二章 向かう心③

 呪禁について知りたいと思ったものの、雪路からは知ろうとしてはならないと注意を受けているため、彼女に訊ねることは出来ない。それならば、どのように調べようかと考えた小春はたった一人、呪禁について知っていそうな人物を思い出した。

 ……冬次様ならば、知っていると思うけれど、訊ねたところで教えてくれるかなぁ。

 先日、呪禁と初めて耳にした際にくわしく訊ねようとしたが、彼は仕事を理由に静かにきよしていた。果たして、もう一度訊ねたとして、答えてくれるかどうかは分からない。

 ……でも、呪禁を知るには、あの人に訊ねるしかないもの。

 それに冬次に会いに行く口実として、彼に貸してもらっていたぬきもある。これを返す際に訊ねてみよう。

 典薬寮での出仕が終わった後、小春は先日おとずれため所ではなく、右近衛府へと向かった。行き違いになる可能性もあるが、その場合はまた後日、訪ねるつもりである。

 右近衛府はじよう西さいもんいんもんの間に置かれており、典薬寮からそれほど遠くない。

 お礼の品を何にするべきか考えたが、高価なものが買えない小春は、松江にたのんで市で買ってきてもらった干しなつめを持って行くことにした。そもそもお礼に何かをおくることが初めてなので、このせんたくが正しいのかは分からないが。

 小さなきんちようを抱きつつも小春は右近衛府の門の内側へと足をみ入れていく。

「うーん……。建物が思っていたよりも多くて、どこに向かえばいいのか……」

 右近衛府のしきは典薬寮の二倍ほどの広さがあるようで、小春はさっそく迷子になりかけていた。だれかに訊ねた方がいいかもしれないと小春が迷っていると、すぐ後ろからいぶかしがるようなこわいろで声をかけられる。

「──どなたかお探しで?」

 小春がり返るとそこには武官しようぞくを着た青年が二人、こちらを見ていた。右往左往している小春を見かねて、声をかけてくれたのかもしれない。

「もしよければ、力になりますよ」

 青年達は気安い様子で小春へとたずねて来る。同じ武官ならば、彼らに訊ねた方が冬次を見つけやすいと思い、小春は思い切って聞いてみることにした。

「あの……。右近衛府に勤めている、坂上冬次という方を探しているのですが……」

「……坂上冬次だと?」

 だが、それまで穏やかなふんだったはずの青年達の表情は一瞬で険しくなっていた。とつぜん、表情が変化した彼らに、小春はまどってしまう。

 おんな空気が流れる中、よどみを洗い流してしまうほどの明るい声がその場にひびいた。

「──あれっ? もしかして、小春さん?」

 名前を呼ばれた小春が勢いよく振り返るとそこには冬次のどうりようの夏久がいた。顔見知りである彼の登場に小春は少しだけ、あんしてしまう。

「在原様……」

「夏久でいいよ。こんなところまで来て、どうしたの? 右近衛府に何か用事?」

 武官装束の夏久はだいの見回りを終えて、もどってきたところらしい。

「あの、冬次様に用事がありまして……」

 夏久は小春の言葉を聞いた後に、すぐそばにいた武官達へと視線を向ける。そのひとみは小春に向けられるものよりも少しだけするどいように見えた。

「俺が彼女を案内するから、お前達は衛府に戻っているといい」

「わ、分かりました……」

「失礼いたします……」

 夏久の口調がどこかとげとげしく聞こえたが気のせいだろうか。

 武官達は夏久に軽く頭を下げてから、そそくさとその場から去って行った。そんな彼らを夏久はどこかあきれたようにながめつつ、視線を小春へと戻してくる。

「いやぁ、突然、声をかけてごめんね? 同僚達にからまれているのかなと思って、変な気を回しちゃった」

「いえっ……。私としましても、知り合いの方とお会い出来て良かったです」

 むしろ、何故なぜか空気が悪くなっていたので話しかけてもらって助かったほどだ。

「それで冬次に用事があるって言っていたけれど、どうかしたの?」

「あの……先日、冬次様に手貫緒を貸して頂きまして。それを返しに来たのです」

「えぇっ!? 冬次があの手貫緒を貸したの?」

 夏久は心底おどろいているのか、目を大きく見開いた。

「意外だな……。ほかやつには太刀たちさえもれさせないというのに」

「え……」

 夏久の言葉に戸惑ってしまう小春だったが、彼は何故か一人でしきりにうなずいていた。

「あ、ごめんね。こんな場所で立ち話しちゃって。冬次なら多分、右近衛府の部屋にいると思うから、呼んでくるよ」

「お手数をおかけして、すみません……」

「いいよ、いいよ。冬次のもとに女人が訪ねてくるなんて、めつにないからね」

 夏久がこっちにおいでと手招きしてくれたため、追いかけるように小春は付いて行った。退勤の時間に近いからなのか、近衛府の者はそれほど多くは行きっていないようだ。

 夏久は建物の一つへと近付き、きざはしの下から名前を呼ぶ。

「おーい、冬次っー!」

 呼び声に反応は返ってこない。冬次は不在なのではと思っていると夏久はにやりと笑った。

「ふ、ゆ、つ、ぐー! やーい、冬のしようしようっー! 冬のぉ、少将ぉっ!」

 気のけるような声がその場に響いた。さすがに小春もその声のかけ方は冬次が気の毒だなと思ってしまう。しかし、建物の中にまで夏久の声はしっかりと届いたようで、すぐに奥から足音が聞こえてきた。冬次の足音だと分かっているのか、夏久はからからと笑っている。

「いやぁ、この呼び方だとすぐに走ってくるんだよね。あいつ、冬の少将って呼ばれるのがきらいだから」

「冬の少将?」

「俺が付けた呼び名じゃないけれどね。多分、こうきゆうにようぼうの誰かが付けたんじゃないかな。近衛府には二人ずつ少将がいて、それぞれ四季の呼び名が付いているんだよ。それで、俺は夏の少将って呼ばれていて──」

 夏久との話のちゆう、誰かによってつまが勢いよく開け放たれる。どこかいらっているような表情ですのへと出て来たのは冬次だった。

「その呼び方はやめろといつも言っているだろう、夏久! ……っ!?」

 しかし、夏久のななめ後ろに小春の姿があることをかくにんした冬次はそれまで上へと上げかけていた右手をゆっくりと下ろしていった。

「冬次、お前にお客さん。……それじゃあ、またね、小春さん」

「あ、はい。案内して頂き、ありがとうございました」

 手を振りながら去って行く夏久に対して、小春は頭を深々と下げてから冬次の方へと身体からだの向きを変える。

 冬次は何故、小春がここにいるのかと言いたげな表情をしており、どこかまどって見えた。しかし、すぐにはっとした顔をしてから、冬次は階を降り、かのくつく。

「……ここは人目があるから、こっちに来ると良い」

「えっ? あ、はいっ」

 冬次がこの場から移動するようにとうながしてきたため、小春は彼の後ろに付いていった。

 右近衛府の敷地内だが、建物のかげとなる場所へと案内された小春は何気なく周囲を見回した。確かにこの場所ならば、人通りが少ないので落ち着いて話せるだろう。

「……申し訳ありません。冬次様の都合を考えずに訪ねてしまって……」

「都合?」

 どういう意味だと言わんばかりに冬次は首を小さくかしげる。小春は夏久が言っていた言葉を少し気にしており、小さく視線をらしてしまう。

「ええっと、あの……によにんの私が冬次様を訪ねれば、その関係性を誰かに問われるかもしれないと思いまして……」

 周囲の人に自分と冬次の関係をかんちがいされることを想像した小春は、ずかしさと冬次への申し訳なさで自身のほおが紅潮するのを感じていた。見られないようにと顔を下へと向けたが、果たして気付かれてしまっただろうか。

「……ああ、なるほど」

 小春の言いたい意味が分かったのか、冬次はかたすくめつつ、小さなためいきいた。

「まぁ、俺のもとへと女人が訪ねてくることは少ないから、しばらくはうわさされるだろうな」

「うっ……。ごめいわくをおかけしてしまい、申し訳ありません……!」

 世間の男女の付き合い方というものを詳しくは知らないため、はたから自分達を見られた場合のことを考えていなかった。小春が謝ると冬次はあわてたように首を横に振った。

「いや、事実でないのであれば、否定するだけだ。迷惑には思っていないから、それほど気にまなくていい」

「ですが、冬次様にこいびとがいたならば……」

「いや、いない。恋人など、いたことがない。……それよりも、俺に何か用があって、ここへ来たのだろう?」

 話を切り上げるように冬次は話題を移しつつ、何故か視線を小春から逸らしていた。

「あ、そうでした。あの……先日、お借りしたぬきを返しに参りました」

「ああ……。それでわざわざ右近衛府まで来てくれたのか。すまなかったな、典薬寮からここまで遠くはなかったか?」

 冬次は何気なく、といった様子で小春が今、かみっているくみひもの方へと視線を向けてくる。もう手貫緒は必要ないと分かったのか、なつとくするように頷いていた。

「いえっ。こちらこそ、ふみも送らずに訪ねてしまい、申し訳ありません。こちら、お借りしていた手貫緒とお礼の干しなつめです」

「お礼など、必要なかったのに……。だが、ありがとう。仕事の合間に食べるとしよう」

 たんたんとした口調だったが、冬次は小春から手貫緒と干し棗が入っている小さな布の包みを受け取ってくれた。干し棗が入っている包みをそのままふところの中へとい、冬次は手貫緒を自身のこしに下げている太刀のかぶとがねへとさっそく結び始める。

 ……やっぱり、この組紐、何となくだけれど見覚えがある気がする。

 小春の視線が手貫緒にじっと注がれていることに気付いたのか、冬次は少々気まずそうに口を開いた。

「……何か気になることでも?」

「えっ、あっ、申し訳ありません……。……冬次様はその手貫緒を他の人にはさわらせないと夏久様がおつしやっていたので、本当は大事なものだったのではと思いまして」

 見覚えがあるなどと言われたら、冬次が戸惑うだろうと思った小春は、夏久がさきほど話してくれたことを話題にした。

 冬次はほんの少し目を細めてから、手貫緒を指先でやさしくでる。

「……この組紐は俺が恩人からもらったお守りなんだ」

「恩人からのお守り、ですか? ……って、そのような大切なものを私に貸してよろしかったのですかっ?」

「構わない。組紐に願われたものは、すでにかなっているからな」

「願い……?」

 だが、冬次は少し目元をやわらげるだけで、それ以上を口にすることはなかった。

 きっと、彼にとって組紐に願われた願いとその思い出はずっと心に残しておきたいほどに大事なものなのだろう。初めて会った時は、目をみはるほどのたんせいな顔立ちをしているというのに無表情ゆえに冷たそうな印象を受けたが、今の冬次はとてもおだやかなふんまとっているように見えた。いつの間にか、冬次に見とれていることに気付いた小春ははっとわれに返った。

 小春はそでの中にかくした手をぎゅっとにぎりしめていく。穏やかに見える今の冬次の様子ならば、じゆごんについてたずねることが出来るかもしれない。指先は少し冷えているが、おそらくきんちようによるものだろう。気合いを入れるように小春は顔を上げ、冬次へと真っぐ視線を向ける。

「……冬次様」

「何だ」

 小春は深く呼吸をしてから、さぐるように言葉をいた。

「私に、呪禁について教えて頂けませんか」

「っ……!」

 小春の言葉に冬次は目を見開き、身体をこわらせた。

「私の母、小竹が呪禁師だったことは知っています。ですが、私には呪禁がどういうものなのか分からないのです。……私が先日、つぶやいたおまじないを呪禁だと言い切った冬次様ならば、呪禁について何か知っているのではありませんか」

「……」

「お願いします。……知り得なければ、私自身が進めないのです」

 握りしめていた手を胸の前へとえつつ、こんがんするように小春はうつたえた。

 しかし、冬次は険しい表情をかべてから静かに首を横にるだけだった。

「……だ」

 先程までの穏やかさは消え去り、冬次ははっきりときよぜつを表すようににらんでくる。思わず、身が竦んでしまいそうな視線のするどさに小春の肩は小さくふるえた。

「君に教えることは何もない」

 あつを纏っている冬次は冷めた視線で小春を見下ろしてくる。まるで小春にそれ以上を問いかけることは許さないと言っているようだった。

「呪禁は禁術の一種だ。君が呪禁について知ろうとするたびに、その身を危険にさらしていることを自覚した方が良い」

「ですが……」

 だが、小春が言葉をつむぐ前に、冬次によってさえぎられてしまう。

「これ以上、呪禁にかかわろうとするな。……それが、君のためだ」

 言い捨てるように冬次は低い声でそれだけを告げて、小春に背を向ける。振り返ることなく、右近衛府の建物へと向かっていく冬次を小春はとどめることは出来なかった。

 上げかけていた右手をそのまま静かに下ろす。

 ……これほど、拒絶するなんて……。この方にとって、呪禁はどういうものなのかな……。

 冬次の背中しか見えないため、表情は分からない。ただ、彼が呪禁に対して、何かしらの理由から強い負の感情をいだいていることはうかがえた。

 ……呪禁が危険なものだからこそ、雪路さんだけでなく、冬次様も関わるなと言っていることは分かっている。……それでも、私は呪禁のことも母様のことも納得出来ないままでいたくはない。

 くちびるを結び直した小春は冬次が去っていった場所から視線を逸らす。

 ……だれも教えてくれないならば、私は……自分の力で調べてみせる。

 ほかの誰かに知られてはならないおもいを胸に、小春は力を入れた足で一歩をみ出した。

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平安春姫薬書 春告げる花と冬月の君 伊月ともや/角川ビーンズ文庫 @beans

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