雨宿りの洋館で

根古谷四郎人

雨宿りの洋館で

「まどか!」明菜あきなは小声でまどかに抗議した。「声かけた男子って・・・・!」

「うん。啓介けいすけ君だよ。」

 顔を赤らめる明菜に、まどかはにやりと笑った。

「ホラー苦手でしょ。それでも来てくれた明菜に報いようと思ってね。」

 世間がハロウィンで浮かれるこの日、明菜はまどかと一緒に近所の公園に来ていた。目的は、友人の悠里ゆうりが言い出した肝試しをするためだ。

「肝試しに一緒に行けば、きっと男子と恋に落ちるはず!」

 まどか曰く「恋に恋する乙女」である悠里は、たびたび明菜とまどかを巻き込んで何とかロマンティックな恋のシチュエーションを作ろうと暴走する。今回は夜の八時に幽霊が出ると噂の、山道にあるトンネルに行くことになった。明菜は嫌がったが、すぐ癇癪かんしゃくを起す悠里に詰め寄られ、結局ついて行く羽目になった。明菜は正直悠里が苦手だった。元々は中学でまどかと友人になり、そのまどかと小学校時代から友達だった悠里とも一緒にいるようになったのだが、悠里は明菜への風当たりが強い。いつも自信満々で要領のいい悠里からすれば、鈍くさくてもじもじしている自分を見ると苛つくのだろうと明菜は思っていた。

「じゃ、男子は私が誘うよー、任せて。」

 悠里の計画を元に、まどかは何人かの男子に声をかけた。まどかは明菜が啓介に片思い中なのを知る唯一の友達。悠里の思惑とは別に、明菜の恋も成就するといいなと思って声をかけたようだ。

 その啓介は友人の浩太こうたと一緒に来ていた。浩太は怪談好きで、悠里相手に今回行くトンネルについてあれこれ調べたことを話していたが、当の悠里は啓介にベッタリ。明菜は気が気でなかった。

 さて、一行が歩きだして五分もたたないうちに雨が降りだした。それも、雷や風も伴う、まるで台風みたいな大雨だ。市街地から離れた山道で、家はおろか街灯も無い。何かないかと辺りを見回したところで、まどかが建物の明かりを見つけた。とりあえず全員で走ると、それは古びた洋館だった。ドアをノックしたが、返事がない。

「とりあえず中入れてもらお!風邪ひいちゃうもん!」

 言うが早いか真っ先に悠里が中に飛び込む。それはあまりに失礼ではと思いつつ、他の四人も中に入った。雷が鳴り響き、いつ落ちるかと皆気が気でなかったのだ。

「うわあー豪華。」まどかが感嘆の声を上げる。五人がいるロビーは真っ赤な絨毯がしかれ、壁には高そうな絵がいくつもかかっている。両側には二階に続く螺旋階段。二階は吹き抜けになっていて、天井には天使たちが舞う絵が描かれている。

「ところで・・・。」明菜が口を開いた。「いつまでここにいる?まだこの家の人に挨拶もしてないし・・・。」

「仕方ないでしょ、こっちが何度呼びかけても出ないんだもの。」

 悠里が口を尖らせる。「それに、雨だってまだ全然止まないし。」

「そもそもここ、人住んでないんじゃないかな・・・。」

 ぽつりと啓介が言った一言に、明菜は一人震えた。

「なんだー啓介、びびってるのかよ?」

他方、けらけらと笑い飛ばしたのは浩太だ。「じゃあさ、こうしよう。今から家の中を探検するんだ。それで住んでる人に会えたら、勝手に雨宿りしてごめんなさいって謝る。」

「見つからなかったら?」

「トンネルに行きそびれたし、その代わりの肝試しになる!」

 明菜は悲鳴を上げそうになった。冗談じゃない!少なくともこのロビーは安全みたいだから、雨が止むまでここで待てばいいのに!でも、肝試しが雨で台無しになった悠里はこの提案に大いに乗り気で、結局その流れを断ち切ることは出来なかった。

「じゃ、まずは一階を制覇しましょう!」

 ロビーの奥にはアーチがあり、そこをくぐると大きな部屋に出た。長い机が一つと、そこに等間隔に置かれた椅子。どうやら食事をする広間だったようだ。東の壁にずらっと並んだ大きな窓。天井にはシャンデリア。

「すごいわ!まるでお城みたいじゃない?銀の食器とお料理があったら、ディズニープリンセスの世界ね!」

 興奮気味に写真を撮りまくる悠里には『美女と野獣』に出てくるような大広間にここが見えているのだろう。ある意味羨ましいと明菜は思った。

「豪華な食事、とはいかないけど、お菓子ならあるぜ!」

 浩太が鞄からお菓子をいくつも取り出した。「ハロウィンなんだから、必須じゃん?」

「へえ、気が利くのね。」

 悠里に褒められて、浩太は明らかに照れていた。どうやら悠里とお近づきになりたいようだ。皆がお菓子に手を伸ばす中、明菜は食欲がまるでわかないので断った。

 お菓子を食べ終わり、隣のキッチン、外国みたいにお風呂といっしょになったトイレ、洗面所も見た。だが、結局一階には誰もいなかった。

「別荘とかなのかな。」

 明菜が言うと、その線が濃いかもね、とまどかが言った。

「だから、幽霊が出ることもないかも~。」

「まだ二階があるわ。行こ、啓介クン!」

「え?あ、ちょっと・・・。」

 悠里が二階への階段を上ると、皆も後に続く。二階は口の字型になっていて、東西にそれぞれ四つ、北に二つ部屋、南に一つ部屋があるらしい。まずは東側から行くことにした。悠里と啓介を先頭に、浩太、まどか、最後に明菜の順に並んで進み、東端の部屋のドアを啓介が開けた。

「うわっ。」

 入って早々、啓介が声を上げたので明菜は心臓が飛び出そうだった。もっとも、浩太から後ろは部屋の様子が見えないのだが。

「誰かいたのか?」

「・・・いやその、個人の部屋だから、あんまり入らない方がいいよ。」

 そう言いながら、啓介はドアを背中で閉めた。「中はベッドが一個と家具がちょこっとあっただけ。誰もいないけど、覗きをしてるみたいで、気分悪いし・・・。」

「それは今さらだろー。」浩太が呆れたように言う。「もう少し調べようぜ。何なら写真も取って・・・。」

「駄目だって!」

 啓介がそう怒鳴った時、

どぉごろおおおおおおおん!

「うぎゃああああああああああ!」

 明菜がこの世の終わりのような悲鳴を上げてしゃがみこむ。まどかが背中を撫でてなだめた。

「明菜大丈夫だよ、ただの雷。」

「もう、大げさね明菜は!」

 頬を膨らませる悠里。実は「きゃっ」と言いながら啓介に抱きついていたのだが、そのアピールは明菜の悲鳴ですっかりかき消されていた。

「ごめんね、悠里。」

「先に進むわよ。・・・ん?」

 ジジジっという小さな音が聞こえた。なんだろうと五人が周りをきょきょろ見回していると、廊下の明かりが一つ、点滅していた。

「え、まさか・・・。」

 明菜の悪い予想通り、明かりはジっ!と大きな音を立てて消えた。シンクロするように他の明かりも点滅し始め、とうとう洋館は真っ暗になった。

「いいわね、肝試しっぽくなってきた。」

「だよね悠里さん!俺もそう思う!」

 さりげなく浩太が悠里の横に並ぶ。そして、そのまま先頭を切って歩きだした。啓介が開けた部屋の隣のドアを開け、中を懐中電灯で確認する。

「狭い部屋だなー。ベッドとクローゼットぐらいしかない。」

「あ、俺が見た部屋と一緒だ。」と啓介。

「私も見るわ。写真撮りたいし。」

 そう言って悠里は部屋に入ったが、「きゃあ!」という悲鳴と共にどん、と鈍い音がした。啓介たちが中に入り、ほどなく悠里と出てきた。

「ゆ、悠里どうしたの!?」

 目を丸くしながらまどかが尋ねる。悠里の頭はほこりまみれ、手や足にはクモの巣がまとわりついていた。

「滑って転んだのよ。」むすっとした表情のまま悠里が答えた。「窓がひどく割れてて、雨が吹き込んで。床がびしょびしょなのに気づかなくて、それで・・・。」

「ヒールも折れてる。」浩太が靴を指さして言った。

「最悪!下の階で洗ってくるわ。」

「じゃあ危ないから俺も・・・。」

「いい!一人で行く!」

 突き放すようにそう言うと、悠里は来た道を引き返してつかつか歩いていく。やはり歩き方はぎこちない。

「ちょ、ちょっと悠里さん。」諦めずに浩太が追いかける。「一人はヤバいって。」

「うるさいわね!大丈夫よ、懐中電灯だって持ってるし。それにあたし、お手洗いも行きたいの。まさかトイレまで付いてくるつもり?浩太君ってそんな趣味があるの?」

 まくしたてるようにそう言われ、さすがに浩太も腹が立った。

「あーそうですか分かりました!せいぜい階段から転げ落ちるなよ!」

「余計なお世話!」

 まどかが追いかけようとするが、それも拒否して悠里は降りて行った。

「なんだよあの言い草。自分が美人だからって、調子乗ってんじゃねーのか。」

「ごめんね浩太君。苛立つとすぐ当たっちゃうんだ、悠里は。」

 まどかが悠里の肩を持つが、浩太はフンと鼻を鳴らす。

「でも、雨の日、洋館、一人でトイレか。悠里には悪いけど、ホラー映画でよくある死亡フラグだなあー。」

「・・・・・・。」

 まどかの言葉に、場の空気が凍り付く。

「ハハッ!確かにそうじゃん!それで学校で一番偉そうにしてるのが最初にやられるよな!」

「おい、浩太。」啓介がちょっと眉をひそめたが、浩太はお構いなしだ。

「まどかさんも、もしかして怪談好き?」

「そうだよ、同志!」

「よぅし!こうなりゃ幽霊見つけてやろう!雨、洋館、停電!これだけフラグが揃ってれば、絶対会える!」

意外な所で仲間を見つけ、すっかり機嫌がよくなった浩太が鼻息荒くそう叫ぶと、まどかが「おぉー!」と応え、二手に分かれて部屋を物色し始めた。広い洋館の中で、小さな懐中電灯の光はあっという間に闇に溶けた。

「ちょ、浩太止めろ!」

 血相を変えた啓介は急いで浩太を追いかけて行く。そして、自分の後ろで一人うずくまっていた明菜の事を忘れていた。明菜は「待って!」と言いたかったが、声が出なかった。なぜか。

  ずっとトイレを我慢して、お腹が痛くなっていたのだ。

 雨に打たれて体が冷えたのと、食堂で落ち着こうとお茶を沢山飲んだのが原因だろう。正直、こんな不気味な館のトイレなど借りたくない。しかし、もう我慢の限界だ。さっき悠里について行けば良かったのだが、そんな雰囲気でもなかったし。

「うう・・・。」

 一人呻きながらのろのろと進路を後ろに変え、まずは階段を目指す。

「はぁあ・・・怖い。いや、怖くない怖くない・・・・」

 一人でそう声を出しつつ進む。声を出して自分を鼓舞しないと、前に進めそうにない。

「いいっ!?」

 階段の一段目を踏みしめ、きしんだ音に自分で驚く。音を立てないように、忍者のような足取りで進んだ。盗みに入るわけでもないし、寝ている人を起こさないためでもない。ただ自分で自分の出した音に驚きたくないからである。

「確か、アーチの手前だったよね。」

 トイレは、食堂に続くアーチの手前を右に曲がったところにある。階段をびくびくしながらおり切った時、だん!という大きな音がして明菜は足を止めた。トイレの方角からだ。その後も、何かを強くぶつような音が不規則に聞こえる。しかも、段々強く。きっと悠里だ、と明菜は思い込んだ。この真っ暗な中でトイレをするのだ。いくら懐中電灯があったってあちこち手足がぶつかる事はあるよね。まして悠里の靴はヒールが折れてて歩きにくいし。そういう事にしよう。

「あ・・・・。」

 だが、現実は目の前に現れた。明菜の懐中電灯がトイレのドアを、正確には、トイレのドアにしがみつき、何度も何度も戸をたたく人影を照らした。もやがかかったように見えづらく、輪郭もぼうっとして、体は白っぽく・・・透けていた。それが意味する事を悟った瞬間、

「・・・・いやあああああああああ!」

 明菜は悲鳴を上げ、懐中電灯を取りこぼした。その悲鳴に呼応するように、幽霊たちが耳をつんざくような笑い声を上げた。そして、ひた、ひたひたと、ゆっくり明菜に近づく。

「・・・いで、来ないでええええええ!!!」

 明菜は首をぶんぶん振りながら目をぎゅっとつぶった。そして―

幽霊に向かって走りこんだ。


「明菜?!」

  明菜の悲鳴を聞きつけ、まどかが探索していた南の部屋を飛び出す。

「ちょ、まどかさん待ってよ!おい啓介早く!」

「う、うん!」

 啓介が返事をした瞬間、天井が大きな音を立てて崩れた。一同は驚きつつ、下の階へ急ぐ。

「あ、あれって・・・!」

 三人が見たのは、ロビーの真ん中にあふれる白っぽい人影が、明菜の繰り出すキックやパンチで霧散していく光景だった。

「ま、どか・・・。」

「悠里!?」

 三人が振り返ると、トイレから這いずって悠里が出てきた。どうやら腰を抜かしているらしい。ただ、それ以上に三人が驚いたのは、トイレのドアが外れていた事だ。

「髪を洗ってたら、白い、人影が・・・食堂の方から」

「!お化けを見たの!?」まどかが聞くと、悠里ががくがく頷いた。

「それで・・・トイレに、閉じこもったら、手形が・・・!」

「ほ、ホントに映画みてぇだ。」浩太が息をのむ。「じゃ、ドアも幽霊が?」

「それは、明菜が壊したの。」

「え?」

 明菜が一階に降りて来たのは、悠里がトイレに閉じこもり、それを幽霊たちがドアを叩き破って入ろうとした時だったのだ。だが、急に明菜の悲鳴がして、幽霊たちの攻撃が止んだ。そして、ドアが突然吹っ飛んだ。

「ゆ、悠里ぃーーーー!」

 泣きながら正拳突きの格好をしていた明菜がそこに立っていたが、その背後に白い人影。あっ、と悠里が叫ぶより先に、明菜は振り返って相手を背負い投げ、壁にめり込ませた。

「-悠里に近づかないでえええ!」

 そう言って、今度はバスタブから現れた人影の首根っこを掴み、大理石の硬い床板に肩までめりこませた。その後も次々白い人影を蹴り、突き、投げ飛ばし、そのうちの一体が吹き抜けをまっすぐ飛んで天井に突き刺さった。天井が崩れ落ちたのはそういうわけである。

「だから、明菜は私の命の恩人なの・・・。」

 悠里はいまだに白い影と格闘する明菜をうっとりした目で見つめた。「かっこいい・・・。」

「さすが、最強の中学生だね。」

一人納得するまどか。実は、明菜の祖父母はクンフーの達人、父は柔道のメダリスト、母は現役プロレスラーなのだ。そのDNAを継ぐ明菜はあらゆる武術を使いこなす最強の中学生。性格が優しく臆病なので、普段はその片鱗すら見せないが、ピンチに陥った時の戦闘力は計り知れない!

「いやいや、だからって幽霊に勝てるの!?」

 浩太のツッコミはもっともだが、現に勝っているのだ!明菜の正体を知った悠里はますます惚れ惚れとした表情になった。

 そしてもう一人、明菜に惚れた人間がいた。

「かっこいい・・・。」

 啓介は小さく呟いた。彼の目には、目に留まらぬ速さでパンチを打ち込む明菜と、パンチを打ち込まれみるみる頬が腫れ上がっていく女の霊が見えていた。―そう、彼は「見える」体質なのだ。だが、見えるだけでどうする事も出来ない彼にとって、幽霊をやっつける明菜はまるでヒーローのように見えた。

「ここ出たら、ラインの番号教えて欲しいな・・・。」

 そう呟いた啓介の目の前で、今度は男の幽霊が明菜の飛び膝蹴りを食らって霧散した。

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