二章 向かう心③
呪禁について知りたいと思ったものの、雪路からは知ろうとしてはならないと注意を受けているため、彼女に訊ねることは出来ない。それならば、どのように調べようかと考えた小春はたった一人、呪禁について知っていそうな人物を思い出した。
……冬次様ならば、知っていると思うけれど、訊ねたところで教えてくれるかなぁ。
先日、呪禁と初めて耳にした際に
……でも、呪禁を知るには、あの人に訊ねるしかないもの。
それに冬次に会いに行く口実として、彼に貸して
典薬寮での出仕が終わった後、小春は先日
右近衛府は
お礼の品を何にするべきか考えたが、高価なものが買えない小春は、松江に
小さな
「うーん……。建物が思っていたよりも多くて、どこに向かえばいいのか……」
右近衛府の
「──どなたかお探しで?」
小春が
「もしよければ、力になりますよ」
青年達は気安い様子で小春へと
「あの……。右近衛府に勤めている、坂上冬次という方を探しているのですが……」
「……坂上冬次だと?」
だが、それまで穏やかな
「──あれっ? もしかして、小春さん?」
名前を呼ばれた小春が勢いよく振り返るとそこには冬次の
「在原様……」
「夏久でいいよ。こんなところまで来て、どうしたの? 右近衛府に何か用事?」
武官装束の夏久は
「あの、冬次様に用事がありまして……」
夏久は小春の言葉を聞いた後に、すぐ
「俺が彼女を案内するから、お前達は衛府に戻っているといい」
「わ、分かりました……」
「失礼
夏久の口調がどこか
武官達は夏久に軽く頭を下げてから、そそくさとその場から去って行った。そんな彼らを夏久はどこか
「いやぁ、突然、声をかけてごめんね? 同僚達に
「いえっ……。私としましても、知り合いの方とお会い出来て良かったです」
むしろ、
「それで冬次に用事があるって言っていたけれど、どうかしたの?」
「あの……先日、冬次様に手貫緒を貸して頂きまして。それを返しに来たのです」
「えぇっ!? 冬次があの手貫緒を貸したの?」
夏久は心底
「意外だな……。
「え……」
夏久の言葉に戸惑ってしまう小春だったが、彼は何故か一人でしきりに
「あ、ごめんね。こんな場所で立ち話しちゃって。冬次なら多分、右近衛府の部屋にいると思うから、呼んでくるよ」
「お手数をおかけして、すみません……」
「いいよ、いいよ。冬次のもとに女人が訪ねてくるなんて、
夏久がこっちにおいでと手招きしてくれたため、追いかけるように小春は付いて行った。退勤の時間に近いからなのか、近衛府の者はそれほど多くは行き
夏久は建物の一つへと近付き、
「おーい、冬次っー!」
呼び声に反応は返ってこない。冬次は不在なのではと思っていると夏久はにやりと笑った。
「ふ、ゆ、つ、ぐー! やーい、冬の
気の
「いやぁ、この呼び方だとすぐに走ってくるんだよね。あいつ、冬の少将って呼ばれるのが
「冬の少将?」
「俺が付けた呼び名じゃないけれどね。多分、
夏久との話の
「その呼び方はやめろといつも言っているだろう、夏久! ……っ!?」
しかし、夏久の
「冬次、お前にお客さん。……それじゃあ、またね、小春さん」
「あ、はい。案内して頂き、ありがとうございました」
手を振りながら去って行く夏久に対して、小春は頭を深々と下げてから冬次の方へと
冬次は何故、小春がここにいるのかと言いたげな表情をしており、どこか
「……ここは人目があるから、こっちに来ると良い」
「えっ? あ、はいっ」
冬次がこの場から移動するようにと
右近衛府の敷地内だが、建物の
「……申し訳ありません。冬次様の都合を考えずに訪ねてしまって……」
「都合?」
どういう意味だと言わんばかりに冬次は首を小さく
「ええっと、あの……
周囲の人に自分と冬次の関係を
「……ああ、なるほど」
小春の言いたい意味が分かったのか、冬次は
「まぁ、俺のもとへと女人が訪ねてくることは少ないから、しばらくは
「うっ……。ご
世間の男女の付き合い方というものを詳しくは知らないため、
「いや、事実でないのであれば、否定するだけだ。迷惑には思っていないから、それほど気に
「ですが、冬次様に
「いや、いない。恋人など、いたことがない。……それよりも、俺に何か用があって、ここへ来たのだろう?」
話を切り上げるように冬次は話題を移しつつ、何故か視線を小春から逸らしていた。
「あ、そうでした。あの……先日、お借りした
「ああ……。それでわざわざ右近衛府まで来てくれたのか。すまなかったな、典薬寮からここまで遠くはなかったか?」
冬次は何気なく、といった様子で小春が今、
「いえっ。こちらこそ、
「お礼など、必要なかったのに……。だが、ありがとう。仕事の合間に食べるとしよう」
……やっぱり、この組紐、何となくだけれど見覚えがある気がする。
小春の視線が手貫緒にじっと注がれていることに気付いたのか、冬次は少々気まずそうに口を開いた。
「……何か気になることでも?」
「えっ、あっ、申し訳ありません……。……冬次様はその手貫緒を他の人には
見覚えがあるなどと言われたら、冬次が戸惑うだろうと思った小春は、夏久が
冬次はほんの少し目を細めてから、手貫緒を指先で
「……この組紐は俺が恩人から
「恩人からのお守り、ですか? ……って、そのような大切なものを私に貸して
「構わない。組紐に願われたものは、すでに
「願い……?」
だが、冬次は少し目元を
きっと、彼にとって組紐に願われた願いとその思い出はずっと心に残しておきたいほどに大事なものなのだろう。初めて会った時は、目を
小春は
「……冬次様」
「何だ」
小春は深く呼吸をしてから、
「私に、呪禁について教えて頂けませんか」
「っ……!」
小春の言葉に冬次は目を見開き、身体を
「私の母、小竹が呪禁師だったことは知っています。ですが、私には呪禁がどういうものなのか分からないのです。……私が先日、
「……」
「お願いします。……知り得なければ、私自身が進めないのです」
握りしめていた手を胸の前へと
しかし、冬次は険しい表情を
「……
先程までの穏やかさは消え去り、冬次ははっきりと
「君に教えることは何もない」
「呪禁は禁術の一種だ。君が呪禁について知ろうとするたびに、その身を危険に
「ですが……」
だが、小春が言葉を
「これ以上、呪禁に
言い捨てるように冬次は低い声でそれだけを告げて、小春に背を向ける。振り返ることなく、右近衛府の建物へと向かっていく冬次を小春は
上げかけていた右手をそのまま静かに下ろす。
……これほど、拒絶するなんて……。この方にとって、呪禁はどういうものなのかな……。
冬次の背中しか見えないため、表情は分からない。ただ、彼が呪禁に対して、何かしらの理由から強い負の感情を
……呪禁が危険なものだからこそ、雪路さんだけでなく、冬次様も関わるなと言っていることは分かっている。……それでも、私は呪禁のことも母様のことも納得出来ないままでいたくはない。
……
平安春姫薬書 春告げる花と冬月の君 伊月ともや/角川ビーンズ文庫 @beans
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