二章 向かう心①
──小春。母様と約束をしましょう。……自分の
脳内で何度も
母が呪禁師だったという真実を告げられた小春の心には、
……母様はどうして……あの言葉を私に
医師を目指す小春を
小春は頭を軽く振ってから、重い足取りのまま、目的地に向けて歩みを進める。
小春のもとへと先日、助けた
後涼殿の
「先日は娘の矢代を助けて頂きまして、ありがとうございました。こちら、矢代がお借りしていた
若狭から小春に
「そんな……。私は自分に出来ることを行っただけで、お礼を頂くほどのことでは……」
「どうか、
そこまで言われたならば、受け取らないわけにはいかないだろう。これ以上、遠慮するのは相手にも失礼である。
「……では、ありがたく頂きますね」
小春の返事に若狭は
若狭は失礼しますと告げて、その場から去って行った。
鼻を
「──半人前で女のくせに、さっそく清涼殿の女房に取り入るなんて、
まるで氷の
……あ、この人達は……。
無位であることを表す
医生達も何かの用事で内裏に来ていたのかもしれない。彼らとはあまり関わり合わない方が良いだろうと
今にも
「薬を届けるだけのおつかい程度のことしか出来ないくせに、入寮したばかりの見習いの分際で、随分と調子に乗っているみたいだな?」
典薬寮には女人の
「わ、私は……。ただ……」
「女が口答えするな。どうせ、頭が
「ちっ……
だが、自分で
……私は本当に、医師に……なりたいのかな……。
自分のことなのに、分からないのだ。言葉に
小春が動揺したことを医生は
「女人の医師なんて、たいしたことなど出来ないだろうに。典薬寮には不要なだけだ」
「医師は男の職なんだよ。どれだけ知識と技術を得ようが
「っ……」
嘲りと
……どうしよう、
威圧的な人間は父と重なってしまうので苦手だ。それでも以前までならば、
「それに入寮試験も本当は裏で根回しでもして合格したんじゃないのか? お前、さっきの女房みたいに
「ほら、俺達にも尻尾を振ってみろよ。色々と丁寧に教えてやるぜ」
「ははっ、どうせまともに教える気なんてないくせに」
その
「──何をしているの」
小春の
声がしたのは後涼殿の階を上った先の
「あなた方があまりにも大きな声でお話ししているから、
「……話は
几帳の内側に隠されている女人の声は決して大きいものではないというのに、その場を
「そっ……そうでございます」
医生は青ざめながら、引き
「そして、そこの
「……さようでございます」
問いかけられた質問に対して、小春は声を震わせながら答える。相手は恐らく、
「随分と棘のある言葉で
「っ……」
凜とした
「そこのあなた。……あなたは医師になりたくて、典薬寮に入ったのよね?」
直接的な問いかけに小春は一瞬だけ驚いた表情を浮かべそうになったが、掠れかけた声で「はい」と返事をした。
「それならば、胸を張って堂々としていなさい。顔を
几帳の
「……自分の意思で目標に向かって
ぜひ教えて欲しいと言わんばかりに女人の声色は低いものへと変わっていく。
「他人の努力を笑っている者が、自分の望むものになれるとお思いで? そして誰かを貶め、嘲笑した者が、
「……」
「もし、心からそのように思っているのならば、それは改めるべき行いだと思いますよ」
女人の言葉に、医生達は顔を青白くしたまま、額に
一方で小春は心の底から
……でも、違う。この方は……
高貴な雰囲気を
医生達は先程までの勢いを失ったまま、
一つ、小さな
「そこのあなた。……
几帳の隙間から、細く白い手を出した女人は小春へと手招きしていた。
「へぁっ? あっ……は、はいっ……」
女人の言葉に従うように膝を折っていた小春は慌てて立ち上がり、
小春が階を上り切ると、几帳の内側へと隠すように周囲の女人達に押し込まれてしまう。だが、驚いたのは几帳の内側に隠されていた女人が目の前にいたことだ。
◆◆◆◆◆◆◆
高貴な女人は小春を
何が起きたのか分からなかったが、立ち止まることも出来ず、小春は女人達の中に交じって、その場を去るように歩くしかなかった。
去り
高貴な女人によって、医生達の前から連れ出してもらった小春だったが、この足がどこに向かっているのかは分からない。ただ、無言のまま、付いていくことしか出来なかった。
……先程のお礼を言いたいけれど、身分が下の者から声をかけるのは
声をかけることも出来ず、ただ歩くだけだ。それでも、小春は雪路に教えてもらっていた
……ええっと、後涼殿と
確か、この先にあるのは
「……ごめんなさいね、つい口を出してしまって」
それまで無言で歩いていた女人がぴたりと足を止めてから、小春の方に少しだけ振り返る。
「でも、どうしても
「っ……。あの、見ず知らずの自分を助けて頂き、ありがとうございました」
小春は頭を深く下げて、女人へとお礼を告げる。だが、お礼は不要だと言わんばかりに女人は扇の裏で笑っていた。
「いいのよ。……けれど、わたくしが出しゃばったことであなたの立場を
「いえ、そんな……」
小春がお礼の言葉を続けようとした時だった。
「
その場にいた他の女人達が
幸いにも女人の身体が
「ああ、もう……。熱が出ているではありませんか」
「いくら気分が良いとは言え、無理をしてはまた
恐らく、女人達は
現在、
想像以上に尊い身分の女人を目の前にして、小春は瞳を丸くしてしまっていた。
「だって……。
先程と比べると、女御の口調が弱々しくなっており、身体が
「はい、はい。ですが熱が出ては主上に心配をおかけしてしまうでしょう。庭は
「……そうね、分かったわ。主上には後で
どこか残念そうに女御は
「見苦しいところを見せてしまったわね」
「い、いえっ、そのようなことは……。あの……」
自分が具合を
小春は伸ばしかけた手をぐっと引っ込めてから、別の言葉を告げるしかなかった。
「お熱があるとのことですが女医処の
「心配してくれるの? ……ありがとう。……けれど
そう言って、女御は
「あなた、時間は大丈夫?」
「えっ、あ、はい……」
「それならば内裏の北にある
女御は自身の身体が辛いにもかかわらず、小春のことを静かに案じてくれている。小春を思い
「それでは、またね」
女御は女房達に支えてもらいながら、渡廊のさらに奥へと進んでいく。小春はその後ろ姿を
……女御様のような
医師として未熟な自分を実感し、それがとてつもなく歯がゆく感じられた。小春は
目の前で苦しんでいる人がいても、今の自分では助けることは出来ないのだ。「医師」ならば、患者を見逃すなど、絶対にあってはならないというのに。
……もっと、技術と知識を身に付けないと、私は何も出来ないだけの人間になってしまう。
小春はゆっくりと顔を上げる。
……女医としての力量を認められれば高貴な人を診ることだって、出来るようになるはず。
むしろ、それこそが女医処に勤める者としての本質であり、意義だ。
今度は
……私がこれまでやってきた努力は自分のためのものであったけれど、その努力が
今も母と
それでも、心には新しい
……今みたいに、自分の不甲斐なさに
荷物を持つ手に力を込める。
目の前で苦しんでいる人を助けられないのは
……真っ
高貴な
小春は
自分は今、求めるものが得られる場所に立っている。それならば、立ち止まっている
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