一章 萌え出づる春③
「ただいま、戻りました」
典薬寮の女医処へと戻った小春は書き物をしていた雪路へと声をかけた。
「ああ、おかえり。迷わなかったか?」
「はい、
「それなら良かった。彼女は責任感が強いから、精神的
患者の調子が良くなったことを知り、雪路は少しだけ表情を
小春は雪路の前へと腰を下ろし、彼女が書き物を終えるのを待ってから、そっと訊ねた。
「あの、雪路さん」
「ん?」
「雪路さんは、呪禁というものを知っていますか」
「っ……」
一瞬だった。それまで
……雪路さんも知っていることなんだ。
そして、自分だけが知らないのだ。まるで取り残されたような気分に
しかし、雪路の視線は鋭いものとなり、小春を
「……どこで呪禁のことを知ったんだ」
「えっと、
「他に聞いていた者はいないな?」
「い、いないと思います……」
それまでとは
「小春。呪禁のことは
「……
「話すべきではないからだ。そして、知るべきではない。……知らない方がいいこともある」
雪路は
「……どうして、私は知ってはならないのですか。雪路さんは知っているのに……」
「小春……」
「呪禁というものが母様に関わりのあることならば、私は知りたいです」
冬次は呪禁を母に教わったのかと言っていた。それならば、母と呪禁には絶対的な関わりがあったはずだ。胸のつかえは大きくなるばかりで、治まる気配はない。
小春が
「……やはり、お前と小竹さんはよく似ているよ。顔立ちだけじゃない。……大人しそうに見えて、意外と
二度目となる深い溜息を吐いてから、雪路は言葉を続ける。
「どうせ、このままはぐらかしても、また訊ねて来そうだからな。……分かった、呪禁について教えよう」
雪路は深呼吸を何度かしてから、ゆっくりと口を開いた。
「呪禁とは……口に出すことさえも
「危険なもの……?」
予想していなかった言葉に、小春は思わず
「そうだ。これは
世間では「呪い」とは、
呪禁が人を傷付けるものだと聞いた時、重ねていた両手の指先が少しだけ冷えていく気がしたが、ここで聞くことを
「だからこそ、
賊盗律が
「そ、の……。もし、呪禁について話したり、力を使っているところを見られた場合はどうなるのでしょうか……?」
「
流罪は最も重い
「小竹さんは……」
そこで雪路は一度、言葉を
「……小竹さんは、
「呪禁師……」
「呪禁を
「……っ」
雪路から告げられた言葉を小春は
「じょ……
「
ひと呼吸を置いてから、続けられた言葉に小春は動けなくなっていた。自分以外の
「……呪禁は本当に危険なものなんだ。それにその危険性がお前にも宿っている」
「どういう……ことですか……?」
「おまじない程度の単純な呪禁であれば、学べば身に付けられるだろう。だが、一部の呪禁はそうではない。強力な呪禁は血筋によって遺伝するもので、特に小竹さんは強い力を持った呪禁師だった。……つまり、小春にも同じ呪禁の力が宿っている可能性があるということだ」
どくん、と心臓が大きく脈を打ち、小春はまさかと言わんばかりに目を見開く。
「小竹さんが呪禁師であるということを知る者は
雪路の顔を真っ
「そんな……」
背筋を
信じたくはなかった。母が人を傷付ける力を持っており、そして使っていた事実など、受け入れたくはなかった。何故ならば、自分の母は痛みや苦しみから救ってくれる医師であるはずだからだ。それなのに母が人の命を
自分にも母と同じ危険な力が宿っているなんて信じられないし、ましてや、母が呪禁によって亡くなったなど、受け入れられるわけがない。
……母様の死の原因が、呪禁……? 呪禁師だったから、死んでしまったということ?
喉の奥から吐き出してしまいそうになる何かを抑えるために小春は両手で口元を押さえた。
全身に
……母様は、医師だった。
だが、それが
がらがらと何かが
「……
目の前から
「……小春。お前が医師になりたいと思ったきっかけはどうであれ、今の道を選んだのはお前の意思だ。……その気持ちを大事にしなさい」
雪路は知っている。小春が母に憧れて、医師を目指していたことを。小春と母が
「……はい」
雪路にそう答えつつも、小春の心は今までのように強固なものにはなれなかった。
母のような医師になりたいとそれだけを望んでいた。だからこそ、父に見つかる危険を承知で、典薬寮までやってきたというのに。
……私は、これから──どうすれば良いのだろう……。
目標だった存在を失った今、何を目指して、どこに向かえばいいのか、分からなかった。
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