其の後は、いつも通り長めの沈黙がやって来る。


ワタシはベッドの上で再び寝返りを打ち、空いているカレのスペースに背中を向けると、充電コードに繋がれたスマートフォンの画面に、指で触れ蘇生させた。映る時刻を確認する。


AM6:17


カレが寝室を出て行って、十七分が経過。いつも通りだ。

残り三十分程で"あの音"がするはずだ。いつもきっちりと同じ時刻…。

ワタシはスマートフォンをベッドサイドテーブルへと戻すと、目を閉じた…。

此のスマートフォンが音を鳴らし、ワタシに"行動開始"を急かすのは午前七時半。まだまだ先。ワタシの朝は遅い…カレの其れとは違って。


やがて、カレの立てる音が復活する。朝のコーヒーが済んだのだろう。蛇口からの水がシンクに当たる音、コーヒーカップが洗われる音、其れ等が小さく寝室まで届いて来る。此の時刻にカレの立てる一連の音たち、其れ等はどれも日中に立てられる其れとは異なる、気遣いの感じられる抑えられた音…。其の気遣いが、少しだけワタシには切ない…。哀しい…。


いよいよ着替えも終えられて、寝室の扉が開くはず。

カチャリ…。目を閉じて身動きもせず、眠ったふりをするワタシ…。

囁き声で、少しだけ開かれた扉の隙間から、カレが言う…。


「イッテ…クル…ネ…」


そっと扉は閉められる…。

寝室脇に在る玄関の灯りが点けられる、カチッ…と云う音。壁越しに其の音が幾分くぐもって聞こえて来る。革靴を履く際の、シューホーンと靴、カレの足が擦れて立てられる、ズッ…と云う音。トントン…と二回、踵同士を合わせて鳴らすのは、カレの癖だ。其の癖にカレ自身は、気が付いていないのだけれど…。

其して、ゆっくりと玄関扉が開けられる。ガチャ…。

次の瞬間、今度はカチャ…リ…と、静かに閉じられる扉…。


AM6:45


ジャッ…と鍵が鍵穴に差し込まれ、ゆっくりと捻られる。カチッ…と、ロックが掛けられた音に次いで、抜かれる鍵の擦れる、二度目のジャッ…と云う音の直後、コツコツコツ…と廊下を、革靴の音は遠ざかって行った…。


ワタシはベッドで相変わらず横になったまま、ブラインドの隙間から漏れ入って来る朝陽に明るくなった天井へと、視線を遣りながら溜息をひとつ吐く…。

ジャッ…カチッ…ジャッ…コツコツコツ…。

ベッドで耳にする、此の音たちが嫌い…。


「出掛ける前に、起こしてね…」

「寝ているところを起こすのは、悪いから…」


かつて、其う言ってくれたカレの"心遣い"は、やはり少しだけ寂しい…。

小さな我儘…。ワタシの"贅沢な我儘"…。


セットされたアラームまでは四十五分…。

ワタシはベッドで横になりながら天井を見つめ、ただただ其れを待っている…。



-了-

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