二章 向かう心②

 女御との出会いにより、心に再び熱いものが宿った小春はそれまで以上に、医学に関する知識を得ようとどんよくになっていた。その成果が実ったのか、半月後に行われた医生達をためす定期試験では一番の成績を取り、雪路にめちぎられたほどである。

 とある日、大内裏の外に置かれている使ちようから典薬寮へとおうえんようせいが届いた。

 京の治安などを担当し、時にはあらごとを処理しなければならない検非違使は生傷を作りやすい仕事だ。昨晩から早朝にかけてとうぞくおおり物があったようで、死人はいないがをした者が多く出てしまい、検非違使庁の医師だけでは対処しきれなくなってしまったらしい。それゆえに小春をふくめた医生達がじつせんの研修もねて、怪我人のりようのためにおとずれていた。

 せい達の中に交じって検非違使達へと治療をほどこしていたが、女人である小春をあなどり、治療を断る者もいた。それでも小春はめげずにしんな態度を崩さず、治療をし続けた。

 何人か怪我人を診た後、次に担当することになったのはとしが四十に近い、ののくらよしという検非違使だった。顔はどちらかと言えば四角で、ひげが伸びていていかついつらがまえである。

 わらで編まれたむしろの上に座る蔵好の視線に合わせるように小春はこしを下ろし、軽くあいさつをしてから治療を始めた。彼も小春が治療することをこばむだろうかとしていたが、もんしんをする際の受け答えからはけんするようなものは感じられず、少しだけあんしていた。

 小春へと差し出された腕には赤く生々しい一線が刻まれていた。見たところ、血は止まっており、傷もそれほど深くはないようだ。

「……大丈夫か? じようちゃんには少し、血なまぐさくはないか?」

「いいえ、平気です。……こちら、太刀たちによって作られた傷でしょうか」

「ああ。まぁ、このくらいの怪我なら、命にかかわるほどじゃないからたいしたことねぇよ」

 どこか自身の怪我を軽視している蔵好の言葉に小春は小さく首をる。

「……大怪我でなくても、甘く見てはいけませんよ。小さいと思っていた怪我が取り返しのつかない事態を招くこともあるんですから。なので、どのような怪我を負っても医師に必ず診てもらって下さいね。……痛みというものはまんしてしまえば、医師からは見えなくなってしまいます。患者が痛みや苦しみを自覚して初めて、医師というものは救うために手を差し伸べることが出来るのですから」

 小春の言葉に蔵好は目を小さく見開いた。しかし、どこか気がけたように目元をやわらげて、それから苦笑する。

「……ああ、そうだな。……確かに俺の痛みは俺にしか分からないからな」

 なつとくするようにうなずいてから、蔵好はかたの力が抜けるような息をいた。

「それじゃあ、嬢ちゃん。……治療をたのむよ」

「……はい」

 蔵好の様子が少し変わったことが気になったが、小春は治療の方を優先することにした。

 蔵好の右腕を手に取りつつ、みずおけひたしていたしやくすくい取った水で血を洗い流し、用意していた布の切れはしを使って、ていねいいた。

 薬箱の中から切り傷と止血に効果があるつわぶきあいの生の葉を取り出してから、指先で細く千切り、にゆうばちに入れていく。そこに水をすうてきほど加えて、乳棒ですりつぶすように混ぜた。

 混ぜ合わせた薬草が細かく、やわらかい状態になったことをかくにんしてから、小春は蔵好の方へと向き直る。作ったばかりのり薬を指先で掬い取り、蔵好の腕に刻まれている傷が広がらないように注意しながら、うすく、広く、丁寧に塗っていく。

 すべて塗り終わった小春は次に、清潔で新しい細切りの布を取り出し、差し出されている腕にゆっくりと巻き、処置を全てかんりようさせた。

「これでおしまいです。……うでかんなどはございませんか?」

「いや、動きやすいぞ。巻き方が上手うまいんだな」

「……ありがとうございます。しばらくの間は腕を激しく動かさないようにお願いしますね。巻いている布は数日ってから取りえて下さい。その際に塗っている薬も水で洗い流して下さって構いませんので」

 小春はほかに注意するべき点や伝えておくことはあったかどうかを指折り数えていく。そんな小春を見て、蔵好は息をこぼすように笑った。

「丁寧に処置を施してくれてありがとうな。……若いから腕前はどんなものかと思っていたが、想像以上にぎわが良くて、安心して任せられたよ」

 蔵好は右腕を少し上げつつ、満足気に笑っている。あまりにも真っ直ぐにお礼を告げられた小春はどのように反応を返せばいいのか、迷ってしまった。

「い、いえっ……。私はただ、小野様の怪我が一日でも早く治るように、くすとして出来ることを行っただけですので」

 すると、蔵好は少しだけ目を見開き、独り言のように小さくつぶやく。

「……やっぱり、似ているな」

 まるで彼の中で何かが結びついたと言わんばかりに、蔵好は頷いていた。

「ええっと、あの……。似ている、とは……?」

 蔵好の呟きの意味が分からなかった小春は首をかしげながらたずねてみる。

「いやぁ、嬢ちゃんが言っていた言葉に似たものを六、七年ほど前にも言われたことがあるんだよ。……痛みは我慢してしまえば医師からは見えないものになってしまうから、どのような怪我だとしても声を上げて欲しい──。でなければ、救えるものも救えなくなってしまう、とによ博士はかせだった女人に𠮟しつせきされたことがあってな」

 当時のことを思い出しているのか、蔵好はどこか遠くを見ているようだった。

「女医博士」と聞いた小春はいつしゆん、息をのむ。五年以上前の女医博士ならば、蔵好が言っている女人は雪路ではなく、小春の母、小竹のことだろう。

「治療の後に俺がお礼を言えば、医師として出来ることをくしただけだと、そう答えていた。……言葉だけでなく、かんじやに対する姿勢が似ているように感じたからだろうな。つい、嬢ちゃんとその女医博士が重なって見えたんだよ」

「……そう、だったんですね。私とその方が……」

 蔵好はなつかしむように目を細めている。最初はどうようした小春だったがひざを一歩進めて、思い切って訊ねてみることにした。

「あの、その女医博士がどのような人だったのか、うかがってもよろしいでしょうか」

 小春が話に食い付いてくるとは思っていなかったようで、蔵好は少しおどろいていたが、すぐに気前が良さそうなみをかべてから頷き返してくれた。

「彼女にてもらったのは、俺が大捕り物で少し失敗した時だったな。腹の辺りに切り傷を作ったんだが、たいした怪我じゃないと思ってかくしていたんだ。……俺よりもひどい怪我をしているやつは多くいたから、そっちを優先に治療してもらいたくてだまっていた」

 この辺りだ、と言って蔵好が自身の腹部を指差した。

「でも、俺がやせ我慢しているのを察して、すぐに治療を施してくれたのがその女医博士だった。彼女いわく、これ以上、怪我を放置していれば、取り返しのつかないことになっていたらしい。……彼女が気付いてくれなければ、俺はここにはいなかったかもしれないな。そういう意味ではあの人は俺にとっての恩人なんだよ」

 恩人だ、と蔵好が語る母の姿は小春が今まで夢見ていた像と重なっていた。

 性別や身分に関係なく、どのような怪我や病でも真摯に患者と向き合う医師──。それは小春が追いかけていた母の姿そのものだった。

「……今は、傷は痛みませんか」

 小春が蔵好の腹部へと視線を向けつつ訊ねると、彼は自身の腹をぽんっと軽くたたいた。

「ああ、あとは残ったが、傷はふさがっているよ。……そういえば、治療が終わった後はいつの間にか痛みが引いていたな」

「え……。痛みが、引いた……?」

 蔵好の言葉に引っかかる何かを感じた小春は彼の言葉をはんすうする。

「きっと、良い薬を使ってくれたんだろう。思っていたよりも傷の治りが早くて、すぐに仕事に復帰出来たから助かったな。……ここ数年は会っていないが、彼女は本当に腕が良い医師だったよ」

 痛覚に効果がある薬の存在など、自分は聞いたことがない。それにものによって出来た切り傷の痛みがすぐに治まるわけがないため、あまりにも不自然に思えた。

 ……もしかして、じゆごん……?

 小春は先日、自身がめのわらわに「おまじない」としようして、無自覚に呪禁を使っていた時のことを思い出す。あの時も、女童は痛みが消えたと言っていた。それならば、女童と蔵好が言っている「痛みが引いた」じようきようが、同じ呪禁によるものではないかと思えたのだ。

 ……母様はこの人にも呪禁を使って……そして、救ったということ……?

 心臓が大きく脈を打ち始める。小春は新たにいだいた動揺をさとられないようにと左手を自身のむなもとへとえて、小さく息を吐いた。

 ……でも、雪路さんが言っていた呪禁についての話と全くちがう。だって呪禁は人を傷付け、苦しめる力を持った、危険なものだと言っていたもの……。

 み合うことのない何かが頭の中で勢いよくめぐっていく。呪禁とは一体、何なのだろうか。蔵好の話を聞いた後では、本当に悪いものなのか、という疑問が心の中に生まれていた。

 ……ちゃんと、呪禁のことを正しく知りたい。そうすれば、母様が危険だと言われている呪禁を使っていた理由やくなった原因が分かるかもしれない……。

 何も知ろうとしないまま、決め付けてしまえば、呪禁の本質は分からないままだろう。それならば、得体の知れないまま、ただおそれるよりも理解するための努力をするべきだ。たとえ、そこに自分が望んでいないものが待っていたとしても。

 考え込むように黙っていた小春の肩を蔵好は左手で軽くぽんっと叩いて来る。

じようちゃん。男ばかりの仕事場で大変だろうが、嬢ちゃんのこころづかいは身にみるやさしいものだ。相手を思いることを忘れない、良い医師になってくれよ」

 蔵好がによにんの医師見習いである小春に対して好意的だったのは、女医博士だった母に助けられたからだろう。母娘おやことは気付かなくても、小春と母を重ねていたのかもしれない。

 小春はくちびるを結び直してから、力強く頷き返した。

「はい。……いつか、きっと」

 そう返事をすれば、蔵好はおだやかな表情を浮かべ、目を細めていた。

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